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育ってきた家庭環境〜母の統合失調症〜

姉の異様な行動、私の発達障害、それはうちの家庭環境に影響があると思います。私の母は、私を出産した年に統合失調症を発症しています。

発達障害とは脳の器質的な先天性のものとされ、対して統合失調症は後天的なもので、脳内で情報を伝える神経伝達物質のバランスがくずれることが関係しているとも言われていますが、どちらも脳機能の脆弱性に原因はありそうです。

母が発症した時、私は0歳、姉は4歳でした。当時は「精神分裂病」と呼ばれてました。決して口にしてはいけない病気だったようです。父は精神科の専門病院にかかると、会社の健康保険で母の病気がわかってしまうから、国立病院にしたと言っていました。子ども心に、人に知られてはいけないんだと心に刻まれ、また父からも母の病気について説明されたことも一度もありませんでした。

本当は「お母さんはこういう病気なんだよ」「こういう時はお母さんの病気が強く出ている時なんだよ」と説明して欲しかった。そして、家族でどうやって力を合わせて生活していこうか、と一緒に相談して欲しかった。きっと、父はどうしたらいいかわからなかったのだと思います。父のキャパでは対応することができなかった。

母は、発病当時は乳児の養育のため入院にはならず、通院で治療を受けていたようですが、私が小学校に上がると入院治療も始まりました。一度入院すると4、5か月入院期間になり、退院前に慣らしの外泊があります。久しぶりに母が家に帰ってきます。その頃の記憶は、外泊で家に帰ったとたんに、台所に立っていた母の姿です。病院でそういう指導がされていたのかわかりませんが、せめて外泊中くらい、父がフォローしても良かったのでは、と大人になってから思いました。私たち子どもは病気のこともわからないし、久しぶりの母にどう接していいのか、わからなかった。父が手本になって、母をサポートする姿を見せ、子どもたちも病気の母への関わり方を学んでいく、そんな家族であったら良かったのに。

子ども時代の中でも、寂しく辛かったのは、運動会などの行事に誰も来てくれないこと。私、運動会の時のお昼ご飯どうやって過ごしてたのか、全く記憶がないんですよね。辛過ぎて、記憶に留められなかったのか、わかりませんけど。父にも「行けなくてごめんね」と声をかけられたこともありません。母は精神の病で意思疎通がとれず、父も子どもの気持ちを思いやった対応ができず、ある意味ネグレクト状態。4歳上の姉もストレスフルで、私はよくイジメられました。

こういった家庭環境、生育環境が私や姉の成長に大きな影響があったと思います。私は、大人になってから発達障害の診断を受けることになりましたが、発達障害は先天性の問題と、脳機能が発達していく過程においてアンバランスさが生じることで起きると考えられています。私の場合はその2つが重なりあったのかもしれません。

自分の経験から、病を抱えている親御さんに伝えたいことがあります。それは、子どもの理解する能力を信じて、病気について説明をしてあげて欲しいのです。既に、子どもは「何か違う」に気づいています。不安な気持ちのまま、不穏な空気を読むようなことを子どもにさせないで欲しい。私の場合は、その後の人への関わり方が消極的になったり、生き方にも大きな影響が出てきました。大丈夫です、その子の年齢でわかる言葉に置き換えて説明すれば、大人が理解できることのほとんどはわかります。

#病気の親を持った子ども #統合失調症 #ネグレクト  #発達障害 #大人の発達障害 #生育歴


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