気が付けば朝早くに日が高く登るようになっていた。 外があまりにも明るいから、時間の感覚が分からなくなって始業に間に合わないのではないかと不安になる。 昨日と打って変わって空は晴れあがっている。 背中を朝日に焼かれながら駅まで自転車を駆る。 春は知らないうちに1年の中で圧縮されたようで、ぼーっとしていたら桜も散ってしまった。
会社から帰ってきてひとりぼっちの最近、今日に限ってはどうしてか「何故友達が全然いないのか」ということを真剣に考えてしまい、いても立ってもいられなくなって、近くのスーパー銭湯に駆け込んだ。 そこには地方から帰省中なのか、大学生の集団がいくつかおり、そういえば自分も大学生の時には少なからずスーパー銭湯に行く友人がいたなということを思い出した。 なんか本当にどうでもいいことを、さも真剣な雰囲気で語り合うあの感じを、10年くらい味わっていないような気がした。所属していたサークルは
人が作ったExcelをコピーしてカチカチしていると、substitute関数なるものを見付けた。 そうするともうThe WhoのSubstituteが流れ出して頭の中がいっぱいになった。 The Whoは何回か挑戦してみたけど、なんとなく取っ付きづらくて結局ベスト盤をよく聴いていた。 そういえば大学に入ったとき、通ぶりたいだけの承認欲求のために色々な洋楽を聴いていた。結局身になったのはOasisくらいだったような気がする。 Death Cab For Cutieは今でもよ
寒いのにはかなわない。 家の外に出ると、たいてい何処へ行っても寒い。 電車に乗っても寒い。足が異様に冷たくなる。 足が冷たくてふと「あれ、スーツのズボン履いてきたっけ?」と思い、焦って手を下半身に持って行ったりする。 スーツの下にはタイツを履くことが多いから、またしばらくして「あ、タイツしか履いて来なかったかも」と思い、そろりと手を降ろすのである。 朝は身を切り刻まれながら自転車で駅まで向かう。 朝早いと月はまだ煌々と輝いている。山の向こうがオレンジ色になってきても色を変
時間が勿体ないと思うことはかなり辛い。 常に最適解を出していたい。 銭湯や温泉の、お湯を湯船の天端ギリギリまで湛え、いざ浸かろうとすると、ザブザブとただ景観のためだけに存在したお湯が流れ落ちていく様を、勿体ない勿体ないと思いながら眺めるのが好きだ。 そんな湯船の上辺のお湯みたいに時間が勿体なく流れていく。
バカデカ加湿器を買った。 娘の鼻詰まりがひどく、見るに耐えかね電気屋へ急いだ。 鼻詰まりはとても苦しい。 両方の孔が塞がったときは尚更である。 そんな時に例えば拉致なんかされたらどうなるのだろうと考える。 口にガムテープでも貼られた日にはたまったものではない。こちらは口でしか息ができないのに、身代金の要求前にはもはやこの世の人ではなくなってしまう。 犯人もビックリする。電話を掛け終わったら人質が冷たくなっているのだ。 ボーッしていたら会計が終わった。 奥さんが値引きでき
12月に入ってとても寒い。 日々の生活にこれといった不満はなかったけど、家から駅に向かう間の、人間の活動時間ではないからもう少し寝てれば?というような寒さはとても辛い。 ただ、最近自転車のタイヤに空気を入れたので(実に1年振りに!)、グイグイ進んでくれて助かる。 この朝の30秒の短縮は、ちょっぴり寿命が長くなっているような気がして嬉しい。 フジファブリックのCHRONICLEのアルバムが聴きたくなる季節なので、そのことばかり考えている。
50過ぎくらいの会社のおじさんがサブスクでAVを観ている話を聞いた。 マジかよと思った。その歳になってまで性欲に悩まされなければいけないのだろうか。 良くも悪くも性欲は男の後を影のように着いてくるが、もういい加減解放されてもいいだろうに。 どうせ性欲があったところでそれがプラスに働くことなんてないのだから、三大欲求だかなんだか知らないが、歳をとるにつれてすっかりなくなってしまった方がいいのである。 きっとね。
頭上の月がとても明るく、雲と一緒に虹を作っている。 空も群青色で比較的明るく、雲の動きがくっきりと見える。 色々とめんどくさいことが多いが(生きてるのもめんどくさいというのに!)、会社から家に帰ることもかなりめんどくさいことの1つだ。 今日はそんな帰路も少しは楽しくなるような月だった。
東京出張の帰り、横浜中華街で上海蟹を食べた。 リモコンのカバーか何かみたいに背中の殻をパカっと外し、蟹の脳ミソを無言でパクパク食べる人間4人。 提供者の姿が見えるからこそかなりグロテスクなことしてるなーと思ったり、彼(彼女?)が最後に見た景色はどんなだっただろうかと要らぬことを考えたりした。 蟹味噌を食べた直後から胸焼けがひどく、蟹の逆襲だと嘔吐も覚悟したけど、しばらくしたら何ともなくなってしまった。ただの飲み過ぎかもしれない。 今日初めて会った東京支店の人から、「アニ
3人でハリーポッターの話をした。 ベラトリックス・レストレンジの名前が全然出てこなくて、適当に「ジミ・ヘンドリックスみたいな名前だった気がする!」と言ったら、他の2人から「そうだったかも!」という返答があった。 日常はテキトーに転がっていく。
昨日の駐車料金4500円をまだ引きずっている。 地方都市ではあるが、やはり都心に車を停めれるのは駐車料金に数千円払うことになんらためらいもない富裕層に限られるのだろう。 太陽に近づき過ぎて、蝋でできた翼が溶けて海に落ちてしまったイカロスみたいな。
くるりのえいがを観てきた。 最新作のアルバム「感覚は道標」のレコーディング風景を中心としたドキュメンタリー映画となっているが、何にもましてくるりのオリジナルメンバーである3人の姿をスクリーンで観ることができて非常に感慨深い。 「ワルツを踊れ」くらいからのファンなので、その時にはすでに2人になっていたからPVとかでしか知らなかったけれど、デビュー当時からのファンは涙なしでは見れないのでは?と思う。 この映画を観ると、1曲1曲がものすごい熱量とアイデアで作られていて、1曲1曲
もうすぐ9ヶ月になる娘が日々いろいろの技を習得している。 教えた覚えはまったくないのだけれど、舌ベロを左右に動かしてレロレロ言ってみたり、うつ伏せの状態から開脚してそのまま座ってみたり。 小学生の頃にハマっていたドラクエモンスターズでたまにモンスターが技を思い付くことがあったけど、たぶんそれと似ている。 何かこう、頭の中で動作が結びついたりするのだろうか。 お父さんは昨日も今日も明日もだいたい同じようなことをして過ごしています。
うっすらと金木犀が香っていて、とてもよい気分になる。そして色々思い出す。 ちょうど会社帰り、19時頃の少し肌寒い気温と鈴虫の鳴き声、夜の匂い。 快適な夜は、何かが起きるような期待に満ちている。 それは小学生の頃、この時期に地元のお祭りがあったからかもしれない。 その時だけ許された子どもたちだけの自由な夜は、ちょっと背伸びして火をつけた爆竹のように楽しさがハジけていた。 お祭りの時にだけ並ぶ出店、発電機の音、休憩所のテントでやったポケモンカード、お囃子の横笛や大太鼓のメロ
寒い。 先週までは少し暑かったような気がしたのに。 うっかり半袖で出かけて夜になって昼間の自分を呪うようなことがしばしばある。 明日から寒くなるぞーと、一声あってもよかったのではないかと思う。グラデーションで少しづつ寒くなるなら対応のしようもあるが、急に「はい、言ってなかったけど今日から寒いです」と来られても困るのだ。夏はしっかり報連相を実践するべきである。