桜の木の下に死体が埋まっていたのも昨日まで。

 引き続きのほほんと過ごしている。ホント、こんな生活がしたくてたまらなかったので日々感謝なのである。

 最近は公園散策と散歩ばかりしている。来るべき排気口ホラー新作に備えて井の頭公園に行ったり、善福寺公園に行ったり、そこで幽霊の目撃情報があったとされる場所へ。うーむ。特段どれも何も無いのだが、それよりも桜と花見する人々の陽気に心を打たれて胸がホカホカした。

 善福寺川沿いを延々と歩きながら湧き水の所まで歩いて行くこともやった。これもまた非常に楽しかった。私は「ここはもしかしたら○○じゃない?」と調べたり、あそこの家すごいねとか喋ったり、天気の話や季節の話をしたり、目に付いて思った事を喋りながら散歩するのが大好きなので、そういった事に同じような大好きさを見出してくれる人が周りに沢山いる事に感謝である。酒を呑んでくれる人と散歩してくれる人に恵まれている。

 先日は花見という事で数十年振りにレジャーシートの上でみんなで飲み食いしてワイワイしたのだが、これが予想以上に楽しかった。レジャーシートを広げて、みんなで酒や食べ物を持ち寄り、そうして、夜になるまで、お喋りしたり、フリスビーしたり、縄跳び、したり。そんな事がこれほど楽しいとは!!とても嬉しい発見である。帰りの程よい疲労感も心地よい。

 居酒屋でみんなでワイワイやるよりも、レジャーシートは妙に肩の寄せ合い感が強くみんなで1つの話題をあーでもこーでもと喋る感じが新鮮で楽しかった。レジャーシートという境界によって一体感が増すせいなのだろうか?とかくiPhoneのライトにペットボトルを乗せた手作りランタンを囲みながら私たちはお互いの小学生の頃の話から怖い話とんでUSインディーからパンクロックの話まで、最後はディズニーで好きな曲を言い合いながら、辺りはすっかり真っ暗になっていたのだった。

 花見をアウトドアに区別する基本的に出不精の私はここまで楽しい時間を過ごすと去年中止になった友人たちと計画していた貸別荘でのBBQに想いを馳せてしまう。

 実は前回の排気口新作公演『光だと気づいた順に触れる指たち』は当初は婚活パーティーでBBQをやる一夜の話だった。中止になった貸別荘でのBBQ計画の無念を晴らそうと思ったのである。結果は全然違うものになった。
病院の屋上の話になった。この変更に特段書き記す事は無いように思う。記憶がちょっと曖昧で・・・。

 まあこんな事言うと、また「生と死を軽く扱ってる」と言われそうだが、軽い感動も重い感動もそれは人それぞれなんだけど、生と死は重くなくてはならないっていう決めつけが苦しんだって人もいて、その押しつけにはハッキリ言ってうげーってなるんだよね。私もそのタイプ。当事者じゃないと書いちゃいけないものなんてない。特定の事柄、具体的な事柄においてもね。それはまた別種の慎重さが求められるんだけど。

 まあいいや。きっと私達ものすっごい不幸な出会い方しちゃった訳だけど、偶然、居酒屋で会ったらチケット代分は奢るよ。

 話がそれちゃったけど排気口新作公演『光だと気づいた順に触れる指たち』の話はどっかで書かないとって思ってるんだけど、のほほんと過ごしてたらどんどん記憶が曖昧になってきて・・・。稽古中盤ぐらいまでの記憶はすっぽり無いかも・・・。だって掛け持ちしてたんだもん・・・。

 だからもしかたらスペースとかでやるかも。noteに書くのはうーむ・・・。どうしよう。

 演劇は観た人もやった人も終わったら徐々に徐々に忘れていくのが素敵なところ。終わった演劇の事をいつまでも想ってるなんて叶わない恋と一緒じゃないか。

 私たちの心はとてつもない悲しみにも慣れていく強靭な生のエネルギーを含有している。傷は忘却の愛撫によって癒される。だからこそ演劇は忘れられる前の傷を描くんだよ。傷跡になる前に。それも消えてしまう前に。

 やっぱりそれに重いも軽いもないよね。

 でもそれも人それぞれか。生意気言ってすいませんでした。

 オーライ。まだまだ花見は続く。酒宴も続く。いつか永遠に終わってしまう。いつか永遠に消えてしまう。君と初めて一緒に笑える話題を見つけた時のハイボールの味も。最初から無かったみたいに。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?