マルカワ系人類

マルカワのオレンジのフーセンガムが好きだ。キシリトールガムのスーっとするやつがコンビニを占めていて、あまり見かけないのが残念でならない。
最近の人には珍しいかもしれないが駄菓子屋通いがあった。集合場所のデカめの公園を突き抜けてちょろちょろっと路地を抜けた先にある駄菓子屋で、ドアを開けると「メリーさんのひつじ」かなんかが劣化してきてスピーカーが悪いのか、高めに、悲しめに流れる。
店内は凸の字で、漢字の下半分の部分はコンクリの土間になっていて、壁一面に駄菓子が並べられている。
そして、丁度漢字の飛び出した部分が上がりかまちになっていて、おばあさんが鎮座している。
そのおばあさんの横にブタメン用の銀色の宣伝用の文句のシールが張りっぱなしになっているポットがある。
その奥に博物館で再現されたような「昭和の家屋」が覗いている。
そういう、一角だけが昭和から平成にぶっ飛んできたみたいな駄菓子屋があった。
もっぱら10円、20円の世界で、中には100円のブタメンを食べている高学年もいたが、家計簿をつけるみたいな感じでやりくりして最大限に楽しんでいた。
しかし何と言ってもマルカワのフーセンガムは「当たり付き」だった。箱のツメの部分にあたりがついてるともう一個もらえるのである。
フーセンガムは20円だったから、他の10円のベビースターラーメンのパチモンを買ったりするよりも少しだけ躊躇する。だが、やはり美味いのと子供らしいアメリカンドリームには逆らわずに訪れた時は絶対に一個買っていた。

だが全く出ない。「あたり」が。


ある日、この100円をフーセンガムに全BETしてみることにした。こうなるともうカイジの世界だ。「あたり」が出なければフーセンガム5個を「ぐにゃあ」な状態で食べることになるが、「あたり」が出さえすれば立木さんが「豪遊!」だの「大勝利!」だの言ってくれることになる。

3つ目ぐらい目で「あたり」が普通に出た。

特に立木さんは出てこなかったし、その日に駄菓子屋で交換してもらうのが億劫でそのまま家に帰ったらそのまま箱を無くした。
それからは今までのが何だったんだというぐらい普通に「あたり」が出るようになった。だが美味さは変わらない。ずっと美味しかった。
そうした駄菓子屋生活が続いて、小学校を卒業すると駄菓子屋に行くこともなくなった。そもそもその駄菓子屋に中学生は来ていなかったから自然と行くべきではないのだろうと思って。
だから自分はマルカワのガムがあれば買うようにしている。その郷愁のために。
だからと言ったって、その駄菓子屋に行く気はもうない。聖域はそのままにしておくのが一番である。




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