猫になったので

(2019年1月8日大学の児童文学課題として) 

福岡先生が、国語の授業で言っていた。夢は宝物だよ、と。
先生の考えでは、面白いことを何回でも楽しめるように、私たちは夢を見るらしい。すると、佐々木くんが、「悪夢ばかり見るんだけど!」と言って、教室にいた私たちは大笑いをした。
福岡先生は、いかにも真面目そうな顔をしてうなずいてから、こう続けた。
「ぼくたちは、悪夢と向き合わないといけないんだ。だって人生は気まぐれなんだもの」、と。
福岡先生は、時々こういう意味の分からないことを言う先生だった。だから、理科の水谷先生と仲が悪く、図画工作の星野先生と仲が良かったらしい。
 
これは間違いなく夢だ!
私は、部屋中を四本の足で走り回って、机に飛び乗って、自分のひげを引っ張ってみて、ようやく自分が夢を見ていることに気づいた。
わたくしはねこである。
むねを張って言ってみた。意外と気分がいい。でも、変な夢。そう思いながら、私は机から飛び降りた。
部屋は静かだ。お父さんもお母さんも、ニュートンも家にはいないらしい。この体のまま外を散歩してみたくなった私は、リビングのドアノブ目がけてジャンプをした。でも、何度ジャンプをしても、あと少しのところで届かない。
「ずいぶんと、のんきなものだね」
振り返ると、まるで、トラックが目の前にあるような気がしてしまうほどの大きな黒猫が、私に声をかけていた。
「夢なのに、のんきじゃいけないの?」
「いけないね。だって私は気まぐれなんだもの」
「気まぐれ?」
「そう、気まぐれ。だから、私がいけないと言えばいけないし、いいと言えばいい。今はいけない気分なんだ。だからいけないんだ」
「……」
私は、ムスッとした顔をしてみせた。でも、その黒猫は動じない。「それじゃあね」、と小さく言って、大きな体の割に、見事にドアノブにジャンプをして前足でドアを開けた。そして、少しばかり開いたドアの隙間から、するすると抜け出していった。ドアを閉めることも忘れなかった。小さな音を立てて、今の私には大きすぎるドアは閉まった。
 
「……あと少しだったのに」
あれから、数回ジャンプをして、ドアノブに前足が当たったところで、私は目が覚めてしまった。
様子がおかしい。私はいつもベッドで寝ているのに、今日の私はリビングのすみっこで目を覚ました。しかも、フローリングがすぐ横にある。
これじゃあ、まるで……。
私は、前足を曲げて見つめてみた。ふさふさと毛が生えている。
「どうして?! これも夢なの!?」
お母さんが、私に向かって静かにしなさいというジェスチャーをした。そうか。お母さんからしたら、私は鳴いているねこなのだ。だなんて、やけに冷静に考えてから、ニュートンはどこにいるのか探してみた。リビングの中を見渡してみたけれど、どこにもいない。どこだろうと少しウトウトとしながら考えていると、リビングのドアが開いて、わたしが部屋に入ってきた。
「おはよう」と、お母さんが私……そう、ねこではないわたしに言った。
すると、「うーん……」と、わたしは答えた。まるでニュートンのように。
「今日は雨が降っているんだから、傘を差していきなさい。傘、持って帰ってくるの忘れないでよ」
わたしは、お母さんの話を聞いているのかいないのか、ふらふらとした足取りでイスに座った。寝ぐせがそのままになっている。両方の肩の関節が外れてしまったみたいmに―そういえば、去年、私は右ひじを脱臼したことがあった―、だらーんとたらしている様子を、お母さんが注意した。わたしだけど私じゃない。やっぱり、中身はニュートンなのだ。すると、私はニュートンと体が入れ替わってしまった夢を見ているのか。
「ぼくたちは、悪夢と向き合わないといけないんだ。だって人生は気まぐれなんだもの」
福岡先生の言葉が、ふいに頭の中に浮かんだ。
どうすればいいのだろう。次から次にだらしないことをするわたしを見ていられなくなった私は、夢をくわしく思い出すことにした。ただ、部屋の中をかけずり回っただけじゃなくて、何か、かしこそうなねこに話しかけられた気がする。
あの、気まぐれねこ!
夢を少しだけ思い出せた私は、どうして私があのような、または、このような夢を見ているのか、気まぐれねこなら心当たりがありそうな気がした。
どうにかして元に戻らないと。そうしないと、夢から醒めないのではないかという直感が働いた。
私は、そのことで頭がいっぱいになってしまった。まずは、お母さんの注意をそらして外に出ないといけない。と思った私はアイデアを考えようとしたのだけれど、わたしが、コーンポタージュの入ったマグカップをひっくり返すのを見て、何も考えずに外に出ることにした。わたしがドアを閉め忘れていたおかげだ。感謝しなくちゃね。
 
「あのねこはどこにいるんだろう」
ねこになった私は、道路が大きく、そして広くなったような気がしながら、あてもなく歩き出した。飼いねこなのかな。野良ねこなのかな。どんな場所に住んでいるんだろう。夢の中で見た黒猫の姿を思い出そうとしたけれど、輪郭がボヤケていて思い出すことが出来なかった。首輪はしていなかった気がする。
何となく、私はあおぞら公園に向かうことにした。あおぞら公園は、私たちおのまとぺ小学校の子どもたちが遊ぶ公園だ。おのまとぺ小学校から数分のところにあって、むかしは大きなすべり台があったらしい。今ではそのすべり台はなくなってしまったけれど、ブランコやジャングルジム、砂場や壁があることから、小学校低学年から上級生の高学年まで、みんながそこで遊んでいる。
塀に登った私は、塀の上をそろそろと歩きながら、学校に行く途中の小学生や中学生の後ろ姿を見つめた。(ふうん。ねこからはこう見えているらしい)ねこになって分かったのだけれど、塀の上を歩くのは、平均台の上を歩くのと違って、ずっとかんたんだった。きっと、ねこの体は、こういう細いところを歩くのにぴったりなのだと思う。
そういえば、お母さんが、犬走りというのを教えてくれたことを思い出した。犬やねこは、細い道を歩くのが上手いのだ。
塀が途切れてからは、人に声をかけられないように気をつけながら歩いた。そうして、あおぞら公園に着いた。何となく、黒猫はここにいる気がする。
あおぞら公園の中を見てみると、私が小学生になった時にはすでになくなっていたすべり台が、公園の中心にあった。夢の中なのだから、もう無くなってしまったすべり台があるのは、別におかしいことではないのだけれど、それでも、私は不思議な気持ちになった。
すべり台の上に、その黒猫はいた。
「やるね」
黒猫は前足を右、左、右、左……と交互になめながら言った。
すべり台を一歩一歩ゆっくりと登って、黒猫の横に座り、
「私を人間に戻して」
と、私は言った。
「私がねこにしたわけじゃないからね。戻すことは出来ない。でも、戻る方法は知っているよ」
「どうやるの?」
「ふふん。そうだねぇ」
黒猫は頼られるのが好きらしい。得意そうな顔をして、私に親切にしてくれた。
良かった。これで夢から醒めることが出来る。私は、そう考えて気持ちが少しばかり楽になった。
人間に戻る方法は、こうだ。
まず、ねこのお仕事をすること。ねこは気まぐれで、お仕事がどれくらい大事なのかとか、大変なのかを考えてはいけない。考えたらだめ。考えずに、ねこのお仕事をすること。
どうして? と聞いたら、黒猫は物凄く嫌そうな顔をした。
次に、オスのねこを見つけてお友だちになること。黒猫はオスのねこだから、お友だちになってくれるらしい。でも、順番は、まずお仕事をすること。
お仕事が何かを聞いても、黒猫はそこまで教えてくれなかった。でも、お仕事を終えると分かるらしい。
私は、とりあえずねこらしいことをしてみようと思い、黒猫に手をふって公園を出た。
塀を歩いていると、女の人が向こうから歩いてきた。私は、わざとらしく可愛い顔をして、女の人の注目を集めることにした。作戦は大成功! 女の人は、スマートフォンを取り出して、私を写真に撮ろうとした。私は、撮られるたびに目をそむけて、何枚も女の人に写真を撮らせることに成功した。……。確かに。何だかお仕事を終えた気がする。
早速、公園に戻って、黒猫にそのことを話すと、黒猫は楽しそうに笑った。どうやら、私の考えたことは正しかったみたいだ。次に、私は黒猫とお友だちになることにした。
「どうすればいいの?」
「人間はどうしているんだい?」
黒猫は、目をキラキラさせながら聞いてきた。
「一緒に公園で遊んだり、交換ノートを書きます。でも、私はお家で一緒にゲームする方が好き。お母さんがゲームのしすぎで怒らないし」
「ふうん。公園で遊んでみようか」
そう言って、黒猫は砂場の砂を前足でいじった……。
「私は、もう砂場で遊ぶような子どもではないけれど、それじゃあ流石につまらなくない?」
「私は楽しい」
私も黒猫の横に座って、前足で砂をかいて遊んでみた。……楽しい。肉球に当たる砂の感触が何だかおかしくって、笑いそうになってしまう。
そうして、私たちは砂場の砂を前足でいじって遊んだ。これでお友だちだ。と、黒猫が言うので、私は人間に戻らなきゃいけないことを忘れて嬉しくなってしまった。終わってみると、結構かんたんだった。黒猫にまた手をふって、私は家に帰った。
 
「ただいま」
と、言って私はニュートンの毛布にくるまって寝始めた。
「何か良いことあったの?」
と、お母さん。
私は、返事をするかわりに、笑顔を見せて眠りについた。お母さんは、再放送されているケイジドラマに夢中になっていたから、ねこになって初めて見た夢は、ねこのお巡りさんが出てきた。まいごになった犬が出てきた時、私は思わず笑ってしまった。
 
「元に戻ってる!」
私は、自分の両手をグーパーさせて、ベッドから起き上がって部屋の中でクルクルと回った。カーテンを開けると、外は雨が降っていた。おんぷが、私の周りに浮かんでいるような気がする。なんてことを思いながら、寝ぐせをしっかりと直して、リビングのドアを開けた。
「おはよう! お母さん」
「朝から元気ね」
ねことして外を散歩するのは楽しかったから、私は少しさみしい気持ちになった。たまには、またねこになる夢を見てみたいな。
「ニュートンもおはよう」
私が声をかけると、ニュートンはすっと目を覚まして、
「……」
何かを言うようにして鳴いた。前足を、右、左、右、左と交互になめている。ニュートンにそんなクセあったかな。と、私は少し不思議な気持ちになった。

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