右腕

(初出2015年)

 私はメイドに右腕を差し出し、メイドの手袋をした手が、右腕の包帯を解いていくさまを眺める。私の右腕は物心が付いた頃からこうなっている。包帯が巻かれていて、肩から先の感触がなくて、体に付随しているだけの、役に立たない棒。毎日薬を患部に塗り、包帯を巻いてやっても、うんともすんとも言わない。治らない患部に薬を塗る意味はあるのだろうか。塗り薬で治るのだろうか。治すのではなく、症状を食い止めているのだろうか。何も分からないけれど、日課として既に定着しているし、健康面で害が出ている様子はない。害は出ていないのだから、実感の伴わない益に関してとやかく言わないようにしている。
 14歳の私には、あらゆる選択権は等しく与えられていない。小賢しく色々なことを考えてみる。考えることは自由であり、それを出力しないのであれば、誰も咎めるべきではないと思う。考えるということは人間誰しもがもつ唯一の自由だと思う。でも、そう思ってしまうことは、14歳の私が井の中の蛙なのであるからだと思う。私は思う。思う。思う。……思う。思うということが偉いと勘違いしている全ての人達へ! 私は思うことは小賢しいことだと思っている。
 14歳の私にとって、右腕が動かないことは由々しいことだ。気に留めて然るべきことだ。では、その右腕に薬を塗る意味を考えることは然るべきことなのだろうか。私は医学というものには、これっぽっちも興味が無い。というよりも、理系に興味が無い。人が何で出来ているかに私は興味が無いし、でも、強いて答えるならば、人は自尊心で出来ているのだと思う。教養と知恵という服や装飾品を身にまとい、音楽や読書、映画といったバッグを手に持って、誇らしく歩くもので出来ているのだと思う。私の右腕には何が詰まっているのだろう。私の右腕は何で出来ているのだろう。どうしてそれは、右腕として本来果たすべく役割を放棄して、そうして、放棄したことを主に伝えず、今日も明日も役に立たない棒で在り続けるのだろう。14歳の私には、右腕が何で出来ているか、右腕は何なのか、教える必要が無いと思っているらしい。だから、皆右腕が何で出来ているかを語らない。皆、井の中の蛙に右腕はいらないと思っているのだ。

 薬を塗り、包帯を巻き直した。すると当然薬品の匂いが部屋に漂うのだけれど、メイド達は嫌な顔ひとつしない。私はこの薬品の匂いがとても苦手で、いつも苦しそうな顔をしている。それは私が14歳だからなのだろうか。14歳だから、感情を顔に出すことを憚らないのだろうか。メイド達は、大人だから感情を顔に出さないのだろうか。メイド達は、何を考えながら私の世話をしているのだろう。大人になると、人は感情や思いだとか小賢しいものを捨ててしまうのだろうか。大人のためのゴミ箱に。メイド達は何で出来ているのだろう。私はそんなことに興味はない。そんなことに興味はないのだけれど、彼女達がどこで何から作られたのか、私はそれが知りたいのだ。と思う。
 包帯を巻き直された右腕は肩から生え、そうして枯れてしまったようにそこにくっついている。うん、いつもどおり。メイド達は包帯や薬等を片付けて部屋から出て行った。私は包帯を解いてみようということを考えていた。患部をよく見たことはない。何年も眠り続ける右腕は、一体何によって眠らされているのだろうと気になった。気になって当然だと思った。包帯を解いてみると、腕は左腕と遜色のない健康的な色をしている。血管は何不自由なく血液を指先まで運んでいるように見える。右腕には左腕と異なって体毛が生えている。どうせ腕を露出するのは患部に薬を塗る時だけだから、剃る必要がない。右腕は丁寧に見てみても何で出来ているかよく分からなかった。
 テープを剥がし、患部を覆うガーゼを剥いでみた。患部は何事もないように見える。変色もしておらず、硬化していたり、傷付いていたり、どうにかしているようには見えなかった。ここが患部であると言われなければ、患部であるとは分からない。一体この患部はどんな症状に苦しみ、右腕を長い冬に晒しているのだろうか。私は患部に触れてみた。薬を塗ったばかりだから、薬が左手の指に付いた。ハンドクリームのようなものを想像していたから、水のような感触の薬に私は驚いた。何年間も毎日薬を塗られているのに、私はそれがどんな感触なのかも知らなかった。私は知らないことばかりだ。薬にどんな効果があるのか知らない。薬がどんな感触なのか知らない。患部がどうなっているのか知らない。右腕が何で出来ているか知らない。
 私は、ふと、右腕はひょっとしたら動くのではないだろうかと考えた。右腕の動かし方を知らないから動かないけれど、左腕と同じようにすれば動くのではないだろうか。私は元のようにガーゼを被せてテープを貼ると、包帯を巻き直した。片手で巻くから思うように巻けないけれど、それでもガーゼを覆うという役割は果たせた。私は包帯で覆われた右腕を見つめる。上がれと心のなかで命じながら。

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