後ろ髪を切ったから

(初出2017年)

  問
 最近、私はポニーテールにしている彼女の姿を見ていない。それは何故?
 A.私のせい
 B.彼女のせい
 C.あなたのせい

  答
 C.あなたのせい

 前髪を2~3センチ短くして、
 あの子はただ美しく笑ってた。
 私もつられて笑うけどだから何。
 あなたのあなたの後ろ髪。
 重力引かれて落ちてった。

「ねぇ、あんたはもう決めた?」
 友達の明が、私の前の空席-男子だったことは覚えているけど-に座って後ろを向いた。
 クリンとした大きな瞳が私のことを見つめる。
 そして私の進路表を覗き込もうとして私の妨害に遭った。私が突っ伏して進路表を隠してやったからだ。真っ白の進路表。そこには私にしか読めない文字で、何か適当なことが書いてある。
「秘密!」そう言って私は笑った。
 明は悪い癖だと指摘した。明にはこういうところがある。だから教えるのが怖いんだ。明はいつだって正しんだもん。
「明は何にしたの?」
「就職」
「えっ?」私は驚いた。
 明は学年1の秀才だ。きっと関東の国立大学にでも行くのだろうと教師までもが思っている。本人だって口にしていた。
「大学なんてさ、行ってもしょうがないじゃん」そう言う明の顔は笑っていた。なのに悲しそうに見えた。
「業種も決めているの?」
「サービス業だよ。いいでしょう」
「良くないよ!」気づけば、私は怒っていた。だから、声を荒げていた。
 明はさして驚く様子もなく、冷静に私を見つめている。笑ったまま。理由も知らないのに、私、怒ってる。
「どうして、何がどう良くないの?」
「とにかくダメ!」
 私は、彼女の決断を否定した。それでもまだ、彼女は、平然としていた。ケロッとした顔で、そっか、とだけ頷いた。なんだか、私の方がムキになっているだけに見える。明は席を立つと机に腰掛けた。明は、さりげなく会話を終えたいという雰囲気を漂わせた。
「私、もう帰らないと」と明は手を振った。私もそれに対して手を振る。
 どうして、何がどう良くないの? そう尋ねる明の顔には不安の色があった。明は前に1度、1度だけ、家の話をしたことがあった。
 明の両親は男の子が欲しかったけれど、明は長女で一人っ子だ。
 理由は知らない。
 両親は大学に行くよりも花嫁修業をして欲しいとずっと言っているという話だった。
 理由は知らない。
 就職も親に反対されているのかもしれない。それも分かんない。私何も分かんないのに、なんだかムカついてくる。何に? 明に? 違う。両親に? そうでもない。なんか、頑張っている人が報われないのって嫌だ。努力しても夢が叶わなかったとかじゃなくて、努力したけど夢を叶える機会を与えられなかったみたいな、そういう話。
 教室は私とあいつだけになる。
「どう思う?」
『いいんじゃない。意見を聞きたかったんだよ』
「違う。そうじゃなくって……」
『別に大学が全てじゃない。かと言って結婚が全てでもない』
「どっち?」
『どちらもゴールじゃない』
 意味が分かんない。
『それでいいんじゃない。そういうのが聞きたかったんだよ』
 私はただ頭ごなしに否定しただけ。理由も事情もなんにも知らないのに。部外者が勝手に騒いだだけだよ。
「私なんかの意見が、何の役に立つの?」
『バカにしか見えないものがあるってこと』
「うるさい」
 無視して私は進路表や筆箱を鞄にしまい込んで席を立った。明はまだいるだろうか。

 校舎を出た私は、通学路をそそくさと歩いた。暑い。汗で衣服が肌にまとわり付き、鞄が揺れる度に、背中に不愉快な感触がした。
「あ、……」
 喫茶店の中に明を見つけた。今日は冴えてる。でもなんて言おう。謝るべきか。バカにしか言えないようなことを言うべきか。バカにしか言えないこと……。今、バカにしかできなさそうなことを思いついた! ムカつくけど……。
 私は結局、とりあえず喫茶店に入ることにした。じゃないと死んでしまう。外は暑すぎる。中はクーラーがよく効いている。でかしたぞ。
「お客様は何名様でしょうか?」
 気弱そうな女性の店員が声をかけた。友人が既にいるんですと言うと、申し訳ございません、と謝って厨房に消えていった。申し訳ないことされていないんだけど。
 明に気づかれないように席に向かうと、明は何かを見つめているようだった。随分と真剣な顔をしている。
「わ!」
「何? どうしたの?」
 あまりにも反応が薄くて、モヤモヤするなぁ。明は二人がけの椅子の通路側に座っていたけど、奥側につめてくれた。私が座ると、明は自分から進路表を見せてきた。進路表には何も書かれていない。私と同じ真っ白。明は肩をすくませてため息をついた。
「就職に決めたんじゃないの?」
「まだ。勝手に、そう言っているだけ。ねぇ何飲む?」メニュー表を手渡された。
 明はアイスコーヒーをブラックで飲んでいた。同じのでと言うと、ほいほいと言って注文。先程の店員が出てきて、お冷を出してくれた。
「就職してどうする気なの?」
「家出る。そんでお金貯めて大学行く」
「大丈夫?」
「どうだろうね」明はそう言って遠くを見つめた。
 無理なことくらいわかってるよ。と明は小声で言った。
 即座に笑ってごまかしてみせると、アイスコーヒーを飲んだ。シャーペンを手に取った明は、進路表に何を書くか悩み始めたようで、それでいて心はここにないような感じ。
「親はその、結婚結婚ってうるさいの?」
 私の分のアイスコーヒーが出来た。豆菓子をサービスで出してくれた。
「普通じゃないかな。人がやることなすこと、女性らしくないって言うことは多いけどさ、別に大学に行かずに女を磨けってのも、1度言われただけだし。大学に行きながらでも女磨けるじゃん。……私別に、女性らしさが嫌いなわけじゃない。可愛い格好がしたいし、料理だって好き。でも男のためじゃない。私は私のために自分を磨きたいの。それって今時おかしいことかな? 違うよね。でも親は分かってくれない。女性の行動には全て、男にどう見られるかがセットになっていると思ってる。それが嫌。ガキっぽいって分かってても、私は自分のお金で大学に行きたい」
 言い終えると、明はアイスコーヒーを飲んだ。伸びをして辺りを見渡す。何だかこのままお家に帰りたくないねと私が言うと、そうだねと頷いた。
「そのこと、どこまでちゃんと言ったの?」
「言ってない」
「言ったほうがいいよ。ねぇ、失礼なこと、言ってもいい?」
「え、何失礼なことって?」
「明って、もっと正しくて、ちゃんとした人だと思ってた。理路整然としていて、あくまで合理的に決断する人だなんて思ってた。なんか、感情に蓋をできる人だなって思ってた」
「男と結婚するための人生を生きるってのが合理的ならそうなんじゃない? 私も別に否定しないよ。遺伝子残さないとね。」
 明は皮肉を言った。遺伝子。人間って何のために生きているのだろう。遺伝子を残すって大切なことなのに、そのために生きているというと、安っぽく思えちゃう。かといってさ、私は人間らしい誰かに批判されない生き方なんて知らない。
「それに好きな人ならいるよ。結婚したいくらい好き」
「ど、どんな人?」
 豆菓子を口に入れる。耳赤いよと明が指摘してきた。
「その人は、女だからとかじゃなくて、私を見てくれてるからさ、気恥ずかしいけど、まあ、アレだよね。好きでいてくれている私でありたいんだよ。女のくせにいっちょまえに自立したがっているガキっぽい奴なのか、できるオンナなのか、私は自分がよく分かんない。でも確かなのは、そんな私を肯定してくれている人が好き」
「すごく好きなんだね。その人のこと」
 私は横を見ることが出来なかった。すると途端に、私はその人の子供を身ごもりたいのだ、という彼女の欲望が頭に浮かんだ。気持ち悪いと思ってかき消そうとしても消えない。
 頬を涙が流れ落ちていく。
 アイスコーヒーを口に含むと、しょっぱい味がした。気持ち悪い。
 胃がキュッと締め付けられて溢れ出してしまいそうで、周りの笑い声が心臓に突き刺さっていく。
 痛い。
 痛い!
「さっきはごめん。理由も何にも知らないのに、頭ごなしに否定しちゃった」
「いいよ」
 泣いてるの? と言うと明はハンカチを取り出した。
「触らないで!」
「……」
 明の顔を見る。明は笑っていた。悪い癖。明は私が困った時に笑うのを、いつも咎めていた。明だってよく笑っている。今もそう。
「悪い癖だよ」
「どこ行くの?」
 立ち上がった私に、明が背後から尋ねた。お手洗いと答えた。

 お手洗いから戻ると、紙ナプキンに伝言が書かれていた。
「癖って、いつの間にか移っちゃうよね。髪そろそろ切ったら? 後ろ髪が肩にかかってるから。会計は済ませました。また明日」

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