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【長文】出産レポ(初産・誘発分娩)&当時振り返りの記録

出産レポです。と言いつつ、実際に出産したのは2022年4月。もう2年近く前になります。当時インスタにアップしたのですが、文字数制限でかなり削ったのでした。そのままiPhoneのメモ帳で眠っていたのですが、近々友人が出産するということで、掘り起こしました。

■出産レポのジャンル
・初産
・予定超過のため、管理入院→誘発分娩
・コロナ禍で夫の立ち会い(付き添い含めて)不可
・里帰り無し&実家遠い

出産レポ自体がかなり特殊なジャンルだが、その中でも細分化されているのが面白い。経膣分娩だろうが帝王切開だろうが、ほんと一人一人にドラマがある世界…。

こんなに大きくなりました

■誘発分娩かぁ〜不安…

予定日から5日経っても全然出てこないのでタイムオーバーとなり、管理入院の上で誘発分娩となった。できれば、自然に陣痛が来ての分娩で臨みたかったので、残念&不安になった。理由は以下の2つ。

1つ目は、管理入院の場合、家で過ごす時間が短いこと。陣痛に耐える時間は相当に長いことを覚悟していた。コロナの影響で、立ち会い出産はもちろん病院内への立ち入り及び面会も一切禁止の環境だったので、できる限りギリギリまでは自宅で夫と過ごしたいと考えていた。管理入院になると最初から最後まで一人なのでそれは避けたかったのだが、仕方ない。

2つ目は、誘発剤&促進剤を使用するデメリットとして、効き目が強すぎると赤ちゃんに影響が出たり過強陣痛になったりする場合があると読んだため。

特に、自然に起きた陣痛と比較した場合、誘発の方が比較にならないほど痛かったというレポートをいくつか読み、できれば避けたいと思っていた。まあ、今回はタイムオーバーになってしまったのでこれも仕方がない。

※実際に誘発分娩でどうだったか?は、レポの後半にて振り返り。

■出産レポ(めっちゃ長いです)

初産は時間がかかる場合が多いということで、一日目は朝から誘発剤、夜は休んで二日目の夕方出産を目指そうということに。二日目で出てこない場合は帝王切開になる予定でした。長期戦を覚悟。

○8:30…来院
産院の前で、夫とは別れる。夫はこの日、北海道へ出張へ。孤独な戦いが始まる。いざ出陣。

速攻で内診 3センチ
個室に案内され、着替えるように指示される。
産褥ショーツと病院が用意してくれたパジャマのようなもののみ。ブラは無し。

○915…浣腸
ものすごい出る。特に便意がまだなかったのでびっくりした。
分娩の際にいきむと便が出る場合があるので、事前に出しておきましょうとのこと。今日は死ぬ気で来院してるので、これくらいのことでは全く驚かない。どんとこい。
もはや恥ずかしいとかいう気持ちも無い。

○930…点滴開始!
赤ちゃんの心音計測のモニターつけて、採血と点滴開始

最終的には夕方あたりで、1時間90mlまであげるらしい。
助産師さんは30分ごとに様子をみにくるそう。

このモニター、赤ちゃんの心音がずっと流れているのは安心できるのだが、点滴の台と、おなかにつけたモニターが体勢を変えるのにちょっと邪魔。特にモニターは位置がずれるとすぐに心音が聞こえにくくなる。すると、ナースステーションから助産師さんが様子を確認しにきてしまうので、気を遣う。

この時は、手を煩わせたら申し訳ない、のような他人に気を遣えるくらいの余裕があったといえよう。

○1030…点滴開始後、1時間経過
定期的なお腹の張りはある。しかしこれは点滴の効果というか、自然な張りらしい。うっっすらお腹に鈍痛はあるが余裕でスマホいじれるレベル。お昼ご飯なにかなぁ。

持参したiPadでヒーリング音楽をかける。陣痛を耐えるにあたり、リラックスすることが大事というのを見かけたので、実践。→とても良かった!

また、この段階ではまだ自由に動けたので、身の回りを陣痛耐え仕様に整理。この日、天気は快晴。4月末だけど暖かかった。部屋の窓を開けて、エアコンも送風に。

○1200…昼ごはん
完食した。
後に全部食べておいて良かったと思う。スタミナつけないとこの後しんどい。

定期的にお腹の張りは来る(3-4分くらい)ぎゅーっとなるがまだ余裕。
私は、割と直前まで逆子だったので、胎動で蹴られていた時の方が痛かった。(逆子の場合蹴られると膀胱あたりに足がヒットするため痛い)

○14:00…点滴量がMAXに
このあたりから収縮時のぎゅーっがやや強くなり、生理痛のひどい時と同じくらいに。
間隔は最初から変わらず3-4分毎くらい。

心なしか下半身のかなり下の方や腰まで鈍痛が広がり、便意っぽい感じもする。なるほど、こういう感じね。←まだ分析できる余裕があったw

○1500 …痛みが徐々にきた
あ、これは結構しんどい。腰痛というか、下痢のような感じになってきた。
しかし、よく感じてみるとしんどいピークは30秒ほどですぎることがわかった。なるほど。

そこでipadで時計を表示させて、痛みがやってきたら秒針が半周することだけに集中する作戦に。
この作戦は自分にあっており、ここから先はずっと時計を見ていた。
人間、目処が見えていると耐えられるものだ…

また、私は分娩にのぞむにあたり、使い捨てのカイロをたくさん持参していた。腰回りをカイロで温めて、姿勢はあぐら。重心を下に下に持ってくるイメージで。
この体勢が自分には合っていたよう。

この辺りは痛みは結構あるが、まだ体力もあるし余裕もある段階なので、
いろいろと体勢を変えて模索。横になるよりも、あぐらのほうが自分にはあっていた。

夫とLINE「まだ耐えられるレベル」

○1515…おやつ、完食。
本日の点滴MAX90ml予定だったところ、いい感じで進んでるから120まで行こうかと言われ、100にアップ。
ちょうどおやつを食べていたが、本当の陣痛はお茶飲んでられないからまだ大丈夫そうだねと言われた。ひぃ。

この辺りまでくると、徐々にではあるが、確実に体力が削られる。しかし、この痛みのピークは指の切断だと思うと、まだこれは富士山のふもとだと思った。気を引き締めていこう

○1630…内診
子宮口7-8cm。点滴も120mlへアップ

腰の下が痛い痛い痛い。痛い痛い痛い。

しかし、人によっては耐えられない、発狂するいたみだと聞いていたので、まだ耐えられるレベル。

集中しないとリラックスできなくなってきた。集中してリラックスするというのも、ちょっとおかしな話だが、実際陣痛を迎えたことのある人ならわかってくれると思う。

○1715…分娩室に移動
分娩室へ移動することに。まだまだかかると思ってたので、もう?という感じ。

ここまでは余裕があったけど、分娩室から事態が急変。
というのも、私が楽な姿勢は上半身を起こして下に下に重心を落とすイメージだったんです。
でも、分娩台って仰向けになるじゃないですか。いざ、仰向けになってみたら、痛みが一気にきて(やばい!!!!!!!)となる。同じ陣痛なのに、個室で感じてたのとは別物。

そうこうしてる間に、助産師さんが「そろそろいきんで!」と指示出し。

ここで、私、盲点でした。

というのも、散々読み込んだ出産レポではいきみ逃しが辛くて、いざ分娩台でいきむ段階は、楽だったという感想が多かったので、いきみ逃ししかイメトレしてこなかったんです笑笑。
「い、いきむ?ど、どどどどうやって…?」状態。

で、陣痛の波に合わせて、とりあえずいきんでみると、体力の消耗がやばい。最初の数回は下手くそだったので、助産師さんにその場で指導される。出産ってほんと、ぶっつけ本番ですよね…。

○1745…子宮口全開

※これ以降、分娩直後、アドレナリンどばどば状態でメモとってたのでそれをもとに。

早く出さないと体力が尽きてやばい。長引けば長引くほどしんどい。
産まないと終わらないと悟る。
どんどん自分の体力ゲージ減っていくのがわかる。これさっさと本気出して出さないと自分が苦しくなるだけのやつ!!!!!

陣痛の感覚ももはやかなり短くなってきて、来る…!というのが身をもってわかるようになる。
いきまずに、逃すのを合間で何度かやったが、それはそれでかなりしんどい。ので、集中して一気に出さないと、先に私の体力が尽きて死ぬなと思った。

陣痛と陣痛のわずかな合間で水補給と呼吸を整えないと、次の陣痛で自分が苦しいだけ。余計なことをかんがえずに息を整えないとまじでやばい。

マスク苦し過ぎ。途中から怒られてもいいと思い、外したりしてました。(で、助産師さんにごめんねーと言われながらつけられる)だって苦しいんだもん。

あとはひたすら、陣痛の波が来たら「来ました!」と私から声をかけて、「次で行きます」と言い、それにあわせて助産師さんが指で出口を広げてサポートしてくれました。何度か、自分だけで息んだ時もあったけど、サポートがあるのとないのだと全然違う感覚。サポートのありがたさほんとやばい。

何度か、助産師さんが別の対応で離席して(といってもすぐ隣の部屋にはいる)、分娩台に一人で残された時の心細さといったら。

インターバルで助産師さんが「今のは良かった」「今のはちょっとタイミングがずれた。もっと最初に息吸ってからいきんで」とアドバイス。返事する余裕はないのでうなづきながら、水分補給と息をひたすら整えて次の波に備える。アスリートか。

頭の中は結構冷静だった。痛いっていうか、しんどいんだな、出産って。もう二度とやりたくない。次は絶対無痛にする、歯の治療だって普通麻酔するじゃん、痛みと母性は関係ないよ絶対、とか考えてた。

何が辛いのかって、痛みももちろんだけど、終わりが見えないのが辛い。あとどれくらいいだろう、あとどれくらいだろうと、ひたすら考えていた。
なので、助産師さんが進捗具合を細かく報告してくれるのが本当にありがたかった。「頭見えてきてるよ!」とか「もうすぐ全部でてくるよ」とか。

18:42
頭がある程度見えたところで、先生登場。ついでに破水。こちとら初産で非日常を体験中だが、助産師さんも先生も普通の勤務中という感じで、非常にリラックスしてたのが印象的。

で、誕生。ずるずるっと何かが出たのはわかった。
会陰はまあ普通に切開されましたが、全く気が付かず。
あーーーーーーおわったーーーー!!!!しんどかったーーーー!!!!
赤ちゃんが泣いてるのが聞こえたが、それよりも何よりも、終わったことに放心。

その後、胎盤もずるずるっと出てきた。見せてください!と写真撮りました。胎盤から臍の緒が伸びていた。結構臍の緒って長いんだ。

カンガルーケアはクリニックの方針でやってなくて、まずは赤ちゃんの体温や状態を確認。30分ほど?経ってから綺麗になった状態で対面。母性が湧くか?と期待してたけど、この時点では湧かず。赤ちゃんも泣かずに、周りをキョロキョロ見てたのが印象的。地球へようこそ。これからよろしくな!って感じ。

○1900-2100
分娩台の上で安静に過ごす。途中20分ほど抱っこさせてもらう。
ここで、この記事のメモをとっていました。
また、LINEで各所に生まれた報告など。

○21:00…部屋へ移動
分娩室から自分の個室まで30秒もかからない。(小さな産院なのでコンパクト)にもかかわらず、移動しますと声をかけられた時、車椅子が出てきたのはびっくりした。

そんなおおげさな…と思ったが、実際分娩台から体を起こそうとしたら自力で立てなくて、自分で自分にびっくりした。アドレナリンどばどば状態なので、痛みはもうそんなに感じてはいなかったが、体には瞬間的にものすごい負荷がかかっていたのだ。

個室移動後、その日の夕飯を残しておいてくれたので食べる。
かなりがんばって食べて半分くらい。2年経ったいまも、個室で一人夕飯を食べたこの瞬間を覚えている。

夫に改めて電話で出産報告。第一声「え、もう?!」夫は出張先で絶賛飲み会中だった。電話の向こうはざわざわしていた。こっちは静かな個室だったので、よけいに喧騒が響いた。やれやれ。

※夫のフォローをしておくと、午後にLINEしたときはまだ余裕があったので、実際に生まれてくるのは翌日だと思っていたそう。

生まれた後も面会は不可だったし、駆けつけることもできないので、この件に関しては別に怒りなどはない。でも、こっちが生きるか死ぬかの状態になっているのに、ビールかぁ〜いいなぁ男の人は。とは強く思った。一生忘れないであろう。

○22:00…就寝
その前に恐怖のトイレ。初回だけ助産師さんに付き添ってもらう。
なんとかおしっこだけ出る。多少しみたが、そんなに痛みはなかった。
朝、浣腸してもらっておいてよかった〜!便意感じても、出すのがほんと怖すぎる。

痛み止め飲んで就寝。
その後、電気は消すものの目が冴えまくって全然眠れず。結局朝5-6時になり、ようやくうとうとできたくらい。というか寝返りを打つのもしんどい。

この数時間後、午前から授乳指導と母子同室と聞いているがまじで?こんなにぼろぼろなのにいけるの?自分のトイレすら一大事状態なのに?この状態で、赤子の世話はじまるんか…?

と、ひとつの大きな不安が解消されたが、まだまだ未知の不安がおしよせつつ、出産自体は無事におわりました!

(そしてこの翌日、本当にぼろぼろの状態で赤ちゃんの世話スタートw。さらに、なぜかこのタイミングで帯状疱疹が背中にできて、あと陣痛よりも背中の痛みの方がすごくて、それしか記憶にない)

長々と書いてしまいましたが、読んでくれた人ありがとう。

これ以降は、出産前に考えていたことと、出産後に思ったことの答え合わせ的な備忘録です。

■誘発分娩は意外と良かった

今回、なかなか出て来ず、タイムオーバーになり誘発分娩になった。そのときは、人工的に陣痛を誘発することで、かきょう陣痛の可能性にびくびくしていた。

実際、振り返ってみると、入院の日取りが事前にわかっていたので、入院の準備も前もってできたし、心構えもできたので良かった。また、短期決戦になったのも、後から振り返ると良かった。

■夫の付き添いは不要


コロナ禍だったため、夫の立ち会い(というか産院へは一歩も入れなかった)は不可。個室だったがそこへの入室も不可だった。

最初は心細いな〜と思っていたが、入院する朝に出張に迎う夫と別れたあとは、もう頼りになるものは自分だけ!!!いざ出陣!!!!と潔く(?)切り替えができた。実際、分娩になったら夫はもうやることない。飲み物渡すくらい?助産師さんのほうが100倍頼りになる。

私の場合は、孤独に戦うほうが性に合っていたと思う。
また、分娩のピークは獣にならないと産めないので、夫がいなくて心おきなく野生に戻れた。

ただ!「こっちは死ぬ気で産んでるんだぞ?!!」というのを身をもってわかって欲しいので、そういう意味では「心細いのでそばにいて欲しい」とは思わないが、「しっかり見ておけよ?!」とは思った。

■出産の痛み

(出産前のイメージ)
どんどん膨らんでいくお腹を見て、陣痛がくるまであとどれくらいだろうか…。死刑宣告を待つ気持ちでいた。何が不安かって、痛みですよ…。鼻からスイカとか、チェーンソーでお腹切られるとか。でもいまいち想像できん。

ちなみに、陣痛の痛みは、骨折よりはるかに強く、指の切断よりは痛くないレベルだそうです。しかもそれが長時間続くという(初産の場合平均12-18時間。長い人は24時間をこえることも?!)怖すぎる。

(出産後振り返ってみて)
実際、出産をして、確かに相当痛いが、予想していた痛みではなかった。
陣痛の痛みは「骨折よりはるかに強く、指の切断よりは痛くない」という情報を見ていたので、これをピークに考えていたが、外科的な痛みではなく内臓的な傷みだった。

グサッ、ザクッみたいな鋭さがある痛みではなく、ゴゴゴゴゴゴという鈍い感じの痛みがメインだった。経験したことのある痛みで似たものは、足がつった時かなぁ…。あれの強力になったやつが、お腹でおこる感じ。自分の意思とは関係なく、定期的に筋肉が強制的に動く感じ。また、強力な下痢の感じもある。

会陰切開も最初に知った時は、なんて恐ろしいことをするんだ絶対やりたくないと不安になったが、もはや切開する際はそんなこと気にしてられないとわかったのでどうにでもしてくれという感じだった。そして実際に切られたが、気が付かなかったです笑。

むしろ、出産数日後、冷静になった状態で切開した会陰を縫う必要があり、そっちのほうが痛かった。

■やってよかったこと


①(分娩室に向かう前)陣痛が来たら、お腹・腰周りを温める
生理の時に、腰回りを温めるとかなり痛みが和らぐので普段からやっていることでもあった。
使い捨てのカイロを何枚もつかって、腰回りを汗が出そうなくらいがんがんに温めた。

②リラックスできる環境をつくる
陣痛をどこでやり過ごすのかにもよるが、長期戦にそなえて、体力を温存する必要がある。ここで無駄に体力を消耗すると、分娩時にきついと思う。

私は持参したipadでヒーリングBGMをかけたが、アロマとかも良さそう。
また、本当にしんどくなると動けなくなるので(特に付き添いがいない場合)、まだ動けるうちに身の回りを整えておいてよかった。

③時計の針を凝視する
レポにも書いたが、陣痛の痛みに耐える方法として、私は時計の針を凝視する作戦で挑んだ。
痛みにも必ず終わりが来ることを、秒針の針が教えてくれた。何もない状態だと目処が見えずしんどいが、あと30秒、あと20秒、あと5秒、と明確な数字として残りが見えるので耐えられた。

地味すぎる作戦だが、結構よかったですw

■産んだら母性は湧くのか?

(出産前のイメージ)
入院直前にこれを書いているが今の段階では、まだ実感はない。胎動はばんばん感じているが、よく動く内臓という感じで、自分の子!という感じはまだ持てない。よく、産まれた瞬間に痛みは忘れるし、こんなに大切な存在がこの世にあったなんて!という記事を見かけるが、本当にそのように自分の心境が変化するのか興味あった。

(出産後振り返り)
実際分娩直後はそのような余裕はなく、もうとにかく終わったことだけしか頭になかったw。
赤ちゃんを抱っこしても、母性や感動というより、「ついに産まれてきてしまったか、これからどうしよう」という感じ。

いつ母性が湧いたのかは果たして、2年近く経ついまも正直分からないが、子供はもちろん可愛いです。そして、自分の人生の主役が、私から子どもになったな〜とは常々感じています。また、出産を経て、子供がいるすべてのママに対して尊敬というか、同志よ!!!!みたいな連帯感が生まれました。

初めてみる海「やったー!」で嬉しさを表現(?)

まとめ

本当に長々と書いてしまった。でも、人生のうちで何度もある経験ではないし(初産は一度きりだし)。今回、メモ帳に残っていた走り書きをもとに、まとめましたが、当時の不安な感じを思い出しました。

これから出産を迎える人、自然分娩だろうか帝王切開だろうか、もちろん無痛分娩だろうが、みんな初めての出産は不安だと思う!未知の体験で、しかも最高に痛いと言われており、色々ぶっつけ本番すぎるので…。大丈夫!とは口が裂けても言えないし、産んだら産んだでまた別の大変さが年単位で待っているし。

でもせめて、この記事で少しでもイメトレができたら嬉しいです。読んでくれてありがとう。


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