男のローマンカラーに似た黒いシャツが、やけにはっきりと網膜に焼き付く。
2028年 冬 羽田空港
「三年間、何してたんだジョージ」
空港のカフェで、抹茶パフェを食べている目の前の牧師の男は聞いた。
男のローマンカラーに似た黒いシャツが、やけにはっきりと網膜に焼き付く。
この男はジョゼフのことを〝ジョージ〟と呼ぶ。
「生徒とはうまくやってるか?」
「ああ、」
「みんないい子だよ」ジョゼフはおでこの傷を擦った。
嘘だ。違う。嘘じゃない。
みんないい子だ。
ただ、問題があるなら私にということだ。
「みんなね」
昨日、フランスを立つ前のことだ。
最後の歴史の授業の後に、教卓を挟んで1人の女学生にカフェオレをぶっかけられた事を思い出した。 髪の毛の中を流れてくるあの雫の、いやな感覚を思い出す。 あの目を思い出す。
フラッシュバックを奥へ追いやり、目の前のコーヒーに手を伸ばす。ホットを頼んだのにアイスが来たのだが、まあいい。
ついでに、こっそりと左腕の時計を見る。
もう午後3時過ぎだ。
早く警察所に行きたい、という思いを隠してコーヒーを飲む。舌がものすごく冷たい。
こっちの思いを知ってか知らずか、牧師の男はいっこうに急ぐ気配はない。もはや、いじわるでわざと呑気な態度をとっているようにも思える。
「嘘だな」牧師が言った。
「な、なにがかね?」
「あんたは無自覚な嘘つきだからな」
牧師はかなり失礼ことを言った。いつのまにかパフェも食べ終わっている。
そして手元のお茶をぐいと飲み干し、「あんたの事だから、新手の新興宗教にハマったりしてんじゃねーかな、と思ってさ」とにやにやした。
「そ、そんなわけないだろう、」
母国語ではない日本語でそう答える。
日本語には慣れているつもりだが、しどろもどろになった。
身に覚えがあったからだ。
「至って真面目だ」
「ふぅん」
焦って見繕った言葉は、しりの座りが悪そうにぽつぽつと小さくなっていった。
牧師は興味なさげに、パフェの器に残っているふやけたコーンフレークをフォークの先で刺した。
今にも嘘がバレそうな気がするのは、この男のクマだらけの大きな目が時折こっちを射抜くように見つめてくるからだろう。何もかも吐き出してしまいたくなる。
真実をさらけ出したくなる。
この際、牧師だろうが、神父だろうが、坊主だろうが、誰でもいい。
洗いざらい話してしまおうか? 楽になるのなら。
ジョゼフはその衝動をぐっと抑えた。
「さて」牧師はやっと腰を上げた。
「警察からの封筒は持ってきたのか?」
「ああ。妻の身分証明書も持ってきたよ」
「じゃあ行こうか」
牧師はテーブルの端に置いてあった煙草の袋を握りしめた。
それを見たジョゼフは、スマホを出して暇つぶしの準備をした。
「まさか三年越しに遺失物通知がくるなんて思わなかったよ」
捨て台詞のようにジョゼフはつぶやく。そして歯にしるほど冷えたコーヒーを、最後に一口だけ飲んで、牧師の背中を追いかけた。
「日本人は親切だろ?」ロシア人と日本人とのハーフの牧師は振り向かずに言う。
「確かにな」
カフェを出た空港内は、作りかけのごった煮のスープの様にがやがやと喧しかった。
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