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「人の記憶なんて当てにならないから」


オレンジ色の光で居心地がいい。

熱いコーヒーの香りで、ジョゼフは自分の身体が指先まで和らぐのを感じた。



 ホテルから、歩いて二分の場所にある漫画喫茶は、黄色いビルの七階にあった。

 かわいらしい印象的のビルだった。少し奇妙だったのは、階段やらエレベーターの前に、やたらと小物がが置いてあったことだ。ガネーシャやら、インド風の小物、銀細工のアンティークなどが、そこかしこに置いてある。

 しかし七階につくと、店内はいたって普通の造りになっていた。


「隕石が落ちた、っていうのは本当なのだろうか?」


 観葉植物で仕切ってあるオープンシーツに牧師と二人腰かけた。

 座り心地のいいソファーにどっぷりと腰かける。

 ジョゼフは、壁に埋め込まれているディスプレイを黙って見つめながらつぶやいた。


「どういう事?」牧師は少年漫画から目を離さずに聞いた。

「別に。ただなんとなく」

 ジョゼフは長い両脚を前に投げ出している。

 目の前のディスプレイには、漫画喫茶の料金表が順番に流れている。

 3時間パック、1420円

 6時間パック、2110円…

「人の記憶なんて、当てにならないから」

「数字じゃないし」と続けた。



※※※※※※※※※



 大学生の頃、ジョゼフの住むマンションに不審者が現れたことがあった。


 インターホンに出ると、そこに見知らぬ男が立っていた。

 その時、ジョゼフの部屋のインターホンは壊れていた。

 画像が乱れていたうえに、音声はろくに聞き取れないほどノイズが混じるようになっていた。だが郵便物を待っていたことも重なって、簡単に一階のオートロックを置けてしまったのだ。画面も見えず、音声もろくに聞き取れなかったのに、だ。


 部屋の前まで来た男は、扉にびったりとくっ付いて、ジョゼフの兄の名前を喚き散らした。


「イザーク! 中にいるのはわかってるぞ」そう言いながら、ナイフを握った手でドアを激しく叩く。

「いるんだろ? 出てこいよ。ぶっ殺してやる」


 しばらく声を殺していたが、その間ずっと生きた心地はしなかった。

 静かになってから、ドアに近づきのぞいてみると、男はまだ覗き穴の下に頭をくっ付けて立っていた。ジョゼフはやっと警察に通報した。

 犯人は捕まらなかったが、その時の警察官とのやり取りを、今でも覚えている。

 つい十分前の出来事を、順を追って話せない。

 パニックを起こして説明できない。

 記憶が飛び飛びになる。


「インターホンは壊れていて音が聞こえなかった。画面もよく見えなくて、宅配便だと言われたからロックを開けた」などと、支離滅裂なことを喋った気がする。


 後に、兄からメールで謝罪された内容によると、喧嘩相手にジョゼフの家の住所を言ってしまった、だとかなんとか。

 まあ、もともと気が短い上に、人を煽るタイプの人間だったので、兄が誰に恨まれていようが不思議には思わなかったが、問題はそこじゃない。


 あの時、ジョゼフが本当に〝宅配便です〟という声を聞いたのかどうかだ。

 壊れたインターホンで? 思い込みではなかっただろうか?

 警察の手前、自分は悪くないとう保身からの虚言だったのではないのか?

 頭は真っ白だ。


 ただ、あの事件で一つはっきり分かったことがある。


 〝記憶は当てにならない〟ということだ。



※※※※※※※※※



「でも気になるってわけだ? なんで隕石じゃないと思う?」

 牧師は単行本から目を離して、ジョゼフの方を見た。

「今じゃあんたが一番の当事者だからな。実際どうなんだ? あんたはあの日、落ちてくる隕石を見たのか? 見てないのか?」

「言っただろ、記憶が曖昧なのだよ」

 牧師は大きく胸で息をして「そうだよな」とつぶやいた。


「実際あれは隕石じゃないって言ってるやつの方が多い。なんせ映像がひとつも出てないからな。ニュースでも、SNSでも」

 牧師は、手にしていた漫画をテーブルに置き、スマホを取り出した。

「たしかに変だよな? 富士山が半分抉れるだけの隕石が落ちておいて、周辺住民の話じゃ、少しの粉塵も上がらなかったって噂だし」


 店内左側の大きな窓からは、黒い富士山が見える。

 今もどこかの登山ルートに灯りが燈っているようだ。立ち入り禁止区域なのだから、軍か、研究所の連中か。


 たしか吉田ルートの五合目は無事だったと、昔ニュースで見たような記憶がある。

 が、それも曖昧だ。確信を突くような現実を自らで避けているのではないだろうか、と最近では思うようになった。


「なぜ出てこないんだ?」

 ジョゼフはディスプレイから目を離さない。

「なぜ報道しない?」日本を訪れると疑問がわく。


 不可思議な国だとつくづく思う。

 最近はその不思議のベクトルが、あらぬ方向に向かっているのではないか、と感じる。言葉ではまだ言い表せない。


「政府に隠し事が多いのはどこの国も同じだろ?」

 牧師は鼻で笑った。

「それはそうだが…」

「なあジョージ」

 しばらくスマホを弄っていた牧師が、あらたまってジョゼフを呼んだ。

 ゆっくりと声の方を向く。


「これお前?」

 牧師は手に持ったスマホの画面を、ジョゼフの方に向けて突き出した。

 一瞬では何の画面かわからなかった。なにかの記事だ。

 見覚えがあった。

「この間Ⅹ見てて見つけたんだけどさ、ここに写ってんのって、ジョージ?」

 海外の記事だ。

 各国のカルト集団についての記事だった。

 フランスの新興宗教〝 bé six douze 〟と書かれている。


 ジョゼフは、頭のてっぺんから冷水をかぶったように身体が冷えていくのを感じた。


「な、なんの記事を見ているんだ? 今、今そんな話していないだろう」

 「わ、私じゃないよ」、と続けたが声は震えた。

「あ、そうなの? いやね、たまたま見つけたんだけどさ。なんか、ここの奥に写ってるこの背の高ぇおっさん、ジョージに似てるなあと思ってさ」


「額の傷なんか特に」、と言いながら、牧師はスマホを突き出してちらちらとジョセフと見比べるフリをした。

 楽しんでいる顔だ。この男。

「き、君も暇だな。そうやってSNSばかり見ているのかい?」

「〝ベ・シス・ドゥーズ〟(bé six douze) ってどういう意味? フランス語?」

 牧師は人の話を聞いていない。

 牧師が早速Googleを開いているのに気付いたジョゼフは、調べられるより先にあわてて説明した。


「フランス語で〝 B612 〟だ。君は分からないと思うから教えるが、ちょっと有名な小説の星の王子さまに出てくる小惑星番号だよ、なん、なんで今そんな事が気になる? 君は集中力がないのか」

「なるほど」

 牧師はにやにやしながら「ダッサ」とつぶやいた。

 なんてデリカシーのない男だ。

 前前から少し気になっていたが、改めて思う。


「なんて、」ジョゼフは言葉を失う。


 ジョゼフは元々、信仰心の極めて低い人間だった。

 だが妻を失ってから通うようになった教会で、偶然出会った女に誘われて入会した。 「あなた悲しい顔をしてるのね」そう言われた。

 入会したら余る時間が減った。

 自暴自棄だった心が幾らか楽になった。


 ジョゼフの家はカトリックだったが、家を出てからは碌に聖書を読むこともなかった。時間が空いたからふらふらと通うようになったのだ。

 そう、時間が空いたからだ。

 妻と過ごしていた大量の時間が、まるまる余るからこんな羽目になったのだ。



 ジョゼフは口を噤んで、牧師に中指を立てた。

「ごめん、嘘」

 怒らないで、と、牧師はふざけた調子で言ってくる。

 別に怒ったりはしないが、気分は悪い。

 少しは態度に出した方がいいのだろうか? とジョゼフなりに対応したつもりだった。


 と、その時。


二席分あけたソファーから、誰かがおずおずと声をかけてきた。

「あのー、」大学生くらいの若い男だ。


 ジョゼフは「しまった」と内心焦った。

 何てことだ。こんな静かな場所で騒いでしまった。

 ジョゼフは日頃から、迷惑な外国人の部類にはなりたくないと常々思っていたので、自分がすでにその部類に成り下がっていることに気付きショックを受けた。

「すいません、煩くしてしまって」

 すぐに謝ったが、パーカーを着た若い男は見当違いのことを口走った。

「さっきの話、切り上げました?」

「はい?」

 大学生だろうか。ノートパソコンを膝にのせたまま、ジョゼフたちの方をまじまじと見つめている。

「ほら、さっき話てたじゃないですか。富士山の隕石のはなし」

 若い男は人差し指を立てて、くるくると回しながら話した。

 黒いキャップのつばの下で、なんとも微妙な表情を浮かべている。


「僕、動画持ってますよ」


「はい?」ジョセフは聞き返す。

「2025年12月27日の富士山の」


 若い男の大きな口の端が、少しだけ持ち上がった。


「見たいです?」



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