タリバンと一帯一路

先日、タリバンがアフガニスタンの首都カブールを奪還し、新政府の樹立を宣言した。外国勢力によって支えられた政府は長続きせず、国内から現れた勢力が、最後には民衆の支持を獲得する。当然の成り行きである。

ここで、タリバンが中国政府と親密な関係を保っていることは重要である。アフガン人は中国の一帯一路政策に期待を寄せている。中央アジアの国々は、18世紀ころまでシルクロード貿易の中継地として繁栄していた。しかし、蒸気船の発明によって海を利用した貿易が盛んになると、内陸部の貿易ルートはほとんど使われなくなってしまった。それに伴って中央アジアの人々は仕事を失い、国力が衰えてゆくことになる。

中国共産党が東トルキスタンの統治に手を焼いているのも、結局はこれが原因である。ウイグル人には仕事がない。むかしは東西貿易の中継によって富を得ていたが、いまは目ぼしい仕事もなく、職にあぶれたウイグル人が中国内地で窃盗を繰り返すこともあった。共産党の一帯一路政策は、中央アジアに雇用を創出し、人々に安定した生活を保障するものだと言える。アフガン人がこれに期待するのも道理である。

一帯一路は中央アジアの復活を意味するものとして理解され、その期待がアメリカ寄りの暫定政府ではなく、中国寄りのタリバンの背中を押す形になったのだろう。彼らに必要なのは仕事であり、それはアメリカによってではなく中国によって与えられるという認識がある。これが上手く行けば、アメリカよりも安定した統治が中国によって実現されることとなる。だが、果たしてどうか。
 

そもそも一帯一路とは、鉄道によってユーラシアの各地域を結び、物流や交易を盛んにする計画である。中国国内の豊富な資源とあり余る生産力を国外に放出し、周辺国のインフラ整備に投資して、より大きなリターンを期待する。上り調子の中国経済にとっては、まさに当を得た試みだと言える。

問題は、それが思い通りの成果を上げるかどうかである。投資にはリスクがつきものであり、思ったほど利益が上がらない場合は、中国側が一帯一路から撤退することもありうる。そもそも、交易を行うには商品が必要であり、商品を生産する能力が低ければ、交易によって利益を上げることはできない。ゆえに、中国はインフラ整備とともに、各地域における産業の創出も同時に行う必要がある。さもなければ、期待したほどの利益は得られないだろう。だが、それには長い時間が必要である。

ウイグル人への虐待と言われていることが、共産党による産業振興の一環なのだとしたら、問題の解決からは程遠いと言わざるをえない。彼らはウイグル人に職業訓練をしているつもりだろうが、当のウイグル人にとってはありがた迷惑でしかない。その困惑がアフガニスタンにまで伝わったとき、彼らは次に何を選ぶだろうか。

中国の覇権

毛沢東時代の反動からか、いまの中国には経済成長至上主義の雰囲気がある。彼らは共産主義の理念を忘れてしまった。かつてエコノミック・アニマルと呼ばれた日本人のいまの姿を見れば、理念なき利潤の追求がどんな結果を生むか、彼らにも分かるだろう。

中国人は鄧小平時代の成功体験を国外に持ち出そうとしている。それは同時に、日本人の成功体験でもあったはずだ。戦後の日本が辿ってきた歴史を、彼らは日本よりも速いスピードで繰り返している。我々は一体どこに向かっているのか、どこへ向かうべきなのか、誰が知ろう。
 

一帯一路には、中国の覇権を強化する目的もあるだろう。しかし、覇権とは安定でなければならない。覇権国家が秩序を作り出すことで、それは維持される。周辺国家が中国に従う利益は薄いと判断すれば、覇権は消えてなくなる。必要なのは武力でも経済力でもなく、道徳である。

租税の復活

私は、貨幣経済を一度破壊するべきだと考えている。そのためには、税金をやめる必要がある。税金ではなく、租税を徴収しなければならない。農耕民からは米を取り、遊牧民からは羊を取り、それを税金の代わりとする。税は全て現物で納め、納めるものがない場合は、労働力やサービスを政府に提供する。貨幣は一切取らない。

そうすることで貨幣の信用は失墜し、貨幣に依存しない新しい経済が生まれる。我々は、銀行による裏付けのない政府を作る。本当の意味で、国民の信用によって成り立つ政府である。

共産主義と資本主義は双生児である。それらは拝金主義の表と裏を象徴している。我々は、貨幣経済そのものから脱却しなければならない。共産主義も資本主義も、もう役に立たない。

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