創作エッセイ(67)日本大正村(岐阜県恵那市明智町)

 好天に誘われて、自動二輪で東濃の春を味わいに出かけた。目的地は日本大正村。
 日本大正村は恵那市明智町の財団法人である。1988年(昭和63年)開村だが、構想自体は1983年から始まっている。


近代史をコンテンツ化した地域おこしの先駆け

 開村当時、名古屋市の広告会社営業マンだった私は、この「地域おこし」としてのプロジェクトに興味をそそられた記憶がある。愛知県犬山市の博物館明治村のように、集めて保存する博物館という閉じた施設ではなく、地域に残されている大正・昭和前期の建物や町並みの情景を、「大正ロマン」というコンセプトでコンテンツ化する。従来の観光地は、江戸時代とか平安時代、戦国時代など近代以前の歴史をコンテンツとしてきたが、この昭和最後の年に開村した街は、「大正」という近代の歴史を持ってきたのだ。
 その後、東名古屋市の「昭和日常博物館」などが続々と現れるが、その先駆けとなったのが日本大正村だった。

戦災を受けてないからかなあ
坂道も絵になる
町中に残る医院建築

レトロを商品化した地域おこし

 レトロとはレトロスペクティブの略語で、「懐古趣味」の意味。伝統を重んじる権威主義的な回顧ではなく、サブカル的にノスタルジーを味わう軽さがある。
 私が最初にこの言葉を知ったのは、1979年の雑誌「ポパイ」におけるフランスでのレトロ・ブームの特集だったと思う。当時のレトロ趣味の対象は1930~50年代。
 今、平成時代が、平成レトロとして語られていて、改めて「俺は老いたんだなあ」と苦笑いだ。

東濃エリアの魅力

 二輪で訪問することが多い。特に県道66号、33号などの山間道を走っていると、周囲に広がる里山風景や、青空を背負った恵那山とその後ろに続く中央アルプスなどが目に入る。これが、抗うつ剤を常用していた会社員時代からの「週末の癒やし」になっていたのだ。
 特に目的を持たなくても、定期的に四季折々の東濃が見たくなる。それは山間の山桜であり、藤の花であり、新緑であり、紅葉であり…。

自作の舞台にもした

 この明智町をはじめとして東濃地区は魅力的なエリアである。池井戸潤氏の「ハヤブサ消防団」も東濃地区の八百津町が舞台になっている。明智町に隣接する岩村町は朝ドラ「半分青い」のロケ地にもなっている。
 実は私は自分の「尋ね人」という作品の舞台としてこの大正村をちゃっかりと描いている。90年代初頭、岐阜営業所に勤務していた時、サブノートPCが全社員に支給された。搭載されていたワープロソフト「一太郎」に慣れるために、そのマシンで作品を書こうと決めた。営業マンとしての日常に差し障りが出ないように、商売品である「新聞広告」をモチーフに、日常的に動き回る岐阜県内を舞台にして、岐阜へ転勤してきた営業マンを主人公にして作品を作り上げたのだ。

表紙

 おかげで、仕事の合間に一ヶ月で書き上げた。公募とか特に意識していなかったが、サブノートPCでのどこでもタイピングの気持ちよさに体が慣れてしまい、その後、NECのモバイルギアを経由して、現在のキングジム・ポメラ信者になる下地が生まれたのだった。
日本大正村

(追記)
 拙作「尋ね人」は、作品集「盂蘭盆会○○○参り(うらぼんえ ふせじ まいり)」に収録されています。
盂蘭盆会○○○参り(うらぼんえ ふせじ まいり)

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