創作エッセイ(52)自動二輪と私

自動二輪の免許を取ってから44年が過ぎた。今でも250ccの自動二輪に乗っているオールド・ライダーだ。今回はそんな回想。

オートバイが自由の象徴だった時代

 私が自動二輪の免許を取ったのは22歳の時である。先に普通自動車の免許は取得していた。きっかけになったのは、春休みのバイトに、豊川市にあるスズキ自動車の二輪工場でバイトしたこと。ほぼ二か月の間、エクアドル向けのバイクを組み立てていたので、バイト明けの4月に早速教習所に向かって免許を取ったのだった。教習所で乗っていたのがこのホンダのホークⅡ。

当時の教習車

 無事に免許を取得した後、バイトの残金で購入したのが中古のカワサキKE125である。当時は雑誌「ポパイ」などでバイク特集が組まれたり、「ミスターバイク」誌が創刊したり、小説でも片岡義男さんのいくつもの作品でバイクに乗る青年が出てきたりして、モーターサイクルは自由や反骨や流浪などの象徴であったのだ。

初めての愛車

 やがて、就職と同時に上京し、上野の店で購入したのがこちら。カワサキZ400LTD。当時は中型、今は普通二輪と呼ばれるクラスである。

ファクトリーチョッパーと呼ばれた、国産アメリカンの元祖みたいな存在

 このマシンでは鎌倉まで行った。退職後は寮から荷物を送りだした後、このバイクで名古屋まで戻ったのだった。ただつまらないことで金が必要になり売却した。会社員生活を続けて、結婚して子供もできて、もう二度とバイクには乗れないのではないかと思っていた。

ライダーに戻るきっかけは給与の減額

 40歳を過ぎたころバブルがはじけた。勤務先はグローバル・スタンダードの言い訳で能力給制度を導入。若いころの無理で体を壊した高齢社員(要は俺な)は一気に新人並みに給与が落ちた。今まで、年功序列で今に給与は上がるから、と我慢を強いておいて、上がる前に制度変更かよと涙目の俺。
 少しでも出る金を減らそうと、通勤手段を鉄道からバイクに変えた。月額25000円の定期代を、月額ローン16000円、ガス代3000円に替えて、6000円ほど浮かすことができることに気づいたのだ。そこで購入したのがこのスクーター。

17年ぶりにライダーに復帰

 三十代なかばから抗うつ剤をのみながらも、なんとか53歳まで会社員を続けられたのは、自動二輪による行きかえりで、気持ちをリセットできていたからに違いない。小説を書けないストレスを軽減してくれたのだ。
 この後、ヤマハのマジェスティシリーズを4台乗り継いできている。そのうちの2台は、バイク便の受託ライダー時代にそれぞれ10万キロほど走っている。

現在の愛車、黒後家蜘蛛号。

 以前は、「なぜバイクに乗るんですか?」という問いに「一人ぼっちになりたいからさ」などと嘯いていた私ですが、アニメ「スーパーカブ」の主題歌「まほうのかぜ」の中に、

昨日よりすこし遠くまで、
君とならこわくないどこだって、
私ひとりではつくれない風だ、

という歌詞がある。今思うとバイクに乗ってるときは決して一人ぼっちではなかったような気がするのだ。

(追記)
 私の会社員時代からバイク便ライダー、派遣社員時代を描いた自伝的作品が「青空侍58 人生はボンクラ映画」である。いろいろ差しさわりがあるので別名義。


また、当時の心境を描いたショートショートをNoteにもアップしている。
名古屋高速」

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