メタバースの経済圏にNFTは必要か?

今回は「メタバースの経済圏にNFTは必要か?」を書いていきます。最近話題の「メタバース」では、メタバース上で経済圏をいかに構築するか議論がかわされています。経済圏構築には、ネット上のデータの価値が鍵になります。

ただ、これまでの『ネット上のデータの価値』は”幻”だと言われたら?

「そんなはずはない、すでにネット上では無数のデータが売買され経済圏はある」と言いたくなります。私も同じように考えていました。

ここから私の昔話をしていきます ───

─── 例えば、ソシャゲの”魔法石”は、分かりやすく”ネット上”の価値あるデータに見えるよね。スマホでゲームにアクセスし、ネット決済を通じて手に入れるから。ただ、これはゲーム内という”閉じた世界”での話だ。ゲームの外では通用しない”幻”のような価値を買っているんだよ。

私「うーん?」

よく考えてみて。”魔法石”を買ったとしても、”魔法石”そのものは、外の世界=オープンな『ネット上』に取り出しができないだろう。仮にメルカリやヤフオクで”魔法石”が売買されていたとしても、それはゲームの中で遊ぶためのもので、”魔法石”のデータを価値を保ったまま『ネット上』に取り出せないんだ。ゲームの外に出たら通用しないデータであり、”幻のような価値”を買っているんだよ。

「ううむ」

”魔法石”も”スタンプ”も”電子書籍”も”創作データ””も、”閉じた世界”で価値を認められているだけだよ。”閉じた世界”を管理する企業が、その価値を支えているんだ。これらのデータは、”閉じた世界”の外のオープンな世界=『ネット上』に価値を保ったまま移せないんだ。

「ダウンロードするゲームや画集などは、ちゃんとお金を払って、価値あるデータが自分の手元にあります」

ローカルにダウンロードしているなら、それはもう『ネット上』じゃなくなっているよ。まあそれはいいとして、そのデータを、”閉じた世界”を超えて、オープンな『ネット上』に持ち出そうとしてみてほしい。”閉じた世界”から持ち出せないか、『ネット上』は”閉じた世界”と違ってコピーが無限にできるから価値を保てないだろう。オープンな『ネット』には、”閉じた世界”を管理する企業の力が及ばないからさ。

「ネットでイラストを発注するサービスも、お金を払って、自分だけのイラストデータが手に入ります」

これもよくある誤解だよ。じっくり観察してみて。『ネット上』のイラストデータに対して価値がついているわけではないよ。支払ったお金は、”現実世界での労力や納品された創作物”への対価だ。ネットで決済しているだけで、『ネット上』のイラストデータ自体に価値を持たせられたわけではないんだ。手に入れたイラストを『ネット上』にアップロードしたら、勝手にコピーされてしまうから、価値が保てないことは想像がつくだろう。

念のため、創作物に価値がないと言っているわけではないよ。『ネット上』に創作物のイラストデータを置いてしまうと、価値が保てなくなるということさ。紙の本にしたら価値を持たせた状態で売れるのにね。だから、”ネット上”で価値がついているように見えても、それは”閉じた世界”での話で、”幻の価値”になっているんだよ。

「別にそれで構わないですよ。それぞれの”閉じた世界”で通用する価値があって、実際にお金のやり取りがされているのだから、経済圏も作れているでしょう」

そういう考え方もあるよね。ただ、それをくつがえす新しい技術が出てきているんだ。いまから話す内容を知れば、現実の世界と比べると、いかにいまの”ネット”が異常な世界かが分かるよ。その上で、”閉じた世界”のままでいていいかは、一考に値すると思う。

「いまの”ネット”は、そんなにおかしいとも思ってませんから」

まあまあ聞いてよ。

君が紙の本を買うとき、手元に物理的な本があり、実際にモノを所有しているよね。いま君の手元にあるということは、価値あるものを自身で管理していることになる。購入したあとは、本を販売した企業でも、手元の本になんら影響を及ぼせない。

「そうですね」

じゃあ、今度は”ネット”で価値がついていると思われている電子書籍で考えてみよう。君が購入して保有していると思っている電子書籍は、自分の「所有物」ではないのだよ。

「どういうことですか?」

分かりやすい例で説明しよう。とある電子書籍店で、ある人がこれまで数千冊の電子書籍を購入していた。ある時、その人のアカウントが規約違反で、これまで買ってきた電子書籍をすべて取り上げられちゃったんだ。実際にこうしたことはけっこう起こっている。もし紙の本であれば、自分の手元にあるので、書籍を取り上げられることはなかったはずだよ。この電子書籍やその価値は、その人が本当に”持っていた”と言えるのかな。

「それだけ聞くと微妙な感じですね」

電子書籍の購入者は現実世界と違って、”本そのもの”を保有しているわけではなかったんだ。個人が、”閉じた世界”を管理する企業に対して気に障ることをすると、自分のモノを取り上げられることがある...。国家ならまだしも、いち企業がそんな権限を使ってくるなんてちょっとひどいよね。

でもさ、これは、電子書籍含め”閉じた世界”のデータすべてに言えるんだよ。”閉じた世界”のデータや価値は、自分が本当は持っているわけではない”幻”のようなものだったと言えないかい。

ところで、君がいま価値を感じている”ネット上”のデータとやらは、すべて、特定の企業が”閉じた世界”や、『ネット上』ではないローカルにあるんじゃないのかな?

「・・・そうかもしれないですけど、こんなのはレアケースだから、このままでいいですよ」

これまでと同じ”閉じた世界”にとどまる覚悟があれば、ここまでの話は一切気にしなくていいよ、現時点ではほとんどの人にとっては問題はないだろうからね。

「なるほど?」

インターネットが世の中に登場した時と同じさ。最初は、こんなデジタル上の世界なんか”虚像”だと、世界中の賢い人も散々叩いていたよ。ただ、だんだん世界中の人々がその利便性に気づいていって、いまやインターネットを使わないと、日常生活も仕事もできなくなってしまった。

今後、現実の世界と同じように、あらゆる『ネット上』のデータにたしかな価値を持たせる、いや、正確には価値を復元することができる時代になる。インターネットと同じく、人類にとって欠かせない存在になったとき、君は古く”閉じた世界”で、”幻のような価値”を信じて住み続ける覚悟があるかい?

「そうなってみないとわからないですよ。それに、なんでそこまで『ネット上』に価値を持たせたがるんです?」

現実の世界で価値があるものは、本来、『ネット上』でも同じ価値が付くはずなんだ。ただ、これまでは『ネット』上にあるデータはデジタルな存在だから、無限にコピーができて、価値がゼロに近づいてしまっていた。現実世界と違って、本来価値があるものでさえ、価値が付かなくなっているという”異常な状態”なんだよ。

いまは無理やり”閉じた世界”の中で”幻のような価値”で満足させられている、とも言える。オープンな世界である『ネット上』でも、ちゃんと価値を復元することができたら良いだろう?

「仮に、『ネット上』で現実世界と同じように価値を復元できたとして、お金儲けをしたいだけでしょう?」

現実世界に近づけたいだけだよ。現実の生活や仕事が『ネット上』で表現される時、現実で価値が動くものは、『ネット』でも価値が動くべきと思うんだ。ただ、なんでも「お金」を絡めるべきとも思っていない。

例えば、現実世界におけるボランティアなど無償の活動は尊いものだ。もし、オープンな世界の『ネット上』で価値が付けられるようになったら、『ネット上』の無償のボランティア活動はなおさら尊い行いになるだろう。

現実世界で1,000円の価値だったものが、”閉じた世界”でしか価値を保てず、オープンな世界の『ネット上』だと0円に近づいてしまう”異常な世界”を正して、現実に近づけたいだけなんだ。もし、それも不満なら、現実世界の資本主義の仕組みも変えないといけなくなるね。

「そういって、現実世界で1,000円しかない価値を『ネット上』で100万円など高値にして売りつけようとしているようにも聞こえます」

高い金額で売れることが、悪い事のように思い込むのはちょっと違うかもね。よく知られているように、価値がどう決まるかは市場原理に委ねられている。つまりは需要と供給のバランスさ。『ネット』を通じて世界につながると、より多くの人たちから、需要が集まるなら、結果として、現実世界より高い金額で販売されることもある。

供給を絞れば1点あたりの金額は高くなるし、供給を広げれば価格はおさえられる。コンビニで売っている「おにぎり」みたいに大量生産される商品を思い浮かべてみよう。10万人が欲しい商品を10万個作ったら、100円くらいの適正な金額になるよ。逆に、戦時中で100個しかおにぎりが供給できなかったら1個何万円もの値段になってしまうこともあるだろう。

「供給を絞るって言いましたね。無限にコピーできるデータをネット上で価値をもたせるなら、コピー防止の機能が必要ですよ。どうやって防ぐんです?」

みんなそう考えてしまうんだよね。”無限にコピーできるのが問題なら、コピーできないようにする必要がある”、と。でも、実はそう考えなくてもいい、『コロンブスの卵』的なアイディアが生まれたんだ。

『ネット』はデジタルなデータを取り扱う場所だ。データである以上、無限にコピーできる特性は変えられない。だったら、無限にコピーができる前提で考えればいいんだ。実は、これは現実の世界でもごく普通の考え方だったんだよ。

最近よく、限定300足のスニーカーを作るようなメーカーがいるだろう。物理的なスニーカーの話だ。購入のためにファンも行列を作って大人気さ。

みんな、メーカーが同じスニーカーを無限に作れることは分かっていても、その限定300足は特別な価値を持つ。見方を変えると、メーカー自身が無限に作れるスニーカーの中で、300足を『本物』と区別して販売しているんだ。

これはなにもプレミアムな価値をつけるだけの話じゃない。世の中で100万枚売れるフリースでも同じさ。価格は需要と供給のバランスで決まるから、100万人がそのフリースを欲しいと思っていたら、1着2,000円とか、ふつうの価格で売れる。メーカー自身が『これが本物』と宣言して販売すれば、そこには一定の価値が保てるんだ。

『ネット上』のデータも無限のコピーの中から、『これが本物』と区別してあげればいいだけだ。これまでその区別がなかったから、供給が本当に無限大になって、『ネット上』での価値がゼロに近づいてしまっていたんだ。これは現実の世界から考えると”異常”なことだよ。

「無限にあるデータの中から勝手に『本物』と決めるのってなんか変ですよ」

そうかい?現実世界でも当たり前のように行われていることさ。冊子を100部刷ってイベントで販売する時、余分に10部くらい予備で持っておくだろう。不正をしないなら、『本物』はあくまで100部だけだ。でも、完売したあとも、まったく同じ冊子が10部余っている状態になっている。

しかも、紙だからそのあと何冊でも刷れる。冊子を作る人が、『本物』の数、つまり販売する数を勝手に決めているんだよ。

”閉じた世界”では、その世界を管理する企業がその在庫数を100部なら100部と決めて、勝手にデータを操作できないようにして、その約束を守るから、”幻の価値”が保たれるんだよ。ところが、オープンな世界の『ネット上』では、誰もが勝手にコピーで在庫数を無限に増やせるから、価値が保てなくなってしまうんだ。

「正直あまり解せないんですが、いったいぜんたい、なにが言いたいんですか?」

ごめんごめん、別にこれまでのことを否定したいわけではないんだ。これまで当たり前だと思っていた考えは、地動説と天動説のように、突然ひっくり返ることもあるということがあるってことを伝えたいんだ。もちろん、押し付けることはしないから、考えを聞いたあとに、自分で取捨選択をすればいいよ。

ちょっと大きな話をすると、人類が今後どういう社会を創っていくか、思想の話なんだよ。

例えば、村の村長が、その”閉じた世界”の中で、これは村に伝わる秘伝の書である「書物」だといって村人には”貸し出し”だけしてくれる社会と、村人が実際にその「書物」を自分で保有できる社会ならどちらに住みたい?

「それはできれば、自分がちゃんとその書物を保有している社会のほうが平等に感じますよ。事実、いまの現実の世界ではそうなっていると思います。紙の本の例のように。秘伝の書の貸し出しに利権が生じたら、なんだか村長が偉くなりすぎて、ほかの色々なことに権力を使ってきそうじゃないですか。でも『ネット上』だと違っていたということですか」

まさにそうだね。

君もよく知っているように、インターネットは誰のものでもないよね。それはプロトコル(共通規格)だからだよ。みんなが同じネットワークの規格を使って、世界全体がフラットに繋がり合えるんだ。一方で、”閉じた世界”は、特定の企業が管理して独自の規格を用いている。

”閉じた世界”同士を繋げようとしても、それぞれの世界の中央集権的な存在が利害関係を考えて、断絶されてしまう。共通規格を制定してAPIで繋げようとしているけど、それぞれの規格が共通になっていないからうまくいっていない。しかも、相手のほうが強かったら”閉じた世界”のままのほうが利益が守れることもあって、オープンにするメリットがないんだ。

だから、『ネット上』のデータを特定の企業に管理させないような、インターネットのプロトコルのような規格が必要だったんだ。

もし、『ネット上』でも、「自分がちゃんとその書物を保有している社会」を実現できるとしたらどうだろう。実は、つい最近、それが実現できそうな技術が発明されたんだよ。でも、まだまだその技術は粗削りで、これからもっと技術発展していかないと社会浸透は難しいのだけど可能性はある。どうやって実現するか気になる?

「聞くだけは聞きますよ」

超ざっくりいえば、「『ネット上』のデータをみんなで管理する」。これだけだよ。これまで”村長”が1人で管理していたから、いろいろな問題が起こってしまうのだったら、みんなで管理すればいい、というシンプルな発想なんだ。技術的には難解だし、管理というよりは検証なんだけど、小難しくならないようにざっくりね。

例えば、「書物」をみんなで管理している『ネット』に記録しておく。最初、村長が「書物」を持っていたら、それを君に「書物」を渡したというログを、みんなが管理している場所に記録しておくんだ。みんなが見ているので、確実に”村長”から君に「書物」が渡ったことを、”村長”を含めて村人みんなで認めることができるんだ。

こうすると、”村長”が変な権力も発揮できなくなるから、村に住む村人たちがより平等になる効用もある。場合によっては、独裁国家並の権力を発揮する”悪い村長”が出現するのも防げるよ。

ここまでは村の例え話だけど、次は『ネット』全体で考えてみようか。君が創ったイラストデータがあるとする。このデータを”閉じた世界”にアップロードすると、一見、価値をつけてその中では販売でき、価値がついたように感じていたよね。でもそれは”幻”さ。

ここでさっきの技術で、『ネット』にいる世界中のみんなで、イラストデータを登録した記録を認めたとする。

君が登録したイラストデータは、いま君の手元にあるけど、オープンな『ネット上』のみんなで管理されているから、君から地球の裏側にいる『ネット上』の人にも、現実世界と同じ価値をつけて販売することができるよ。

そのデータの存在と価値は、世界中のみんなが認めているからね。高値で売る必要はない、ただ、”幻”ではないちゃんとした価値をつけて、『オープンな世界』で販売できるということが大切なんだ。

これまでの”閉じた世界”の場合、君の創ったイラストデータを外のオープンな世界=『ネット』に持ち出そうとしてもできなかった。管理する企業が勝手をさせないようにしていたからだ。もし、『ネット』にデータを持ち出せても、今度はコピーが無限にできるから価値を保てなかった。需要と供給の市場原理で供給が無限になり、『ネット上』での価値はゼロに近づいてしまっていたんだ。

その新しい技術は、『ネット上』のデータはコピーが無限にできることを前提に、どうやって人がそのデータを所有できるかを考えて作られたものだ。君のパソコンの中に同じイラストデータをコピーして10個のファイルがあるとする。このうち1つを選んで、世界中のみんなで管理する場所にイラストデータを登録するんだ。

すると、登録したイラストデータが『本物』で、その他のデータは複製されたレプリカという区別がつくようになるよね。『本物』のイラストデータを君が持っていたら、それを地球の裏側の人にも価値をつけて渡せるようになるってことだ。

もし、”閉じた世界”で1,000円でイラストデータが売れたとしても、それを外の”オープンな世界”に持ち出すことはできないし、コピーを無限にできるものに価値はつけづらいよね。この技術は、コピーはいくらでもできてもよく、その中で『本物』とレプリカの区別することで、『本物』のデータを個人が『所有』することができるんだ。

「そのデータは本当に個人が所有していることになるんですか?」

日本では、法律が追いついていないから、デジタルなデータに「所有権」は主張できないのだけど、高層ビルが建てられる技術ができたあとに生まれた『空中権』のようなもので、いずれ社会の実体にあわせて法律も整備されるだろう。

ここで大事なのは、データを『本物』と区別して保有し、世界中のみんなで『本物』のデータの存在と価値を認める技術ができたということだよ。

君が登録したイラストのデータだけに注目してみよう。『ネット上』で世界中のみんなが認める存在だから、”閉じた世界”の企業の支えや影響も受けないし、君の手元を離れても、そのデータの存在と価値が認められるよ。データを購入した『ネット上』の地球の裏側にいる人も、勝手に誰かに取り上げられることがなく、『所有』できた状態なんだ。

現実の世界に近づいていることが伝わるかい。こう考えると、これまでの”ネット”がいかに”異常な世界”だったことにも気づけるよ。

「・・・まだよくわからないところもあるけど、続けてください」

この技術の良いところは、これまでの”閉じた世界”にも繋げることで、外のオープンな世界である『ネット』に出たときにも、価値を保ったまま、データに”幻”ではない存在と価値をあたえることができることさ。とはいえ、いままでの考え方とあまりにも違うんで、みんな慎重に見極めようとしているみたいだよ。

「もし、この話が正しいとしても、人はそんなに新しいものを歓迎する生き物じゃないですよ。否定的な意見もきっとたくさん集まります」

それでいいんだよ。この技術は画期的すぎることもあって、より良い社会を創りたいという思想に基づかない使い方や、逆に、”閉じた世界”をもっと広げるために使おうとしている人たちもいる。だから、厳しい目を向ける必要もあるんだ。より良い思想に基づいた技術がどれなのかは、ぜひ君自身で探してみてほしい。

オープンに繋がる『ネット』全盛のいま、”閉じた世界”にこだわることはないと思う。ネットが出てきて、”閉じた世界”のパソコン通信がどういう運命をたどったかは知っておいても損はないさ。

いまの”インターネット”が大好きな君には、ただのお節介だったかもしれない。10年後に一緒に答え合わせをしよう。

────5年前のある日

当時は、いま再び話題になっている「メタバース」というワードが上がることはなかったのですが、この方が話していた『ネット』とは、いま盛んに議論されている「メタバース」そのものだと思った次第です。

「メタバース」の定義は国内・海外でも違っているようなので、この昔話でいう、”閉じた世界のメタバース”であれば、経済圏の構築にNFTは必要ないと考えていいのではと思いました。

一方で、「メタバース」同士も繋がり合うインターオペラビリティ(相互運用性)を実現するときには、それぞれが”閉じた世界”であったとしても、より相互運用を高めようとしたときには、そのハブになる部分には、誰のものでもない『プロトコル』のような存在を要請されそうで、現時点での技術的な解決策は純度の高いNFTが最適解のように見えます。

NFTは単なるタグ付けで、本体のデータは別に存在しているから、そんな「値札」のようなものに価値は持ち得ないという言説もあります。私も、実際にいま世の中に流通しているNFTのほとんどは、(より良い社会を目指す思想を実現するためのステップ論に基づいていたとしても)その指摘通りだと感じています。

だからといって、データのすべてをブロックチェーン上に記録しているフルオンチェーンNFTや、メタデータと作品データをIPFSのような非中央集権的ファイルストレージに置いて、実質オンチェーン上にロックする純度の高いNFTの存在まで無視することは無いと思います。いまはまだ3G回線でYouTubeの4K映像を見るような無理矢理感がありますが、技術発展により解決される未来も見据えておいて損はないでしょう。

例えば、電子書籍など、コンテンツの中身自体に価値がついているようなデータの場合、仮にNFT化して”所有”できたとしても、コンテンツの中身が不正流出したら、その電子書籍を閲覧する権利=”利用権”に価値を保てなくことは明らかだからです。

30/ NFTにはコピーを防止する機能はないため、単体の技術ではこうした不正流出は防げません。この問題の解決には、電子透かし技術やVC・DID、ゼロ知識証明の発展などが期待されます。音楽も含め、『利用権NFT』を持つものだけがコンテンツの中身にアクセスできるようにする仕組みは、これまでの延長線上の技術で実現可能性も高いでしょう。

また、「メタバース」で表現されるアバターやアパレル、アートや建造物などは、その世界で着飾ったり所有することに意味があり、現時点でNFTとの相性が良いため、最近大きな注目を集めているように見受けられます。以上、私の観測範囲になりますが、建設的な議論の一助になればと思い書かせていたきました。


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