奈良県旅行記【仏像拝観のススメ】Part2

こんばんは。はじしらず ゆうすけです。

僕が奈良を初めて訪問したルートで寺社仏閣巡り、仏像巡りの楽しさをひたすら語るだけのシリーズ第二回です。

第一回はこちらから ↓

それでは行ってみましょう~

■2011年8月9日(火)

ルート:

【斑鳩】法隆寺 → 中宮寺 → 法起寺 → 法輪寺

【明日香】高松塚古墳 → 川原寺 → 橘寺 → 石舞台古墳 → 板蓋宮跡 → 飛鳥寺

一日で古代歴史ロマンスポットである斑鳩と飛鳥を回るという超パワープレイ欲張りコースですね(しかも夜は灯火会まで見に行ったりして)。

20代の時だったから出来ましたが、今の体力では絶対無理じゃー💦

この時宿泊は新大宮の奈良ロイヤルホテルさんでした。大浴場もあって広くて良いお宿だったなぁ(その後の一人旅ではケチって宿泊していませんがが😓)。

①法隆寺

アクセス:★★★☆☆ (JR法隆寺駅からレンタサイクルかバスでちょい)

拝観難易度:★☆☆☆☆(いつでも拝観可能)

世界に名だたる法隆寺はやはり圧倒的。東大寺や興福寺といった大寺院が武装して焼き討ちを受けたりで、歴史の荒波に揉まれまくっていたのと対照的に法隆寺は静かに教えを守りながら、悠久の時を刻んて来た、、人類の至宝と言える大寺院です。

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(その後何度も訪れた法隆寺ですが、やはり門を入ってすぐのこの景色が圧倒的に美しくてワクワクします。国宝・中門の金剛力士像も必見!)

入ったら左側に進んで奥、西円堂(鎌倉時代・国宝)は隠れ仏像スポット。

八角形のお堂の中には大きな薬師如来坐像(奈良時代・国宝)と十二神将(鎌倉時代・重文)が。金網越しに見ることになるので、細かくは見えないのですが、薬師如来様、優しいお顔立ちに厳しさを称える美仏です。必見。

この仏像のお姿は以下から ↓

そのあとは受付で拝観料を支払い、西院伽藍の中心を拝観。

世界最古の木造建築群が目の前に現れます(中門・金堂・五重塔)。激動の歴史の中で飛鳥時代の建築物が現世に現存しているという事実が既に奇跡。。誰しも修学旅行で一度は訪れる地ですが、大人になってから訪れると感じるものが全然違いますヨ。

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(金堂、現存する日本最古の仏像ワールドが!)

金堂内部には日本最古の仏像ワールドが展開されます。本尊である釈迦三尊像(飛鳥時代・国宝)は古代の「アルカイックスマイル」を浮かべ、静かに穏やかに存在しています。中尊は聖徳太子の等身像であり、太子の病気平癒の為に作られたもの。教科書で習った半ば伝説上の人物の足跡がリアルに存在していることに鳥肌が立ちます。

四方を固める四天王像(飛鳥時代・国宝)も必見。直立の姿勢を取り、いかめしい表情を浮かべる像容は法隆寺以外に類例がありません(しいて言えば当麻寺の方が少し似ている)。個人的には古代日本がいかに中国、大陸の影響を受けていたかを最も強く感じる像です。

向かって右隣りにいらっしゃる薬師如来坐像(飛鳥時代・国宝)も決して見逃せません。本尊よりも丸みを帯びたフォルムで優しさを感じます。光背には法隆寺創建の由来が刻まれているそう。

仏像のお姿は以下から ↓

西院伽藍奥の大講堂にも平安時代の大きな薬師三尊(国宝)、迫力満点の四天王(鎌倉時代・重文)が控えており、仏像ワールドが広がります。

次に大宝蔵院へ。日本の歴史に残る美術の銘品の数々が収められており、沢山の古代美仏とお会いすることが出来ます。

伝橘夫人稔持仏及び厨子(飛鳥時代・国宝)は非常にキュートな仏像。その名の通り厨子の中に三尊が収められているのですが、アルカイックスマイルを称える穏やかなお顔と、厨子の下から延び出てくる蔦の表現が実にポップです。光背の精密な表現も素晴らしい。

もう一体キュートさで引けをとらないのが夢違観音様(飛鳥時代・国宝)。まるで子供の様なコロコロとした体躯の愛らしさ、穏やかなお顔。法隆寺のマスコット的存在といえばこの方でしょう。

仏像ではありませんが、面白いのが百萬塔(奈良時代・重文)。藤原仲麻呂の反乱を受け、称徳天皇が国家平癒の為に作らせた、文字通り100万個の小さな塔です。4万6千個が法隆寺に現存しているとか(西大寺でも少し見られる)。内部には世界最古の印刷物陀羅尼経が収められており、ここにも世界最古が存在するのが法隆寺の底知れなさ。

そして法隆寺のミステリアスな大スターと言えば、百済観音様(国宝・飛鳥時代)。ひょろ~っとした細長い体躯に判別の付きがたい柔らかいお顔の表情。流れる様な体の流線形が美しいです。何でも元禄時代の文献まで歴史上に全くその姿を記したものが存在しないそうで、お姿だけでなく、由来なども不明なミステリアスな仏様なのです。。ゾクゾクしませんか?

仏像のお姿は以下から ↓

大宝蔵院を観終わったら、東院伽藍へ。こちらで有名な建築物は八角形の美しい夢殿(奈良時代・国宝)。本尊である救世観音様が有名ですが、この時は公開期間外で見られなかったので、別の機会にご紹介します(春と秋に公開)。てゆーか夢殿って名前カッコ良すぎか。。

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(東院伽藍まで来ると法隆寺の観光も終わりか~と少し寂しい気分になります)

②中宮寺

アクセス:★★★☆☆ (JR法隆寺駅からレンタサイクルかバスでちょい)

拝観難易度:★☆☆☆☆(いつでも拝観可能)

東院伽藍からそのまま続いて中宮寺に入ることが出来ます(拝観料は別ですよ)。こちらのお堂は本堂一つだけ。極めてシンプルなお寺です。法隆寺を見た後に必ず訪れてほしいお寺。ただし時期によっては16時に閉まるので注意。

中宮寺は聖徳太子のお母さまの宮殿跡が元々の起源らしい。その死後に尼寺として創建されたとのことだが、元々あった場所は500m位離れており、大寺院だったとか。

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(昭和43年に建てられた鉄筋コンクリート製のお堂。これも近現代的な趣があって好きです)。

お堂の中に入るとテープによる説明が流れており、正面には菩薩半跏像(国宝・飛鳥時代)と2体の仏様がいらっしゃいます。

菩薩半跏像は優し気なアルカイックスマイルを浮かべて考え込むようなお姿が兎に角抜群の存在感と圧倒的美を称えるお方です。今では長年の護摩炊きなどの影響か、全身真っ黒なお姿ですが、かつては極彩色だったそう。でもこの黒々した姿だからこそ伝わるシンプルな美って間違いなくあると思います。この時代の木造仏としては最先端の技術(寄木造り)で造られているという。そしてそして髪型が何だかがま口財布みたいで実にかわいらしいのです。先日は九州まではるばるお越し頂き、感無量でございます。

この仏像のお姿は以下から ↓

③法起寺

アクセス:★★★☆☆ (JR法隆寺駅からレンタサイクルかバスでちょい)

拝観難易度:★☆☆☆☆(いつでも拝観可能)

近くのコスモス畑から眺めたお寺の美しさも有名なこちらのお寺。こじんまりとした境内にたたずむ国宝の三重塔(飛鳥時代)の美しさが名高い。ちなみにこの三重塔は三重塔として日本最古。即ち斑鳩の地を訪れれば、日本最古の五重塔と三重塔両方を拝むことが出来るのだ!

創建は山背大兄王(聖徳太子の息子で非業の死を遂げる)が聖徳太子の宮跡を寺院に改めたことによるそう。今ではひっそりと田園風景の中に存在している。。

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(田園風景の中にひっそりと佇む1400年の至宝)

こちらのお寺の仏像としては、3.5mに及ぶ十一面観音菩薩立像(平安時代・重文)がいらっしゃいます。お顔立ちが何だか黒人系の雰囲気と言うか、結構独特だと思う。体格もやたらとガッシリしていて力強い。体は黄金に輝いているが、この金箔は後補とのこと。

この仏像のお姿は以下から ↓

④法輪寺

アクセス:★★★☆☆ (JR法隆寺駅からレンタサイクルで15~20分位)

拝観難易度:★☆☆☆☆(いつでも拝観可能)

斑鳩を奥へ進むと法輪寺があります。真夏にレンタサイクルで田園を駆け抜けた時にした田んぼの良い香りが忘れられない。。まさに美しい日本の原風景という感じがしたなぁ。

法輪寺は山背大兄王時が聖徳太子の病気平癒を願って建立したそうだが、諸説ある模様。三重塔は当初から存在する建築であったが、1944年に焼失し、新たに再建されている。

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(法起寺と同じようにひっそりとしたお寺だが、のんびりした法起寺に比べて少し厳しい雰囲気が漂っている気がする)

こちらのお寺は兎に角仏像ワールド全開。金堂に入ると白鳳時代~平安時代の美仏たちがずらりとお出迎えしてくださる。

ひと際目を引くのは3.6mの十一面観音立像(平安時代・重文)。厳かな表情に威厳を感じますが、どこかペルシャとかあちらの人の様な顔つきにも感じられるのは私だけ?

白鳳仏は2体いらっしゃり、虚空菩薩立像(飛鳥~白鳳時代・重文)は法隆寺の百済観音のコンパクトバージョンみたいなお方。より人間的な雰囲気になったと言うべきか。

本尊は薬師如来坐像(飛鳥~白鳳時代・重文)。法隆寺金堂の本尊と似た像容ですが、木彫ということもあり、より柔らかな雰囲気に溢れている。ただし、表情からはアルカイックスマイルは消え、次の時代へ表現が移り変わる様を見ている様だ。

仏像のお姿は以下から ↓

https://ikaruga-horinji.or.jp/about/statue/

声を大にして言いたいのは、もしあなたが斑鳩に行くことがあったら、法隆寺・中宮寺だけじゃなくて、法起寺、法輪寺も必ず見て回ってほしい!ということです。古代の神秘とロマンがあなたを待っていますよ!

⑤高松塚古墳

アクセス:★★★☆☆ (近鉄飛鳥駅からレンタサイクルでちょっと)

拝観難易度:★☆☆☆☆(いつでも見学可能)

明日香村観光は自転車が鉄板です。駅から降りたらレンタサイクル屋がいくつかあり。そんなに険しい道もありません。田園が広がる里を自転車で駆け回りながら、古代の息吹に触れる。。これが飛鳥の醍醐味です。

古墳時代末期の高松塚古墳は壁画がきれいに残っていることで有名ですが、実物を見ることは叶いません(カビが生えてた!とかで問題になったこともありましたね)。高松塚歴史館にて詳しい説明を受けることが出来ますので、一度は訪れると良いでしょう。冷房が効いてて非常に助かった記憶(笑)

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(可愛らしい円墳で、周辺は美しく整備されています)

⑥橘寺

アクセス:★★★☆☆ (近鉄飛鳥駅からレンタサイクルで少し)

拝観難易度:★☆☆☆☆(いつでも見学可能)

聖徳太子生誕の地の近くに創られたという橘寺。正式な創建年は不明のようですが、用明天皇の離宮跡ともされており、滅茶苦茶古い由緒あるお寺であることは疑いようもない。のどかでゆっくりとした時間が流れている雰囲気のあるお寺です。

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(観音堂の内部に如意輪観音様がいらっしゃいます)

こちらのお寺は本尊が聖徳太子像(室町時代・重文)なのですが、春と秋しか開帳されません。また、宝物館にも数多くの美仏がいらっしゃいますが、こちらも春と秋のみの開館。この時は夏でしたので、観音堂にいらっしゃる如意輪観音坐像様(平安時代・重文)の美しさに感動した記憶が強いです。

170cmと大きく六本の腕を持つ如意輪観音様は片膝を立てて、そこに手を乗せられ、頬杖を付くというアンニュイなお姿で、表情も何だか物憂げに見えるところが絶妙な美しさを持っています。アンニュイ度合いでいえば、個人的にこの橘寺の如意輪観音様がナンバーワンです。灼熱の中、しばしの癒しを頂きました。是非是非見て頂きたい美仏!

この仏像のお姿は以下から ↓

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(橘寺の二面石。禍々しく、中々怖いです。飛鳥には古代の謎に溢れた石像、亀石やマラ石、猿石等が道中に沢山あり、非常に面白いです)


⑦川原寺

アクセス:★★★☆☆ (近鉄飛鳥駅からレンタサイクルで少し)

拝観難易度:★☆☆☆☆(いつでも見学可能)

かつては飛鳥の大寺院に数えられたという川原寺ですが、今では礎石を残すのみです。何にもない礎石の上を歩いてみると古代のロマンに浸ることが出来ます。奥にある弘福寺さんで仏像を拝観することが出来るのですが(食事もできたような)、この時は気づかず。また別途ご説明致します。

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(あまりちゃんとした写真がなかった💦手前の石畳の様な道が遺跡)

⑧石舞台古墳

アクセス:★★★☆☆ (近鉄飛鳥駅からレンタサイクルでそこそこ)

拝観難易度:★☆☆☆☆(いつでも見学可能)

歴史の授業で一度は習うアレです。古墳内部の石棺が地上に表出しているというのが非常に面白いですね。中に入ることもできます。

兎に角のどかで平和な雰囲気が流れる広々とした公園です。

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(蘇我馬子の墓とされる。歴史の敗北者は石棺まで掘り起こされてしまうという悲しき現実。。)

⑨板蓋宮跡

アクセス:★★★☆☆ (近鉄飛鳥駅からレンタサイクルでそこそこ)

拝観難易度:★☆☆☆☆(いつでも見学可能)

かつて蘇我入鹿が首をはねられた宮殿の跡、それがここだ!とされていますが、諸説ある模様。田園の中にひっそりと存在しています。事実とすれば、大化の改新からの日本史はここからスタートしたということでしょう。

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(一瞬でもここが日本の中心地であったとはにわかには信じがたい光景。時の流れと言うのは無情。。)

⑩飛鳥寺

アクセス:★★★☆☆ (近鉄飛鳥駅からレンタサイクルでそこそこ)

拝観難易度:★☆☆☆☆(いつでも見学可能)

飛鳥寺に着く前に万葉文化館に立ち寄るも演出ばっか凝ってて正直う~んって感じでした。ここよりも亀形石造物にお金払った方が良い(また別の機会に。。)

飛鳥寺は日本最古の仏教寺院です。蘇我氏の氏寺として創建されました。もちろん昔は大寺院だったのですが、今では本当にひっそりと田園の中に佇んでいます。

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(飛鳥寺自体は奈良に遷都時に移転され、今は元興寺として存在する。こちらのお寺は安居院という別名もあり)

飛鳥時には銅像釈迦如来坐像(飛鳥時代・重文)がいらっしゃいます。通称飛鳥大仏とされる275cmにも及ぶ大きな仏様であり、長年にわたり改修が加えられたそうで、つぎはぎの様に見える部分があるのが独特の風貌のお方です。どこまで当初の姿を残しているのかは諸説ありますが、アーモンド形の目、アルカイックスマイル等間違いなく、古代の息吹を十分に感じさせてくれる仏像です。ちなみに仏像では珍しく写真撮影が可能です。

この仏像のお姿は以下から ↓

お寺の裏手には蘇我入鹿の首塚があります。しかし蘇我氏のその後の日本史における決定的な影響力・貢献度というのは凄まじいと誰もが思うはずですが、その末路が上記の露出した石棺と飛鳥時にある蘇我入鹿の首塚というのは、、歴史のリアルを叩きつけられている様な気にもなります。

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(田園にひっそり佇む蘇我入鹿の首塚。盛者必衰。。)

続きます!


参考文献:

明日香村教育委員会文化財課「明日香文化財の精華」『飛鳥の考古学図録⑦』明日香村教育委員会文化財課 2009年

小川光三「飛鳥」株式会社飛鳥園 2014年

小学館編「法隆寺」法隆寺 2013年

山崎しげ子「斑鳩の古寺」株式会社飛鳥園 2011年


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