奈良県旅行記【仏像拝観のススメ】Part3

こんばんは。はじしらず ゆうすけです。

僕が奈良を初めて訪問したルートで寺社仏閣巡り、仏像巡りの楽しさをひたすら語るだけのシリーズ第三回です。

第二回はこちらから ↓

■2011年8月10日(水)

ルート:東大寺 → 新薬師寺 → 興福寺 → 奈良国立博物館 → 元興寺

最終日は定番コースを巡りました。3日間の最後にこれらの名刹を残しておいたのは大正解だったと思います。最後にテンション滅茶苦茶あがりましたから!

①東大寺

アクセス:★★★★☆ (近鉄奈良駅から徒歩で少し)

拝観難易度:★☆☆☆☆(いつでも拝観可能)

誰もが人生で修学旅行等で一度は行くであろう東大寺。まさに日本の歴史における至宝です。奈良時代初期に聖武天皇が早逝した基皇子追悼の為に728年に創建したお寺が基となっており、その後大和の国分寺とされ、749年には大仏が開眼した、奈良時代・日本史を代表する大寺院です。

大寺院として存在していましたが、平重衡の兵火により壊滅的打撃を受けます。しかし翌年には重源上人が勧進を開始。1195年には新たに大仏の再建、そして今も残る慶派仏師の傑作や名建築を残すに至っています。

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(南大門は鎌倉時代の建築で国宝。)

その後、東大寺は大寺院として歴史の荒波に揉まれ、何度も壊滅的な打撃を受けてきましたが、何度も蘇り、現在も歴史の息吹を我々に伝え続けているのです。。

まずは巨大な山門が見えてきますが、これは前述した鎌倉時代に再建された南大門。国宝に指定されています。周りにはいつも鹿がのんびりしています(笑)。左右を固める8.4mの超巨大な金剛力士像(国宝)も鎌倉時代に慶派仏師の手によって作られた傑作中の傑作。まさに武士の力強い時代を象徴するかのような、圧倒的な筋肉の表現、厳めしい表情、躍動感と強烈な存在感を残します。運慶・快慶といった慶派仏師総出での一大事業によって生み出された日本美術史上の奇跡と言えましょう。

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(上が吽形、下が阿形像です)

受付で拝観料を支払うと、巨大な大仏殿(18世紀・国宝)が見えてきます。兎に角その圧倒的な巨大さに圧倒されますが、当初の建物はもっと横長で更に大きかったとか。

大仏殿に向かう道の途中にある八角灯籠。これは奈良時代のもので国宝に指定されております。即ち当初より現存し続けているということで、古代の美しい彫刻の数々も完璧に近い状態で残っています。忘れずに必見!

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(超巨大な大仏殿。中心に見えるのが創建当初から残る国宝の八角灯籠)

大仏殿の中に入るとまず目に入るのが毘盧遮那仏(18世紀・国宝)所謂奈良の大仏様です。特に注目したいのは大仏様の連弁に描かれている精密な線刻画。この連弁は奈良時代当初から残るものであり、圧倒的な緻密さと美しさに感動すること間違いなし。こちらもお見逃しなく!

大仏の四方にはこれも江戸時代のものですが巨大な四天王像が。元々先述の平重衡の兵火後、慶派によって大仏殿の巨大な四天王像がつくられたそうなのですが、その後の激動の歴史の中で失われてしまいました。しかし、この時に創られた四天王の姿はミニチュア版として、様々な寺院に残されており像容を偲ぶことが出来ます(例:金剛峯寺、霊山寺、海住山寺等)。これらのお寺で見られる四天王像が立っていたらどんなだったかな~とか考えてみたり、今の四天王像の姿と比べてみるのも楽しいですよ。

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(毘盧遮那仏。実は連弁や八角灯籠のことはこの時あまり知らずちゃんと見ていなかった😓)

大仏殿を出て境内を進んでいくと二月堂(17世紀・国宝)と三月堂(奈良時代・国宝)が見えてきます。二月堂は修二会で有名な舞台づくりの美しい建築です。この時は疲れていたのか昇らなかった模様。昇った感想は別の機会に。また、三月堂はこの時工事中で中に入れず。。ということでこちらも別の機会にご説明します。

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(舞台造りの美しい二月堂。東大寺で一番神秘的な場所と思う)

東大寺に行ったら忘れず行ってほしいのが、戒壇堂。授戒の場であり、起源は聖武天皇が鑑真和上から戒を受けた戒壇を大仏殿より移転したことから始まるとのこと。

コンパクトなお堂の中に四天王像(奈良時代・国宝)がいらっしゃいます。この仏像の特徴は塑像であること。粘土で作るという原初的な製法で造られているのですが、造形の写実性は極めて高く、4体ともその個性を存分に際立たせています。かつては極彩色であったそうですが、今では4体とも真っ白のお姿。ですが、それが逆に造形の美しさを際立たせている。。4方に四体が置かれており、自分が回りながらこれを拝観するのですが、行くと何周したかわからんくらい観て回ってしまう。。四天王像の傑作数多くあれど、やはりこの方々は圧倒的に別次元。別格の存在。必見です。

この仏像のお姿はこちらから ↓

https://nara.jr-central.co.jp/campaign/todaiji-kaidando/special/shitennou.html

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(戒壇堂、必ずお見逃しなきよう!)

②新薬師寺

アクセス:★★★☆☆ (近鉄奈良駅からバス,歩くと結構ある)

拝観難易度:★☆☆☆☆(いつでも拝観可能)

奈良公園から少し離れたところにある新薬師寺は747年に聖武天皇の病気平癒を願い、光明皇后によって創建された、奈良時代の由緒ある寺院です。住宅街の中にひっそりと佇む静かなお寺ですが、かつては七堂伽藍を揃える大寺院であったとか。

新薬師寺の本堂は奈良時代に創られた建築物であり、国宝に指定されております。元々は本堂では無かったようですが、シンプルで無駄のない、それでいながら古代のロマンを感じさせるいで立ちが最高に美しい建築の一つです。

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そしてこの本堂の中に展開される仏像ワールドの美しさ。。この時の旅で最大級の衝撃を受けた寺院だったかもしれません。中央に鎮座する大きな薬師如来坐像(奈良時代・国宝)は目を見開いた様なお顔が印象的な仏様ですが、雄大な雰囲気と力強い雰囲気双方が漂い実に気品あふれる美仏中の美仏。燃え上がる炎を模した光背(当初から現存!)の迫力も凄まじく、何時間でも観れてしまいますね。。

薬師如来様を囲むのは眷属の十二神将像(奈良時代・国宝)。前述の東大寺四天王像同様、塑像で造られています。こちらも十二体それぞれに強烈な個性が備わっており、ポージングも個性的なものが多く、写実的な姿を現す大傑作です。特にバサラ大将像は誰もが切手で見たことがあるはず。刀を抜き口を開きながら構える姿、サイッコーにカッコいいです!!

この世界が薄暗いお堂の中で展開されるその神秘と感動といったら筆舌に尽くしがたい。

↓ 仏像のお姿は以下から

個人的には奈良に始めて行ったら必ず行ってほしいお寺ナンバーワン。確実に仏像ワールドから抜け出せなくなること請け合いです!

③興福寺

アクセス:★★★★☆ (近鉄奈良駅から徒歩で少し)

拝観難易度:★☆☆☆☆(いつでも拝観可能)

興福寺は平常遷都の際に飛鳥の地から一緒に遷ってきた藤原氏の氏寺です。日本における至宝の数々を収める大寺院であり、東大寺と並んで奈良観光における定番中の定番と言える場所です。仏像ヲタにとっては聖地ですね。

興福寺は政治の中枢に居た藤原氏の氏寺という性格上、歴史の荒波に幾度も揉まれ、前述の平重衡による南都焼き討ち、廃仏運動による打撃等ありながらも何度も蘇り、大寺院としての姿を今も我々に伝えてくれています。

この当時はまだ中金堂が工事中でしたので、東金堂、国宝館を中心にご説明します。

東金堂(室町時代・国宝)巨大な五重塔と並んで存在感を放つ名建築ですね。御堂の中には所狭しと仏像が並んでいます。すこーし観にくい環境ではありますが、何往復もして楽しみましょう。

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(手前に見えるのが東金堂です)

個人的にこちらの白眉は平安時代の四天王像(8世紀・国宝)。興福寺は四天王パラダイスと言えるくらい四天王の傑作が集結しているお寺なのですが、東金堂の四天王もとてつもない傑作。兎に角重厚感にあふれる仏像で、横に広い体躯の印象が力強さを醸し出しています。まさに〝どっしりと構える!!“部門の四天王ではNo.1と言えるでしょう。

十二神将像(鎌倉時代・国宝)も素晴らしい。120cmと小柄でありながら、ポージングの多種多彩さ、表情の写実性等鎌倉時代の十二神将像の大傑作です。バサラ大将像が個人的にはイチオシ!前かがみの姿でまさに悪鬼にとどめを刺さんとす!というただならぬ雰囲気です。遠くの様子をうかがうようなビカラ大将もコミカルで楽しい。

文殊菩薩像坐像,維摩居士坐像(鎌倉時代・国宝)のセット仏も素晴らしい。まさに2体で問答をしている姿が描かれます。維摩居士像の険しく渋いお顔付は中々唯一無二のものです。いずれも定慶作。

↓ 仏像のお姿は以下から

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次に国宝館です。ここには失われてしまった「西金堂」の仏像はじめ、沢山の仏像界の大スターがいらっしゃいます。

まず最も古い仏像としてご紹介すべきは仏頭(685年・国宝)です。ふくよかでどこか優しげ、なんとも大らかで懐の深そうな、それでいて古代の威厳を感じさせる、、想像力を掻き立てられる仏様です。15世紀の火災で今では頭部のみを残すこの方は東金堂の旧本尊と考えられている方で、東金堂御本尊の台座から1913年(!!)に発見されたそう。頭だけで約1m。当時の圧倒的な巨大さが偲ばれます。そのルーツは飛鳥であり、蘇我石川麻呂を追悼するために建てられた山田寺というお寺がかつてあり、そこから移されて興福寺にいらしたそう。20世紀に入って白鳳時代の仏像が発見される、、物凄い歴史のロマンですが、東京の深大寺でもまさに同じエピソードがあり。深大寺の金銅仏と興福寺の仏頭、どこか雰囲気も似ているような気がして、この2つの発見に神秘を感じざるを得ません!

この仏像のお姿は以下から↓

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次にご紹介するのは慶派の仏像の傑作の数々です。先ほどご紹介した東大寺同様、興福寺は1180年の平重衡による南都焼き討ちで壊滅的な打撃を受けました。そこで慶派の仏師が立ち上がり、西金堂中心に数々の名作を興福寺にも納めています。

大仏師運慶による作と考えられるのが木造仏頭(鎌倉時代・重要文化財)。先ほどの仏頭とは異なり、西金堂の本尊の頭部のみが残されています。きりっとした精悍なお顔立ちでどのような力強い体格であったのか、想像力が掻き立てられます。興福寺の北円堂には運慶作の弥勒如来座像というとてつもない傑作がいらっしゃるのですが、その姿を見て想像してみるのもまた楽しいかもしれません(北円堂は別の機会にご紹介します)。

この仏像の姿は以下から ↓

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天燈鬼立像・龍燈鬼立像(鎌倉時代・国宝)は興福寺のスーパーアイドル。元西金堂出身です。デフォルメされた子供の様な等身にコミカルなポーズ、表情に誰もが愛らしさを覚えてしまいます。それでいながら、慶派仏としての力強さ、筋肉の表現は圧倒的に写実的。片方の肩に燈篭を担ぐ天燈鬼、どうだッ!!と言わんばかりの表情、厳めしいですが不思議と頬がほころんでしまいませんか?頭に燈篭を乗せて不思議そうな顔で頭の上をのぞき込むような表情の龍燈鬼(運慶の三男康弁作)もサイッコーに可愛い(語彙力)!!中世の日本にこの遊び心、ユーモアがあったという事実に打ち震えます。

この仏像のお姿は以下から ↓

https://www.kohfukuji.com/property/b-0032/

金剛力士立像(鎌倉時代・国宝)は東大寺だけの専売特許ではありません。興福寺にも日本を代表する金剛力士像が。150cm程度と小柄なお姿に頭を丸め、衣を下半身に纏うだけのシンプルなお姿ですが、リアルな筋肉の表現、ポーズの躍動感と重厚感、風になびく衣の表現。はっきり言って完璧な世界です。玉眼によって表現された眼光の表現も素晴らしくド迫力。鎌倉時代の仏像の表現力の極致を見る気持ちです。

この仏像のお姿は以下から ↓

https://www.kohfukuji.com/property/b-0025/

国宝館には奈良時代のスーパースター仏が勢ぞろいしています。八部衆像(734年・国宝)、十大弟子像(734年・国宝)です。これらの方々は光明皇后によって発願された西金堂の当初仏としてその姿を1300年の後の世の我々に見せてくれています。

八部衆像で最も有名なのは阿修羅像でしょう。3つのお顔に6本の腕を持つ異形の姿。元々はインドの戦いの神様ということですが、この方のお姿はまるで少年の様。体躯もほっそりとしています。お顔立ちは怒ってているのか?懊悩しているのか?複雑な表情であり、美しさが際立ちます。次に胸から上だけが現存する五部浄像。顔立ちは阿修羅に似ています。頭にのせている像の様な生き物が非常にキュートです。蛇がとぐろを巻いて頭上に乗る沙羯羅立像も同じように少年の様なお顔で何か考え込んでいる様。鶏の頭を持つ迦楼羅像も異形の姿が中々強烈(全然関係ないけどチキンジョージのモデルなのでは?と言う位似てる)。8体とも本当に個性全開で無限に見られてしまいますね。

十大弟子像も八部衆像と同時期に作られたもので、現在6体が現存。仏陀の弟子10体の姿を現したもので、僧形の仏像ですが、一体一体全く異なる個性を持っていて、表情の違いに飽きることは決してありません。八部衆含めたこれらの仏像は脱乾漆造りという製法で造られています。この製法はこの時代以降ほとんど見られなくなる特殊なもので、簡単に言うと、粘土で像の原型を成型する→周りに麻布を貼る→中の粘土を取り除く→漆を麻布の周りに塗り細かい成型を行う という非常に手間のかかる製法を取っています。仏像をよく見てみると木彫仏とはまた違う柔らかな表現が感じられます。

仏像のお姿は以下から↓

https://www.kohfukuji.com/property/b-0009/

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西金堂はその後2度火災で焼失。仏像は都度運び出され、現在に姿を残しています。2度目は江戸時代享保の頃でしたが、それを最後に西金堂は再建されず。幻の仏像パラダイスがかつてそこにはあったのでした。。

他には今は南円堂に遷っていますが、当時国宝館にいらっしゃった法相六祖坐像(鎌倉時代・国宝)。十大弟子と同様、僧形の像ですが、鎌倉時代の仏像だけあり、高い写実性を持ちます。深く刻まれた顔の皺や、玉眼で表現される目の微妙な表情。慶派仏師による仏像です(現在では毎年10月17日のみ南円堂御開帳時に拝観可能です)。

仏像のお姿は以下から↓

https://www.kohfukuji.com/property/b-0035/

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(当時の写真があまりに残っておらず、、修二会でライトアップされていた五重塔を貼っておきます)

④奈良国立博物館

アクセス:★★★★☆ (近鉄奈良駅から徒歩で少し)

拝観難易度:★☆☆☆☆(いつでも拝観可能)

日本に存在する4つの古美術を展示する国立博物館の内の一つなら博です。ここは仏像の展示に特に力を入れており、数多くの傑作を揃えています。

本気で見ると半日はかかるであろうなら博ですが、超駆け足で見た記憶があるので、あまり細部の記憶がありません💦

確かこの時修理前の金剛寺(大阪)の降三世明王坐像がいらしていたような。。

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(明治時代に創られたなら仏像館は重要文化財に指定されている重厚な建築です。)

⑤元興寺

アクセス:★★★★☆ (近鉄奈良駅から徒歩で少々)

拝観難易度:★☆☆☆☆(いつでも拝観可能)

この時の旅で最後に訪れたのは元興寺でした。元興寺はパート②でご紹介した飛鳥寺が奈良遷都とともに移転してきたことが起源です。なら町の中にあり、かなり古い歴史を持つお寺で、立派な本堂が目を引きます。

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(鎌倉時代の国宝に指定されている立派な本堂には飛鳥時代の瓦が一部使用されているとか)

かつては現在のなら町のほとんどが元興寺の寺域であったというから驚きです。元興寺に訪れたら収蔵庫へ必ず行きましょう。仏像では大きな阿弥陀如来像(平安時代・重文)や等身大で力強い聖徳太子孝養像(鎌倉時代・重文)等数多くの仏像を拝観することが出来ます。

仏像のお姿は以下から ↓

以上、2011年の奈良旅行のルートにて仏像の魅力中心に語ってまいりました。このシリーズ、不定期で続けていきたいと考えております。

次は2013年11月の奈良旅行記をまとめていきたいと考えており、一人でも多くの人に仏像拝観の魅力を伝えていきたい思いです。

仏像の楽しみ方は人それぞれです。仏像を見るにあたって、歴史的な背景とか、時代的な表現がどう表れているか?とか、単純に形がカッコいい,可愛いといった部分に注目しても良いし、自由です。実際僕も仏教のことは詳しくはわかりません💦それでも長い歴史を経て、拝観した人間の心とか感情に訴えてくるものがあるというだけで、仏像って本当に素晴らしいものだな、、と心から感じるのであります。。

それではまたそのうちお会いしましょう。

はじしらず ゆうすけでした。

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(旅の終わりは近鉄奈良駅の行基菩薩。)


参考文献:

森本公誠 「東大寺」 東大寺発行 2002

金子啓明 「もっと知りたい 興福寺の仏たち」 株式会社東京美術 2009

前川久夫編 「奈良大和路の古寺」 JTBパブリッシング 2007

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