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リーガルリリーの歌詞についてのノート——多用される軍事的なモチーフ

引き続きリーガルリリーの話。リーガルリリーの歌詞で繰り返し登場するモチーフとして「戦争」がある。「うつくしいひと」では、子供が出兵した母親がかなり直接的に描かれている。また「ハナヒカリ」では、「兵隊さん」「戦闘機」「F-16」といったワードから戦争にいく「君」を引き止めたい心情を綴るストーリーになっている。最近の曲でも「明日戦争がおきるなら」「ノーワー」といった、タイトルに「戦争」を含む曲が出ている。

また、そのほかにより表現的なメタファーや演出としてミリタリーモチーフが登場する場合がある。前回取り上げた「東京」においては「照明弾」が登場するし、「1997」では「催涙弾」、あるいは「9mmの花」(タイトル)が挙げられる。こうした表現の源泉は、初期の曲「overture」に見ることが可能である。

窓を開けながら、朝の深みへ
戦闘機の爆音、最高にロックだった!
(・・・)
アメリカの基地、チャリで行けるね
生きた福生は、最高にロックだった

リーガルリリー「overture」

「overture」は個人の体験の記述が中心の私小説的な曲であり、そこでは生活の記憶にもとづいた微視的なエピソードが語られている。つまり、この歌詞で示されているのは、たかはしほのかが米軍の横田基地が所在する東京都福生市に生育した経験から生まれた詩情なのである。
そのなかで、唐突に登場する「戦闘機の爆音」は、朴訥とした学生生活から、「外国」や「戦争」といった非日常への回路として存在したことがわかる。これは、ドルの使用が可能な店や、ミリタリーグッズの店が立ち並ぶ国道16号沿いの風景と、「基地」の近辺特有の飛行機の轟音のなかで育まれたイメージなのである。

引用したように「overture」の歌詞は、「戦闘機の爆音」を「最高にロックだった」としている。これは、暴力を賛美する歌詞とも捉えうるものである。以後発表された「うつくしいひと」や「ハナヒカリ」で描かれている反暴力の姿勢と矛盾しているともいえる。

この矛盾はなんなのか。それは、「戦闘機の爆音」に対してプリミティブな高揚感を抱いてしまうことそのものへの疑義である。戦闘機に限らず、軍事的な記号は良心や価値観と異なる次元で人びとを魅了する。それは人間の闘争本能に訴えかけるからである……。このような「言い訳」も可能だが、しかし、そのうえで自分の平和を願う心が偽物になってしまうような不安が残る。こうした葛藤のあらわれなのではないだろうか。

「overture」では「最高にロック“だった”」と過去形に表現されることで、現在との距離感を読み取ることもできる。「うつくしいひと」「ハナヒカリ」では、軍事的な記号が喚起するプリミティブな高揚をのりこえる手段として、ありえた悲劇としての「だれかの物語」に寄り添おうとしているのではないだろうか。彼女の歌詞には、こうした「物語性」をもちいて一般的な認識を書き換えようとする試みが散見される。次回は、その最も顕著な事例として「セイントアンガー」の歌詞を分析したい。

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