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音楽が僕の大切な風景を切り取ってくれている、その瞬間の話


父親は音楽が好きだった。家ではボブマーリーやグループサウンズのような曲が流れていたことをよく覚えている。
姉も音楽が大好きだった。聴いたことのないハウスミュージックや、なぜだかブルーハーツも彼女の部屋からよく流れていたことを覚えている。
それらは、今でも僕と僕の家族との気持ちやつながりを呼び起こして、気持ちを立たせてくれる大切な音楽たちだ。
音楽そのものが僕の大切な気持ちを立ち上げてくれる影響深いものだという事は疑いない事実で、人生に欠かせないものだ。それはこれを読んでいる多くの人にも当てはまるだろう。

でも、今日話したいのは、それよりも深いところで、特定の場所やシチュエーション、一言一句違わない「体験」と深くリンクする音楽がある事、について話したいと思う。
時に音楽は、僕の人生のほんの一部を切り取り、脳みそに定着させてくれる時がある。


中学の時、とても仲の良いバスケ友達がいた。
中2の夏休み、僕は友人の家に足繁く通い、プレステ2の「NBA 2K」シリーズをやったり、その日の夕方にある草バスケの時間まで、彼の庭にあるシュートの練習を一緒にしながら時間を過ごしていた。
毎日がワクワクする「生きがい」タイムだったことを覚えている。

彼の家は河川敷沿いにあった。その河川敷に向かう長い坂をママチャリで登る道中、毎日、その頃自分の中で流行っていたスネオヘアーのアルバム「SUN!NEO!AIR」をMP3プレーヤーから流しながら、一生懸命立ち漕ぎしながらペダルを踏み込んでいた。
アスファルトから込み上げる熱気と蜃気楼を振り払いながら、これから始まることへのワクワクをペダルに押し込みながら、汗だくで前傾姿勢の少年は彼の家に向かい続けた。
あの一瞬は、今でも「ナロウカーブ」という曲に切り取られて記憶にメモリーされている。


大学に入ると、それまでの街とは別れ、東京に出てくることになった。小さな街から、凡たる田舎から東京に出てきて、毎日が全てが刺激的だった。いろんな価値観との出会いらコンクリートジャングルの中でも感じられる人々の生活、息遣いがたまらなく好きで、僕は都会散歩の虜になった。
まるで方向感覚のわからない住宅街をさまよい、面白い建物や、魅力的な路地に吸い込まれていく感覚が僕の「生きがい」のひとつになった。

今でも、港区白金台3丁目の高級住宅街から明治学院に抜ける入り組んだ路地を歩いている瞬間の風景と、その時に感じられるワクワク感は、その時イヤホンから流れてきたキリンジの「もしもの時は」に切り取られて思い出されるかけがえのない感情だ。


やがて大学も卒業し、僕は広告を作る会社に就職することになる。田舎気分が抜けきらない、新卒の頃の僕は「広告業界」というキラキラした風に騙された、と感じながら、先輩やクライアントから怒鳴られ、疲弊しながらなんとら生きながらえるように朝8時の京浜東北線にゆられ、至極後ろ向きな気持ちで会社に向かっていた事を覚えている。
なんとか前向きな気持ちを作ろうと、その時のApogeeの新譜「OUT OF BLUE」をリピート再生しながら、心拍数を上げながら通勤していた。
8時34分、新橋駅の6番線、ニュー新橋ビルとスーツの雑踏が響くなか、耳にフタをしながら会社への道を歩いていたことを覚えている。


やがて結婚し、子供が生まれる。同世代でも早い方だったので、友人の結婚式には幼い子どもと行くことも多かった。
久しぶりの友人との再会、人見知りで泣き出す娘をなだめすかしながら、楽しい会を過ごす。
新婦の、両親への感動的な手紙を、ハンカチで目を拭いながら聞き、ああ今日もよい会だったと、ほっこりした気分で会を後にする。
ほろ酔いの友人を尻目に、そそくさと車で会場を後にする。ひとしきり人見知りし切って疲れ寝た娘を後部座席に置いて会場を後にする。
ふとつけたカーオーディオから小田和正の「たしかなこと」が流れてきた。

幸せの形は人それぞれだけど、例えばいつかは娘もあのように独り立ちして、誰か良い人を見つけて、今日のような幸せが訪れる時もあるのだろうか。そんなことを考えていると、思わず涙が止まらなくなり、ゆっくりと車を路肩に停めて、数分ほど、声を殺しながら嗚咽したことを思い出す。
あの夕方の交差点を、大安の茜空を、小田和正が切り取ってくれた。



思うに、「楽しかった」「苦しかった」思い出そのものを音楽が切り取った事はない。
これから起きるワクワクやいろんな感情、その直前の瞬間を音楽は切り取ってくれるように感じる。
それは、言葉としては言い表せない日常を「それ自体も人生の中で大切な瞬間である」ことを音楽が教えてくれているのだと思う。
言葉は全てを著してはくれないから、言葉で切り取れない感情を音楽がメモリーしてくれているのだと思う。


今日も僕は音楽を聴く。
彼らがきっと僕のどこかを切り取ってくれることを期待して、ヘッドホンとBluetoothを繋げる作業に勤しむ。



ちなみに、初恋の人の着メロをHARCOの「世界で一番頑張ってる君に」にしていたが、これはちょっと苦い思い出が多すぎるのか、どこの何を切り取ってくれているのか、これっぽっちも思い出せないのだが…

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