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就活が自己表現の場だと思い込んでいた話

父親が自営業で、やりたい事を仕事にしていたこともあって、「就活」という言葉が重苦しいものにしか思えない大学時代だった。
周囲の人間には「俺は就活しない」と宣言してみたり、働かないための色々な方法を探してみたり、大学3年の夏ぐらいまでは何とかして逃げを打っていたが、色々考えた結果、自分は企業に就職でもしないとロクな暮らしはできないと気づき(というか、元々知ってた事実から逃げられなくなり)とうとう観念して、就職活動なるものを始めることにした。

幸い友達は多かったのでらみんなの見様見真似でリクルートスーツを揃えて、企業説明会に行き、意識の高い質問をしてみたり、人事の人と仲良くなろうとコンタクトを取ったり、それっぽい「就職活動」はこなしていっていた。

それでも、僕の中の天邪鬼は以前より健在で、同じような黒いリクスーに、個性のない頭髪、周りの女子もひっつめ髪を引っ提げてオフィス街を駆け巡る姿を見て「こいつら個性ねーなー」と心の中で下に見ていた。
僕の嫌いな量産型就活生の格好を完璧にこなしながら、だ。
そんな中で、どうしても一つだけ天邪鬼の発作を抑えられない関門があった。それが「自己PR」「ガクチカ」の類である。


やりたいことを仕事にしている父親と、目の前の(そして鏡の前の)就活生たちを見比べると、どうしても内面の個性まで画一的でつまんない奴らなんじゃないかと思えてくる。みんなサークルの副代表で、バイトリーダーで、自分を自動車の部品に例えると「潤滑油」的な何の変哲もないギトギトした連中にしか見えなくなる。
まず、部品で例えろよ。
大企業に行きたいがあまり、自分を偽り、同じような仮面を被っている、僕より相当な天邪鬼たちにしか見えなくなっていった。

せっかく働くなら、本当の自分、ありのままの個性を受け入れてくれる所で働きたい。さらけ出して仕事ができる環境に身を置きたい。何なら僕の個性やウィットのある部分を楽しんでくれるところにしか行きたくない。


履歴書やESで気を衒うようになった。
家から幼稚園まで4㎞歩いていたから忍耐力があります、とか、バスケ部で突き指ばっかしてたから、指先の忍耐力がありますとか、嘘ではないが本質的でない事を自己PR文に敢えて混ぜ込んで、面接でかますようになった。
役員面接で、明らか50以上の社長さんに「最近心が動いたことは?」と聞かれて「夜道を歩いていたら突然全裸の女性が現れてめちゃくちゃ驚いていたら、よく見たらベージュのニットを着てるだけでした」とかよくわからん回答をしたこともある。
大学で学んだ事を聞かれたときも、「イスラム教の人ってめっちゃ手洗うらしいですよ」とか本気でどうでもいい小ネタを放り込んだり。


結果、60社ぐらいは落ちた。友人の中ではダントツ劣等生な結果だ。


結局、にっちもさっちも行かなくなった僕は、しっかり仮面被り直して、大きな声で挨拶して、普通に質問に答えた会社に受かった。


面接が自己表現の場であることは間違いないんだけど、節度と常識を持った人のための場なのだと分かった。

今の僕の会社での評価は、真面目に言われたことに向き合って一生懸命考えるフツーの会社員だ。
明日も、その先も、普通に生きることになった。

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