嘘つきは生きづらさのはじまり。正直は生きやすさのはじまり。

はっきり言って、少し前までのわたしは嘘つきだった。

素直じゃない、とかそういうレベルを超えている。これが「すきな人につい素っ気なくしちゃうの……」とかいう話しだったらまだいい。ツンデレは萌えとして確立しているわけだし、「だがそれがいいッ!」となるパターンもある。わたしも基本的にすきになるヒロインは総じてツンデレ女子である。具体例を出すとエヴァのアスカとか物語シリーズの戦場ヶ原ひたぎとかね。何の話だ。

と、別にツンデレの話をしたくて文章を認めているわけではなく、わたしが嘘つきだった、という話である。

嘘の内容は本当に些細なことばかり、というか、思い返せば嘘にする必要すらないようなことばかりだったような気がする。流石に嘘をついてはいけない場面というのはわかっているので、そういう場面は嘘をつかない。ではどんなときに嘘をつくかというと、それがふとした雑談の最中だったりする。別に正直に話してもいいような話を、別の理由にすり替えて誤魔化して話すことが多かったり、本当は嫌だなと思っていることを笑って請け負ったりしていた。例えば、いつもより待ち合わせに少し遅れた理由が「寝坊」だったとして、相手にそれを指摘されると「電車に乗り遅れちゃった」とか言ったりする。別に時間に遅刻したわけでもなく、「五分前に来ないの珍しいね〜。こっちが先に来たの久しぶりだよ」とか言われた程度で、なんだか言い訳じみた言葉を吐いてしまうのである。

多分それは、ちっぽけなプライドの所為だったのだと思う。自分のパブリックイメージを損なう「何か」が発生したとして、その要因が自分ではなく外的要因にあるんですよ、という、まあ、言ってしまえばめちゃくちゃしょうもないアピールである。正直に言ってそんなことに何の意味もない。わたしは芸能人ではないのだから必要以上にパブリックイメージを気にすることなんてないし(そもそも一般人にパブリックイメージという概念があるのかという話でもある)、自分の立場に置き換えて、相手に「寝坊しちゃってさ〜」と言われても「なんだよしょうがねえな(笑)」くらいで済ませてしまうだろう。これが毎回だったら話はまた変わるけれど、たった一回、少し遅れたくらい(しかも遅刻すらしていない)なら、大体そんなものだろう。

では何故そこまでわかっていてわたしがパブリックイメージに固執していたかというと、単純に「嫌われるのが怖かった」からだと思う。わたしには、相手が抱いている「わたし」というイメージを少しでも損なうことがあれば嫌われてしまう、という、どこか強迫観念めいたものが存在していたのだ。これは過去に、自分の意見を正直に言ったときに人が離れていったことがあるというトラウマから来ているのだろうとわたしは分析しているけれど、如何せん心理学の専門家ではないので断言はできない(しかし、当たらずとも遠からずだとは思っている)。

でも、当たり前だけれど、他人にはわからない嘘でも、自分自身は嘘だとわかっている。基本的に人間というのは、嘘をつく人間を信用しない。そして信用を失うとどうなるかというと、その人のことを嫌いになる。

つまり、わたしはわたしからの信用をどんどん失くしていっていき、どんどん自分のことを嫌いになっていった。

最も自分に近い存在というのは、紛れもなく自分自身である。そんな自分に嫌われるということは、とてつもなくしんどいことだということに、二十代も後半になって漸く気が付いた。

そこからわたしは、正直に生きてみるという実験をしてみることにした。名付けて「ありのままのわたしを受け入れてくれねえ奴なんてこっちから願い下げだコノヤロー理論」である。無駄に長い。

そうすると驚いたことに、人はわたしが思っているよりも「わたし」という人間のハードルを低くしていることに気が付いた。

例えば先日のミス連発週間、わたしは三年に一回するかしないかといった「定期を忘れる」というミスをした。別に仕事に遅刻したわけでもなんでもないのだけれど、普段かなり早く出勤しているため、周りから「いつもより少し遅いなんて珍しいね」と言われてしまった。別に責められるわけでもなんでもなく、雑談のテンションである。

以前のわたしだったら、ここで何らかの適当な言い訳をしていたことだろう。しかし正直に「うっかり定期を忘れちゃって」と話してみた。そしたら「へー、意外!そんなところもあるんだ〜(笑)」と言われただけで終わった。うっかりしているところを軽蔑されるでもなく、寧ろ笑い話として終わってしまった。

自分のハードルは、自分が勝手に高くしているだけに過ぎなかった。わたしが相手に抱いているであろう「わたし」のイメージと、実際に相手がわたしに抱いている「わたし」のイメージは、大きく乖離していた。

そんなことに気が付いてしまったら、なんだか途端に体の力が抜けてしまった。今までしょーーーもない嘘をつき続けていた自分が心底馬鹿らしかった。そして同時に、物事を素直に吐き出すのはこんなにすっきりするのか、という謎の感動を抱いていた。

嘘というのは罪悪感を伴う。それが相手を貶めるような意図がないにしても、どうしようもなくわたしの中に棘となって巣食って、いつまでもちくちくとわたしを刺していた。

しかし当然だけれど、嘘をつかなければそのようなことは発生しない。心は凪いだままなのである。その日の気持ちはやけに爽快で気分が良かったことを覚えている。

やはり、「素直に生きる」ということは心の健康に一役買っているのだろう。嘘も方便という言葉があるし、それを否定するつもりは全くない。時には優しい嘘が必要な場面は必ず存在する。だから、嘘を百パーセント断罪する気もない。

でも、意味のない嘘は何も生まないのだ。そんな嘘の数を一つでも多く減らせたら、それだけ多く「生きやすさ」が掴めるのではないだろうか、という気がしている。





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白花

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