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AVはアダルトではなくアブノーマルの映像。性搾取とセックスワーク。

今回は視点を少し違うところへ。
性搾取についてを、性被害者のわたしがどう見て、どう考えているのか、書こうと思う。
深くは知らない世界、目を逸らしていたいこと。でも逸らさずにはいられないことなのです。
だって、わたしはここに立ち入っていたかもしれないのだから。いまからでも、入って行ってしまうかもしれないことろだから。
批判的に書くのは、批判的に思っているから。
それでも追い詰められたとき、わたしはここに行くのかもしれないと、隣り合わせの存在と認識する。


AVのAはAdultではなくAbnormalではないのか?

バッキー事件を知っていますか?

バッキー事件をご存じだろうか?
残虐AVによって女優たちの受けた扱いを問うものとなったきっかけだ。
裁判で有罪となったもの。
そのAVの映像をわたしはとても見ることはできない。
拷問でしかないことは聞いていた。
でも、その内容をほんの少しを想像するだけで、呼吸が上手くできなくなる。
見ることは、無理だ。
現実として自分の身にそれが起きたひとがいて、わたしは見ることすらできないなんて……と悔しいし、その女性がどんなにもツライことに酷い扱いに晒されたのかと、恐怖が募る。

いまでもネット上に在るその映像には「閲覧注意」としての注意書き。
まったく馬鹿にしてくれるなと思う。
その映像をどうしてネットで広めるんだ。
被害者のいる映像であり、事件として裁判になり、監督は刑期中だ(もう少しで刑期が終るらしい)。

AVのAはAdult(アダルト/大人の)ではなくAbnormal(アブノーマル/異常な)ではないのか?と思う。
残虐AV以前に、世界観は異常でしかない。

異常な世界観を性の欲を満たすことに使うということを、ただの性欲で片づけて良いのだろうか?
支配欲どころか、加虐欲でしかない。
残虐AVに興奮を覚えるなんて、性癖に加虐心を含めてしまうなら、痛めつけることに性的興奮する異常者。
残虐行為に泣き叫び耐え切れないほどの痛みに晒される女性を快楽に昇華するなら、性的サディズムでしかないのに。

ガチレイプものを「どう思う?」と聞くと

よくガチレイプものではイケない、という男性が言う。それが正常だ。
でもそんな彼らですらも、怖いもの見たさで視聴して、イケなかったからそうだと知った。
見てみたいと思い、見てみなければ、そう知ることもない。
あまりの女性の悲惨な姿に萎えたから、自分は好きじゃないと知り、そう思うに至る。

その言葉の裏にあることを意識しているひとはきっとあまりいない。
自分は好きではないけど、誰かは好きなんだろうね、という隠れた文。
そして、表現の自由とか、それが好きな人もいるんだし、とか。
アンケートでは、レイプものは女性に人気らしいよ、とか。

バッキー事件とまではいかなくとも、それらを女優が了承してのことであるとして、本気で嫌だと言っても、演技で「いい感じだ」と受け取られて、止まらない撮影現場を異常とは思わないか?
契約書のサインがあると、人間の全てを蹂躙されることを了承したとでも言うのだろうか?
そう理解して、異常な映像を快楽に昇華する人間は、性欲が理性を上回って正常な判断が出来なくなっているのではないか。

ずっと疑問だった。
AVの出演の契約とは、どうして、無限にあるシチュエーションの何があるのかを提示されずに、女優側がNGを申し出るシステムなのだろう?
出演者が何を許容するかを聞き取るべきではないのか。
許容しないことをされても、NGに指定されていないからなんて、ずいぶんな不利を強要する。
契約書なんて形のみで詐欺だろうに。

何をされることが嫌なのか。
自分の想像もできない内容をどうやって事前に嫌と言えるのか。
女性が許容できる内容におさめたら売れないのか。
そんな異常な男共のためにと、拷問されて、身体に消えぬ傷を残しても、いのちを絶っても自業自得と言い逃れするのは、どこの誰で、何のためなのか?

適正AVという、謎の「適正」をわたしはとても「適正」とは思えない。
性搾取という産業の形を適正として正当化したくない。
お気持ちと言われてしまえばそれまでで、わたしが示しうる根拠はない。
わたしは業界の人間ではなく、そこまで内情に詳しくもないから。

ガチレイプは好きじゃない。
誰かに需要はあるけど、俺は無理。
それは、自分はマトモだのアピールなのか?

自分にとっては見るに堪えない、その撮影を強いられた女性は、どうして平気でいるのだと、都合よく考えるのだ?
女性はそれを望んだ、受け入れたと、自分は見るに耐えない状況でも、その女性は平気だから受けたのだと、どうして都合よく思えるのか。
ときに、女性の安全より、誰かの加害欲を満たすための需要を守っていることについて、お尋ねしたく思うのだ。

わたしは、大切な友人の男性にも、大好きな恋人だった男性にも、この一点だけは許せない。
自分は見ない。好きじゃない。かわいそうで見らていられない。
他人の女性の、もしかしたら「ガチ」かもしれないそれを見て、そんな風に言えることが、とても許せない。

元恋人にそう言われたときは、唖然として、苦笑いで「だよね」と返すだけだった。
それを受けてどうしてこんなに悲しい気持ちになるのか考え続けて、友人にこの話をしたときには脳内で考えがまとまっていたために、手ひどく返してしまった。

わたしの隠し撮りのレイプ動画がネットに流れているかもしれないんだ。
相手にそうするって脅されたから、わたしはそれをもう10年探しているんだ。10年ガチものを探してる女性とか、いないよね。というか10年探してないなら、無いかもしれないよね。ただ脅しででまかせかもしれないよね。
無いかもしれないし、でも無い証明はずっと得られない。自分でも馬鹿みたいって思う。
というのは前置きとして、もし、わたしのその動画を見た人がいて、その男は君の友達と仮定したとき、その人が普通に性的に興奮して抜いて、その男友達と、君は笑って話せる?
もちろん、わたしは泣いて抵抗したよ。レイプものとしての見どころ満載。現実として、その映像があれば愉しむ人がいることは気持ち悪いけど事実だろうね。
その男友達を大事にできる?
(たぶん、実際とは違う部分多々あり)

無理だという彼に、複雑な気持ちを抱く。

じゃあ、どうして、ガチレイプものに関して、興味がないとするだけで平然としていられるのか。
そこにいる(かもしれない)被害者の女性を想像できないのはどうして?
その女性が自分にとっての大切に含まれる人であったら平然としていられないし、それに性的に興奮する男性を友達として見られなくもなるのに、対象が赤の他人で、まったく知らない女性なら、気にならない?どうして?

友人は日本語は難しいと答えた。
彼が本当は何をどう伝えたいのか、彼は何を言ってもわたしを傷つける言葉になりそうだとかの恐れからか、口を噤んだ。
何気なく発した、選んで発した言葉に、わたしが許せないという思いを抱いたことに対する警戒なのか、これ以上そういう気分にさせたくないという配慮なのか。
わたしは、それでも知りたいと思う。
本当はどう認識しているのかを。
たった一点のその許せないことで、彼を全否定したりはしないから。

三大欲求は「食欲」「眠欲」「排せつ」

どうして男性は性欲を特別視するのか?
三大欲求なのに市民権がない、恥ずべきものとされていることに疑問を呈す人もいる。

食・眠・排せつ、これが正しい三大欲求だと看護科の女性が発信しているのを見たことは、三大欲求にはいろいろな説があると知るきっかけになった。
とにかく、看護師の勉強をするその教科書にはそう記されているらしい。食・眠・排せつ、が三大欲求だと。
わたしはこの三大欲求に、とてもしっくりときた。
だって、どれもしなければ死んでしまうし、生きるために必要で、我慢することの困難さは、性欲なんて比にならない。
我慢なんてできたなら、もはや心理的に器質的に何らかの問題がある。

性欲が満たされなくても死なない。
もし解消されないと生死にも関わると言うなら異常な状態だ。性依存だ。

一生童貞でも、一生処女でも、死なない。
性欲は他の欲と違って、家計の出費に例えるなら、贅沢品・嗜好品の部類にあたるだろうと思う。

女を馬鹿にするのもいい加減にしろよ、と男性に言いたくなる場面が度々ある。
なんで、女であるもの、男の性欲を満たす協力が当然だろうの姿勢でいるのだ?
女側の何を慮って行為しているのだ?
嫌でも我慢し応じるのが愛だと、出産と新生児の育児で疲れて、そして母になったことからの心境の変化で、セックスレスに陥っている夫婦の拒否する側の妻に、ある男性が言った言葉。
風俗の許可を出してあげるべき。という意見もある。
ふざけているんだと思いたかった。
性欲を抑えられなくてツライ?
もはやそれは、人間の知性や愛情という感情の敗北宣言だ。

正直言って、男の性欲がどんなに強かろうが、男にとってそれが解消されなきゃツライ云々をいくら切実に語られようが、知るか!と言い放ちたい。
それが男にとって本当に重要なことなら、それを解消することに協力してくれた、女にとっての重要なことを対価として請求されても文句言うな!とも言いたい。

男性にとって性欲は重大事項
→女性にとってもそうに違いない
→男性にとってそれはキモチイイからして良いことでしかない
→つまり更にキモチイイと言われているし、何度でもイケる女は得もしている

こういう思考は本当にやめてほしい。
男女で性に対する価値観は、全く違う。
男性がそれらを行う動機や求めることとは、全く違う動機や求めるものがあって、女性はその行為をするのだ。
嫌なことを強要されて悦ぶ被虐心なんて、普通に女性は持ち合わせおりません。

韓国の「n番部屋事件」について

韓国のn番部屋事件を知ったとき、本当にあった事件だと、それが本当に起きたことだと、認めることに躊躇いを覚えるほどの内容だった。

でも、それまでにも、本当に酷い事件がたくさんあった。
それらが、日本では起きていないと言い切れもしない。
一般に知られていないことはたくさんあるのだからと、強い恐怖心を抱いた。

n番部屋事件の何が怖いのか。
有料のネット配信のような空間で、会員になり、お金を払ってそれらを見ていた人間が、たくさんいるということ。
女性がリアルに監禁され拷問され苦しむ姿を見ることに、お金を払っていた一般人がたくさんいるということ。
それができてしまえたこと。
視聴者たちに罪がないはずがない。

お金を払って、罪のない女性を、監禁してもらい強姦して拷問してもらい、それらを配信してもらって、ネタにしたりしていた。
何人もの罪のない女性たちが、恐怖と強烈な痛みと耐えがたい苦痛に泣き叫び絶望する様を「快楽」としてお悦しみになった。
そんな一般人がたくさんいるなんて、悪趣味では済まない。

それがただ、残虐なシーンを見たいから、であるなら、女性でなくてもいいはずだ。
男性が虐待されるよりもウケがいいのはなぜだろうか。

日本でそれは起きないなんて、どうして言えようか。

閲覧注意の「強姦」「拷問」その動画を視聴するヒトがいるから、ネットに無料で存在している。
それを見ることに罪悪感も無いヒトがいるから、そこに在る。

リベンジポルノも大好物でしょうか。
女性を陥れることがしたいのですか?
彼女に、妻に、内緒でハメ撮りを流すヒトもいますね。
何のために?バズりたいから?彼女と妻はそれがネットで視聴されていると知ったらどうなるだろう?
彼女に妻に内緒での部分、それが設定だとして、だから何?という案件だ。

そこに価値を感じるヒトがいるからの設定ではないのか。
設定である保証はどこにある?
AVが女優さんに無許可でない、嫌がっていない、無理をさせていないなんて、視聴しているだけのあなたにどうしてわかる?
知らなかったと言う逃れするためてすか?
気の毒だったと同情したり、どうせ馬鹿な女だろと嘲笑い、自らの責任から逃れるために、知らないフリと、知らないための努力をする。
性欲を愉しく満たすためには、不都合な事実を知ったら台無しだから、知らないように努力なさっているんですね。

ハードで過激なものにも一定の需要がある。
女を残酷な目に遭わせたいという願望がある。
それがたとえ一部の男性の特殊な例だとして。
リアルでしなければ良い?
それが犯罪の映像でも視聴することは問題ない?
自分は好きでもないし、関係ないから、どうでもいいこと?
バッキー事件を教訓にしないのはどうしてなのだろう。

関係ないって言って放っておいた一部の異常性癖の男性のために作り続けたAVに出演と無理を強要された女優は、どうなったのか、どうしているのか知っていますか。
閲覧注意とされていることが多いが、それを実際に経験し、トラウマを負い、自死を選んだ女性がいること。
見るに堪えない、聞くに堪えない、それをされた生身の女性がいる。
目を逸らすこともできない、現実に自分に起きていることして、苦しみ続けている女性がいる。
尊厳を破壊されても生きることを余儀なくされた彼女たちの苦しみを、無視して生きられるヒトを、羨ましいとは思えない。
わたしはそんなにも人間としての大切なものを失いたくない。

性産業は「性搾取」の業界か?

性搾取の裏側には、性のトラウマを持つ女性たちがいる。
性搾取をする業界、性産業だ。
AV、性風俗。性産業に立ち入った女性たちの多くが、性的なトラウマを持っている。そう聞いて、わたしとしては納得しかない。

なぜなら、わたしが性のトラウマから、性的な自傷行為をしていたから。
それが売春に直結するものだったら。
それに他に道がないのなら、性産業に対する敷居は、多分一般女性よりとても低い。

性的な自傷行為にとても向いているのだ、性産業は。性搾取の業界は。
そして、その業界にいる上のヒトたちは、それをよく知っていて、その仕組みすら、性のトラウマの心理的部分をも理解して、正当化して利用している。

性的なトラウマから、性に奔放になってしまったり、性に対する敷居、ハードルが低くなっていたり、トラウマの再演をしにわざわざ自ら立ち入る。
それを利用する。
こんな自分を受け入れてくれた、という体験。
それらを肯定されたという経験は、グルーミングに繋がる。

こちらの記事を読んでみてほしい。

日本は「性進国」ポルノが蔓延した異常な状態に慣れてしまった日本人

日本社会には、海外とは性についての価値観が大きく違う部分がある。
AVを作ることすら法的に禁止されている国がある。
日本なら普通に小学生でも読むことが可能な漫画に、年齢制限が設けられることもある。
日本で人気な漫画を読んでみたら、露骨な性表現があり、心底驚いて、子供たちには読ませられないと考えたり。
コンビニで堂々と青年誌、えろい雑誌が売られていることに海外から来た人は驚く。

日本はエロい表現に、性的な表現に、触れる機会があまりに多すぎるのだ。
日本には普段から認知が歪むほどに、ポルノが蔓延している。

「表現の自由」と性を強調した漫画・アニメの二次元について

表現の自由の名のもとに、二次元の性表現に規制がかからないように頑張る「表現の自由戦士」と呼ばれるひとがいる。

少し前にTwitter(現X)で炎上する事態となったのは、ずいぶんと前に地上波で放映された「骸骨騎士様、只今異世界へお出掛け中」というアニメの冒頭のレイプシーンの切り抜きだった(無断アップロードによって多くのひとの目に触れる事態となった)。

果たして、悪を成敗するというストーリの中で、あの描き方をする必要があるのか?
えろを強調し、性的に消費する男性諸君が喜ぶシーンを挟む理由はどこに?

わたしの相互の方に、話題になったアニメがそれだと知って驚いていた男性がいる。
どうしてそんなことになったのか?
彼は原作小説のファンらしく、そして性被害者でもあり、性被害者の女性たちが不快になり、苦しい思いをしたのがそのアニメであることに驚きショックを受けたようだった(彼は原作重視派で派生した漫画やアニメは見ない系らしい)。
そして悲しんでいるように感じた。
その彼の反応から、原作はきっと面白いのだろうな、あんな風に描いていないのだろうなと感じた。
それを彼のおかげで知ることができたから、原作を嫌いにならないで済んだ。

地上波でそれを流さないでほしいと思い発信すれば、表現の自由を盾に法的に問題ないと反論される。
主な反論はこう。
「現実でなく空想の世界だ」「放送されたとき何も問題なかった」「ゾーニングの成功例だった」「見たくないなら見なきゃいいだけ」「視聴者も弁えるべき」「法的に問題もない」「なのに、どうして批判されなきゃならない」「難癖つけるな」「ダメなら根拠を出せ」「所詮お気持ちでしかない」「レイプてはなく未遂なのになぜそんなに騒ぐ?」「現実と空想の世界の区別もつかない馬鹿」

こういう意見がまかり通ることが、日本社会のポルノに対する意識で、認知に歪みがかかっている証拠だろうとわたしは考える。

倫理観や道徳。それよりも大切な表現の自由とは、なんだろうか?
表現上自由でも、不快なものが目に入って、不快だったと言ったら文句を言われ、法的に問題ないのにお気持ちで難癖つけるな!と言われる筋合いはこちらにも無い。
言論の自由だ。

そもそも、二次元の性表現に疑問を覚えたのは、表現の自由という名のもとに「小児性愛」の漫画なども擁護されたことからだ。
そこにわたしは危機感を抱いた。

殺人は良くて、性がダメなのはなぜ?
簡単だ。殺人は安易にマネしない。
えろシーンにメッセージ性が必要なら、チャンバラシーンやアクションシーンにどんなメッセージ性があるか説明して?
例のアニメについてこんな絡み方をしているひとを見掛けたが、それはただ単にアクションシーンとして重要なのだ。
そこにはストーリーに説得力を持たせる役割もある。
格闘で倒すならその演出は絶対に必要なものになる。

だけれども、えろを強調した表現やシーンには、「えろい」のメッセージしかないし、ストーリーへの説得力を増すために絶対に必要なものとして挟まることは稀だ。
それこそエロがテーマでなければ必然性などない。

例のアニメに、あのシーンで必要だったのは、性消費されるべく描いたレイプシーンではなく、レイプでなきゃいけない理由もなく、レイプを扱うとしてもじっくり描く必要はないし、「悪は成敗される」がストーリーの軸であったなら、そこに重点を置くべきで、長々と尺をとって、頬を赤らめた女の子が、胸を意味もなくバウンドする様だとかはまったく必要なかった。

それをどうしても認めたくない人たちは、本当にメッセージ性や、アニメや漫画の描き方について、ストーリーの見せ方について考えたことはあるのか?と疑いたくなる。
色味、ライティング、構図、カット割り、それで印象は全く変わり、与えるメッセージも変わる。
「悪は成敗される」を描くに適した描き方が他にもあることを知らないのだろうか?と、アニメ、漫画のファンであるなら、一オタクであるわたしは残念に思う。
それに、ただのエロい二次元を守りたいオタクとは、オタク友達にはなれないと思う。

年の差恋愛は、純粋な恋愛か?

年の差恋愛についても、男性側の意見は、若い女性に惹かれるのは当然とどこかで思っているようだと感じる。
大人の魅力だとかいうもので、女子高生と付き合うという行為を、世間ではグルーミングと呼ぶのだけれど。

18歳の娘の父親である自分と同年代の男性を結婚したいと連れてきても、若い女に惹かれるのは当然!10代と結婚、羨ましい限り!そう言える男性がどれくらいいるのだろう。

外国人の男性芸能人が、若い女性(十代後半~二十歳程度の)のタレントについて好みを尋ねられたときに返したのは、まったくもってマトモな大人の答えだった。
「子供じゃないか。僕の娘と変わらない」
それがマトモな成人男性であるという認識が、日本人の男性たちの中には薄いように感じる。

セックスワークは仕事なのか?

セックスワークイズワークと、性産業を正当な仕事として認めるべき、職業差別はいけない、買売春も合法化しよう、そんな流れに男性諸君はどう思っているだろう?
合法だし、性風俗も買春もガンガンするぞ、後ろめたさもなくなるぞ!だろうか。
性を買えるということは尊厳を買うということ。
それが何をもたらすのか、買売春を合法化したドイツの内情を、下の記事を読んでみてほしい。

女性の性を尊厳を売ることを合法化しても、社会に悪影響はでない?
女性をモノとして扱うことに躊躇いは無くならない?
サービスに納得がいかなかった(自分がイケなかった)と訴えたりしない?買う側の暴力性は増したりしない?
恋人をモノとして扱わない自信はある?
その女性は誰かに買われたことがあるかもしれないことを念頭においても、大切にできる?
だって仕事をしていただけだ。

この記事を女のわごままと評した投稿を見かけたが、そうだろうか?
セックスワークの地位向上、買売春の合法化を女性たちは本当に求めていだろうか。
性産業で働かざるを得なくなる女性たちは、圧倒的に弱者だ。
そこでしか働けない事情がある。
その事情は支援されるべき内容であることが多い。
そして性産業は高額な報酬だなんて、現在の業界ではまったく言えないのが現状である。
ほんの一部の高所得な人さえ、昔より全然貰えない、稼げない。普通クラスの人は生活も危うい。

職業差別をするなと声高に叫ぶくせに、ある発信者が「元セックスワーカー」と知れば嘲笑する男性が現れるのはどういうことだろうか。
彼女たちを、恋人に、結婚相手に、と積極的に考えない男性の脳内はどなっているのか。
使い古された女性器として嘲笑うのはどうしてだろうか。
それこそ、職業として、女性として、ひととして差別している証拠ではないのか。
性を売る女性は、尊厳を売る女性は、人前で裸になれる女なんて、俺の女には相応しくはない。
そう思っていませんか?

話しは戻るが、性産業にいる女性は、性的なトラウマを持っていることが多く、それを利用されることもある。
貧困など、生活に追い詰められた女性を手をこまねいて待っているのがその業界で、女性は基本、追い詰められなければ、性を尊厳を、売ったりしない。

その職業を守ることにどんな意義があるのか?
弱者に職を与えた?そして守った?
他にその弱者を救う術はあるだろうに、その方法を選ぶのは、なぜ?

性欲のために利用できる資源を手放したくない男性の思考が見える。
そのときに男性が対象に必要としているのは「穴」「肉」「内臓」のみである。
女性の生身の心や、ひととしてのその人間ではなく、女体のみであること。
モノとして消費している自覚を持ってほしい。

残虐行為を女性にするほうが需要があるのは、男尊女卑と関係があるのではないか?
ミソジニー的な考え方のもとに、女性は男性に従属し教育してしかるべき、そう思っていることが、日本社会の性暴力に対して、男性の性欲重視の加害者の性欲を慮った司法の仕組みに反映されていないか?


最後に、ポルノ依存症について触れて終わりにしたい。
他人の行為によって興奮を覚えることは、自身の性体験に没入できなくなる。


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