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AVや性風俗がなくなれば男性は理性で性欲を抑えられないんだ!とか言っちゃうの?「性産業の是非」

「幻想を売っている」性産業の是非。セックスワークイズワーク?



こちら、今朝(本当は昼です)に起きたら、少しばかり燃えていましたので、これについて書くぞ!と気合を入れました。
現在、わたしは自身の性被害によるトラウマが本当にどうにもこうにもならなくて、治療したくも、セラピストが!高い!ねえ、どうしろっての!?という大問題にありまして、イレギュラー能力である(?)解離や、別の部分に過集中することで、毎日をやりすごしています。

性産業の是非についてとタイトルを出しましたが、要は、性産業を守りたい男性について思うことです。


売る女を見下すが、買う男は正常?

快楽のサービスを購入しただけと言い切ること自体が、わたしは本当に問題に思うのです。
きっと伝わらないこと。なぜなら、疑問に思わない状態に、この国でいい具合に性を消費する人間に育てられた大人が、性産業を利用して、そうしてきた大人がまた子供たちを育てるのだから。

風俗を嫌悪する=純粋
そう言ってのけることが、まさに性を買うことのハードルの低さを表していると思う。
非合法よりマシでしょう。どうせやるやつはやる。
そう言ってのけるヒトも多いから、一応、目を通してほしい記事を下記に載せる。

買売春が合法化されたドイツの内情を書いたものだ。率直に怖い、と思う。

女性をモノとして扱うことに躊躇いがなくなる。
商品として性を「ひと」を買う。
満足のいくモノでないからと訴える。
買う側の暴力性が高くなる。
それは、売春と関係のない女性の扱いまでもに及ぶ。

わたしは、全ての人間のため性(尊厳)を買うことを合法にしてはいけないと考える。
極論というか、性風俗は全面禁止で構わないと言いたいのだ。

セックスイズワークが認められても上記のようにならないと誰がどう立証できるだろうか?

日本人(とりわけ男性たち)のポルノへの慣れや異様な寛容さが世界的にオカシイことはご存知の通りです(日本人は知らないかもしれないけれども、世界的には有名です。日本は性進国と呼ばれています)。

様々に加虐する適正AVが出回る現状を見るに、貧弱な想像力でもこうならない見立ては難しいのではないかと思いますが、どうでしょうか?

少し前の投稿に引用した、売買春が合法となったドイツの内情を書いた記事を、読んでみてすら、男性の一部の反応は「売らなきゃいい」「甘えるな」だった。

売ってるからって、買わなきゃいい。
買う奴がいなきゃ、商売は成り立たない。
道徳と倫理観の破綻した男性の性欲の話が、売っているからいけないんだ。と言ってのけてすり替える男性には本当に残念な限りです。

わたしとしては、売春が罰せられる対象にあり、買春は罪ではないことが謎でしかないのに。

それでは、本題(?)に参りましょう。

今回の投稿に引用してくれた皆さんの意見に思うこと


需要と供給の問題で客と働く女性はWIN-WINであるから、外野は黙れ。

これは男性の意見に本当に多い。
はっきり言うなら、男性の幻想だ。
言うなれば、性産業は、男性に幻想を売っているのだ。

性産業に従事する女性には性被害者が多い。
こう発信すると一部の男性からしてみたら、考えにくい行動で、つまりはわたしの妄想のようにとらえる人が現れました。

けれども、性被害者からいわせてもらえば、それは「あるある」です。
性被害を機に、性的な自傷行為をする被害者は多いのです。
聞いたことはないですか?「木は森に隠せ」という言葉。
レイプされた一度のことより、たくさんの行為の一つにしてしまえば傷が薄まるんじゃないか?という考え方。
全く薄まらないと気づくまでに、どれほど繰り返すことになるのか。
そうなる被害者ばかりではないが、そうなる性被害者は多い。

でも、そうでない人間にとって、性被害と無縁に生きてきた人にとっては、どう考えてみたところで、嫌な記憶をほじくり返すようなことをすることが、まったくピンとこないでしょう(気持ちは理解できる)。

この話ではじめるのには、最初の引用(?)に返したことだったから。

しかし、その相手はこう返した(要約です)。

もしも従事する女性に性被害者がいたとして、それは運営側の問題であって、快楽というサービスを買っただけの男性には関係のない話。
利用することでトラウマをどうこうとは考えていないから、関係ない話。

わたしもそんなん風に、関係ないよね、と言えるような図々しい精神を持ち合わせていればよかったとは思いませんが、その側面があることを知らないならまだしも、知ってもさらに関係ないと言い続け利用できるとなれば、人間性の問題になるのではないだろうか?
そう、とても悲しい気持ちになりました。

本当にWIN-WINなのか?


男性にとって客である自分と、金銭を稼げた女性が、同等に価値あるものを得た状態でなかったら、きっととても悲しいのだろうと思います。

自分が女性の尊厳を踏みにじるだけの行為に金を払ったのだと言うことは、絶対に認めたくないことなのかもしれない。

だから、売った女性は大金を手にした。
望んでその職に就いている。

そう言い切りたいのだと思います。
客である自分と、金銭を手にした女性はWin-Winであるという幻想です。
ここでは敢えて、幻想と言い切りたい。

AV業界の闇なんていったことろで、男性にとっては悪名高い「バッキー事件」くらいにしか思わないでしょう。

そこに従事する女性が性被害のトラウマによる「再演」という状態を利用されていると言われたところで、一部の女性がそうだとしても、全員がそうじゃないでしょう?と言って切り抜けようとします。

これは何度となくきっと繰り返されている状況だと思います。

こちらには、もちろん性産業に従事する女性全員が性被害者だと言うデータもアンケート結果もありませんから、反論できません。
少数ではない、という言い方しか出来ないのです。

そこへ、勝ち誇ったかのように「AV女優に就いた理由」「風俗で働く理由」という雑誌やサイトに載せるような、男性客のために誇張された(可能性もある)アンケート結果を持ち出せば、彼らの勝利と言った感じになります。


性被害者の実態を伝えたいと思っても


過去に、わたしに、「性被害者がどれほどの苦しみを抱え生きて死んでしまっているのか、客観的データを示せ」と言ってきた男性がいます。客観的データより確実なものはないからと。
それも出せずに被害者せいだけで売り込んだって、最初は同情を買えたとしても飽きられるから。客観視できるデータがないなら、何も変えられはしないんだ!と。

わたしにはそんな体力はない、やりたくてもできない。
そんなことを言おうものなら、「あなたにとって、苦しんでいる性被害者に対する思いもその程度であるという証明だ」と彼は言いました。

そうでないことはわたしが一番理解しているので、自分自身に対するダメージはありません。

ですが、「十年かかってでもそうするくらいの気概もないのに、発信して偉そうに論じるな!」とでも言いたそうな彼には本当に腹が立ちました。

当事者がそうやって動けるようになるまでにどれだけの時間が必要になるでしょうか?

わたしは性被害に遭ってから、個人的に発信ができるようになるまでに十五年を要しました。
現在も電車に乗ることも困難で、生活そのものが困難で、自分のことだけでも精一杯で、わたしが彼の言うことを実行できるようになるのはいつのことでしょう?

そして、それができない「わたし」という人物が「性暴力」に対して問題意識を持っていることの、その密度さえも薄っぺらいものだといわれてしまうのかと、愕然としました。

おかげで、絶対に負けてたまるか!という思いも生まれました。
でも、正直心が折れそうな気持ちにもなりました。
わたしの発信に意味はないだろうかと思いつめる部分もありました。
でも、この小さな発信に、わたし自身が個人で発信している性被害者の言葉に救われた経験がある以上、わたし自身がそれを否定することはしたくないから。

そして、この発信に、自分自身が意義を見い出しているので、彼の言葉は今でも苦しく思いますが、外野の意見として、参考にしようと思います。


性産業は社会に必要な職業なのか?


性産業の話を出すと、下水処理等、人に嫌悪されがちな職業や、肉体労働で身体の怪我のリスクと共に働く男性についてを持ち出す人が必ず現れます。

ですが、わたしはいつも疑問に思うのです。

「尊厳を売る」ことと「身体的リスク」を同れるに扱っていいのか?

嫌悪されている職でも、本人は誇りを持っているんだからという擁護する意見には、それこそ「セックスワークの女性は誇りを持ってその職に従事している」という裏付けが必要です。
そして、本音として公に「誇りなんてない」と言ってしまうことが、従事する女性にどんな苦痛であるか、いままさに従事している女性からは聞く事ができない言葉で、やめたあとに「実は」と言い出すのが常。

でも「男はキモイ」と言いつつからだを売る女性は見たことがありますよね?
「キモイ」男性と性交をすることで金銭を得た仕事に「誇り」を持っていると言う状況は、どうすればできあがるでしょう?
こう書けば「売らなきゃいい」「金が欲しいなら黙れ」となりますが、このとき、買った男性の「キモさ」について言及してほしいものです。
なぜ「キモイ」のか理解できますか?
「自分のからだを買った」男性であるから「キモイ」んですよ。
「金で性行為を買う男性がキモイ」若い女の子は正直です。
変にすれ切ったAV女優さんよりよほど正直に、男性の性欲を気持ち悪いものとしています。
「じゃあ売るな」というなら「なぜ買った?」と返します。
「売らざるを得なかった少女」だとして、そうしなければ生活ができないその子に「買ってあげるから」と言う言葉を投げかけるクズがいることには、多くの大人が賛同するでしょう。

でも、職業としての性産業は「仕事」であるから「キモイ」は我慢しなければなりません。当然です。
幻想を売るのです。性産業の女性たちは幻想を売っています。
その幻想は、自らの尊厳をすり減らして作り出します。
その仕事に誇りを持つと言うことを、イメージして頂ける短い作文を用意しました。

僕のパパは下水処理の仕事をしています。
みんなはそんな仕事は汚いと言い、ときに僕にまで「くさい」なんて言ってきます。
でも、下水の処理という仕事をしてくれる人がいなかったら、みんなはどう生活していくつもりなんだろう?
だから、社会に絶対に必要な仕事なんだと、僕は胸を張って言います。

ある下水処理の仕事をする父親を持つ少年の言葉

きっと感動的な作文ととらえられるでしょう。
パパも涙して喜ぶかもしれません。

次の作文はどうでしょうか?

私のママは性風俗で働いています。
みんなは体を売る女は最低だと言って、お前も将来はそうなるんだなんて揶揄われることもあります。
でも、男性の性欲を処理する女性がいなかったら、大人になった男子は、馬鹿にしていたことを後悔するくらいにきっと生活の中で絶対に困るのだと思います。
だから、社会に絶対に必要な仕事なんだって、私は胸を張って言えます。

ある性風俗で働く母親を持つ少女の言葉

こんな作文がまかり通るのが、目指す社会でしょうか?

セックスワークも立派な仕事。
そう言うために必要なものが、社会にはありますか?
無くては困るのは、誰で、何ですか?

社会に必要な仕事として性産業を打ち出すのなら。

男性の性欲は、女性を買ってでも処理しなければ社会にとって最悪な結果になると言うデータが必要でしょう。
それはつまり「男性は知性や理性よりも性欲を優先する生き物」であるという立証になります。
「性欲を抑えて(我慢して)生きることは男性にはできない」ということ。
つまりは、生きるため、生活のために「仕方なく」女性を買っているということになります。

でも、現状、男性は一度もそうは言いません。
自身の女性を買うと言う行為を肯定はするものの「売っていなかったら困る」と言って憚らない男性は見たことはまだありません。

(その点、表現の自由戦士は、えろを誇張した表現がなくなったら困る!というような必死さがあって正直です)

売っているから買っているんだ。と、まるで売っていなかったら買わないとでも言うように。違法ならしないと。

でも、つまりは合法であれば「買う」ことが決定しているかのような物言いです。

正直に言ったらいいのではないでしょうか。

僕たちは、お金で女性の体を性的なサービスを買えないと困るんです!
性欲も我慢できない生き物なんです!

性産業が無いと性犯罪が増えると言うエビデンスを基に、性を売ってもらうことを守りたい男性も、正直に言ったらいい。

性産業がなかったら、問答無用で一般女性を襲ってしまうかもしれない!
僕たちはそういう生き物なんだ!
そんな男ばっかりなんだ!

この言葉を言う間抜けさから目を背け、「性犯罪を減らすことに役に立っている」という一見マトモな文章に変えたところで、意味は同じであることを、考えてみてほしいのです。

性産業が無いと、性犯罪に走る男性がたくさんいるんだと、暗に言ってしまっているということを。
そのために性産業が必要で、そのために女性に従事してもらいたいし、そうすれば性欲処理に本当に助かるのだと。


外野が口出しをすることの是非


関係ない外野なのに、
どうしてこのひとはこんなに必死に噛み付いているんだろう?

という疑問を嘲笑としてぶつけてくれた人もいる。

はっきり言うと、正直に言うなら、わたしは完璧な外野でもない。
からだを売ったことがある。
金銭(または食事等)と引き換えにからだを売ることをしたことがある。

そして、現在も、からだを売ると言うことを現実として考えることが日常にある。

理由は二通り。

性的自傷をしたいから。
性的に自分を傷つけたいと言う衝動が、性被害に遭ってからずっとわたしの中にある。

そして、わたしは現在、性被害によるトラウマの治療にかかる高額な治療費を稼ぐ方法にあぐねている。

からだを売ることは、現在の社会不適合者の生活をしているわたしにでもできる「金を稼ぐ方法」なのだ。

過激さを加えるなら、多少多めにも稼げるかもしれない。
そのハードルが、現在、わたしは性被害によるトラウマが大いに役に立ち、ものすごく低く設定されている。

完璧に外野ではなく、すぐそばにある問題として、自分のこととして、わたしは性産業の問題を見ているのです。

そうでなくとも、日本に生きる女性たちは、常に男性からの性的な目線に敏感に生きること、性暴力にさらされて生きることを強いられていることから、性を売ることはそこまで遠い話でもないと感じているのではないか?
わたしは、そう思うのです。

男性にはきっと理解できない感覚だと思います。

自称「性犯罪の少ない国」として、男性たちが他国との性犯罪の認知件数のグラフを出すことは、この話題になるときにはもはや定番のようになっています。
そうするなら、こちらも定番で「暗数の存在」「認知する内容の違い」を出すことになります。
が、男性にとって重要なのはデータになったかどうかであって、「暗数」なんていう見えないものを言われても困る、数値化してくれなきゃ納得できないと、無茶なことを言います。

「暗数」を正確に数値化できてしまったら、もはや「暗数」ではなくなります。

このような「性暴力の数は少ない」「大袈裟に騒ぐ馬鹿な女」「データを見せろ」という男性からしたら不都合な事実であるのが「性暴力の本来の数」でしょう。
それについて「見えなければ無い」という返答に腹が立つ女性は多いのではないでしょうか?

わたし自身、被害届を出せていない性被害であることを「被害届を出していない=加害事実がない」と言われたこともあります。

性被害者は告発すれば、社会から何故か批判され、二次加害(セカンドレイプ)がたくさん待っています。
警察や司法のシステムそのものが二次加害として機能する側面もあります。

性犯罪の刑罰は異常に軽く、一生をそのトラウマの治療に当たるかもしれない被害者と、刑期を終えれば(中には性犯罪者の刑期中の扱いは酷いからカワイソウだと擁護する人もいて)、禊を終えれば、社会に戻ることも可能な加害者たち。
その非対称性は本当に悲しいなんて言葉では表しきれません。

性暴力がどうしてこんなに軽いものに扱われるのか。

これに憤っているのは、残念ながら主に被害者のみです。
当事者しか、この困難を知ることができない。
当事者自身が声を上げなければ、一生知られることもない苦しみなのです。

ここに「外野」という存在が、寄り添ってくれたら、どんなに有難い事でしょう。

性被害者たちは、自助会等のコミュニティを形成することはあっても、外野が積極的に絡んでくることのない、閉ざされた世界にいます。

自身の被害について、他人に知られたくないと言う思いがあることを尊重する外野もいるでしょう。

でも、当事者たちの抱える困難を、外野に知らせなければ、一向にこの立場も待遇も現状も何も変わらないのです。

閉じた世界に在る問題は、当事者から外野にコンタクトをとるか、外野から関わるかをしなければ、どんなに劣悪であろうと知られることのないままにそれがあり続けます。

当事者性を持つことが苦手な日本人


日本人は当事者性を持つことが苦手なように感じます。
平たく言うなら自身に置き換えて考えるということが下手なのです。
自分には関係のない事である。
そう言い切ってしまえるから、他人事にわざわざ口をはさむ人間を、「馬鹿なことをするな」「本人たちには迷惑かもしれないだろ」「何も知らない外野は黙ってろ」「放っておけ」そう言って見ないでおくことをするのがとっても得意なのです。

当事者性がない日本人は、ボランティアに否定的な意見だったりします。
寄付を偽善だと言い切る人もいます。

でも、偽善であることはそんなに悪い事でしょうか?

当事者でない限り、胸を痛めたその思いも自身の経験のこしてではないままに、その活動に従事します。
そのおかげで助かる当事者がいても、偽善だと嘲笑うのが日本人です。

当事者でない人が当事者を語ることは、確かに当事者からしても「それは違う」ということも出てくることはあるでしょう。

(トランス活動家に性同一性障害の人から文句が出ているような構図です)

けれど、外野が騒がなければ、当事者の苦しみは、いつになっても表面化せず、問題と認識されることもなく、当事者同士は困難を抱えたままにいます。

言い換えるなら、外野に騒がさせなければ、社会には問題と認識されないのです。

今回、わたしの投稿に「外野のくせに」と言った方は、まさに「関係ないことに首を突っ込んだら当事者に迷惑だ」と言いたいのでしょう。

でも、わたしの意見はわたしの意見で、完璧に外野でないからこその、半端な当事者性でもって、わたしの意見を述べただけのこと。

でも、わたしが性被害者が性産業に多いと指摘したことは、様々な書籍で「性被害者の心理」として起こりうることと指摘されていることです。
そして、わたし自身が性被害からの性的自傷行為として経験したことでもあります。

性産業の闇の部分、AV業界の闇の部分、そう発信しているひとは他にもいること。それらが書かれた書籍もあること。そういう実態があること。とあるAV女優がそう告白していること。

そういう説があることを、まず知ってもらわなければはじまらないのです。

からだを売ることは「楽」に稼げる?

引用した元の投稿について(勝手に載せてすみません)

さて、男性の一部が定期的に「女は体を売ることで楽に稼げるからいいよな」と言い出すことの是非を考えてみましょう。

「楽」と認識できているのは、あなたが男性であるから以上に原因はありません。

男性にとって性行為は「射精」するだけの行為、もしくはそのためにする行為です(という認識で構わないでしょうか?)。

女性にどんな負担がかかっているかも考えずに、性欲のままに「射精」し「快楽」を得ることだと認識し、経験しているから「楽」なことと認識しているのではないでしょうか?

男性にこれを理解しろというのは、本当に難しいことだと思います。
なぜなら、男性でいたことしかないのですから!

例えば、仕事がないと言っている男性にこういうのが普通に起こっていたら違う見解があったかもしれません。

肉体労働もできないなら、性風俗で働けばいい

ですが、現実として、同じ境遇にあっても男性はホストになるという、これまた同じ夜職に就きながらも非対称性にあるのですよね。
昼職に就けない女性なら、風俗に(キャバなら安心?→いいえ)。
昼職に就けない男性なら、ホストに。

自身のからだを、性を売ると言うこと。

男性は、これを現実として自身に起こることとして、考えたことがありますか?

ゲイ専で売ったらいいんじゃないかな?
入れられる方(ネコ)が嫌なら入れる方(タチ)でもいいんだよ?

ゲイ専門の売りをしている男性は、この仕事を「楽」だとは言いません。
わたしはほんの少し、書籍で読んだことがあるだけで、男性の売りについて詳しくはありません。
ですが、入れられる方は本当に体がしんどいから、入れる方にしたけれど、まったく勃たないから薬で強制的に勃起させてやっているんだ。
なんて声を読んだときに、半端な当事者性を持ったわたしは、読むことが辛くなってしまいました。

性風俗を利用する男性にとっては夢のない話ですが、風俗嬢のみなさんは「濡れた」状況のために、女性器にそれらしいものを仕込みます。
「イッた」状況に見せるために散々演技をしています。
生理でも海面を仕込んで働きます。

こちらは風俗嬢的な方はよく書かれていることです。

演技や仕込みにすら悦んでいる男性を「キモイ」と思いながら、自分にはこれしか稼ぐ方法がないからと、歯を食いしばって笑って生きている彼女たちを、わたしは見下すことなど出来ないし、とても近い存在に感じることしか出来ません。


夜の仕事に就くことを本人が望んでいるのは本当か?
本当に稼げる仕事か?


ホストになる男性、風俗に従事する女性に、発達障害や知的な問題を抱えた人が多いことを言ってしまえば、きっと都合の悪い人がいることでしょう。

けれど、昼の職に就く事ができず、夜職にしかつけない人。
昼の職場に様々な理由からなじめない人とは、どんなひとだと想像しますか?

時間を守ることが苦手。
空気を読むのが苦手。
勉強が苦手。
みんなと同じようにが苦手。

そんな女性でも、性を売ることに関しては、普通の女性と同じ扱いを受けなます。
ホストになった男性に、まずは国語ドリルをやらせるのだという実話もあります。

夜職には、集団に馴染めない人が集まってきます。
ある意味、芸能界と似た感じかもしれません。
そして、現在、芸能界の性加害にスポットが当たっています。

そうなると、集団行動ができないとなれば、性加害に遭うことが身近になってしまうのか?となりますね。

都会に行くと「バーニラバニラ高収入!」という宣伝カーがやたらと走っていますね。

みなさん、風俗は本当に高収入だって思っていますか?

これについて、わたしはバニラについてを述べることはできません。知らないから。

けれど、一昔前なら、財産を築けたほどに稼げた性風俗は、いまや収入としてはまったくな職業です。
裸体を他人に晒すこと、様々なリスクを背負うこと全然見合ってもいない状況にあります。

AV女優が簡単にうん百万円?うん千万円と稼ぐ世界はもうありません。
それがどこに原因があるのかは、一概には言えませんが、上記のような女性など、風俗でなら稼げるかもしれないと入ってくる女性が増えたこと(稼げないと知っても抜け出せない女性も多い)、AVコンテンツであればネットでの無料配信の影響が出ているのではないでしょうか。

需要と供給という話で性産業をまとめようとする男性は多いように思います。
ですが、もはや需要も供給もともに過多の状態で、収入となればまったく労働に見合っていないのです。


こんな状態で、売買春を合法化したら、社会的に性産業の地位はむしろ下がるかもしれないですし、合法だからと踏み入る人が増えることで、ますます性産業に従事したとて収入は減るかもしれません。
(これは、まったくの根拠のないことですから、そうなる可能性はゼロではないよねくらいに留めてくださいな)


引用の元の投稿にあるように、男性のみなさんは「自分が売る側になる」ことを考えないでいられるから「他人事」でいられるのだと思います。

からだを売ることは、肉体労働としてと捉えないでほしい。
からだを売ること、性を売ることは、サービス業と捉えてほしくない。

性産業は「尊厳を売る仕事」です。
尊厳と心を切り売りしているんです。擦り減っていくんです。

男性が自分事として捉えるのには、体験しかないのか?


からだを売ることで心がすり減っていくこと。
決して楽な仕事ではないこと。
追い詰められもしないで、通常の精神状態で立ち入る職種ではないこと。
キラキラしたイメージを性産業に対して少女たちに植え付ける大人が常にいること。
けれども、生半可な覚悟でできることではないこと。
肉体労働でも、サービス業でもなく「人身売買」に限りなく近いということ。

信じられないなら、楽な仕事と言うなら、自身を売ってきたらいいと思う。

自慰の配信や、女性を犯す側としての出演等ではなく、女性用風俗のマッサージ師でもなく、男性との性的な接触がある現場に、誇りを持って従事したと経験を語ってほしい。

自身の体を男性に売るという、客側の性別を同じにして、売ってきて、その体験を語ってほしい。

年齢が……とか、体形が……とか言って、尻込みするのは違う。
熟女枠もあるのだから、熟男枠もきっとある。
ガリフェチもデブ専もある。
努力して売って来てください。

男さん、からだは誰でも売れるんです。
それも、男性に買ってもらえるんです。

男性のみなさんには是非とも、自分のからだと性が売れることを体験してから、語ってほしい。
買う側の視界しかない男性には知らないことがたくさんあるから。
是非、売る側の視界を見てきてほしい。

性を売ると言うことがどういうことであるのか。
モノとして扱われ、痛みも尊厳も売り物として。
快楽のサービスですと言い、客に媚びてきてほしい。
男娼として社会にも嘲笑もされてみてほしい。

そして、人権とは何だろうか?そんな疑問が浮かんだ頃、同じ土俵で話し合いたく存じます。

正直、そんなことをしないでいるままに、同じ立場で対等に話し合いたい。
けれど、男性にとっての性産業は、肉体労働でサービス業であるというなら、体験してもらうしかない。
それはとても残酷ですが、そうでもしないと理解できないことが、本当に悲しい。

買う側の意見しか知らない男性が、性産業を語ることは、愚かな行為だと思う。
性産業の是非、女性に「わからせ」るために、必要なのは、売る側を経験することです。
その後に性を売ることを論じたら、意義ある話し合いになるだろうと、わたしは思う。

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