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腑に落ちたこと

昔からずっと言われてきたことが最近になっていろんな意味で心に馴染むように理解できるようになった。

例えば「嘘をつかない」
子供の頃は嘘をつくと怒られるから嘘はダメなんだと思っていた。
少し大きくなって嘘が上手くなって、怒られないために、ちょっとした見栄のために嘘をつくようになった。でも嘘は増殖して収拾がつかなくなり、追い詰められるという経験をすると嘘はやっぱりつかない方がいいと実感する。

そして最近、嘘をつかないと生きやすいということに気づいた。
マウントの取り合いも「いいなぁ!!羨ましい!!私だって自慢したい!いいねって思ってもらいたいから今から自慢するね!」って言ったら、何となく人間関係がスムーズにいく気がする。
「返信しないとかムカつく!こっちは淋しいし会いたいのに!どんどん変な想像して不安になる。大好きだから!」って言ったら、お互い素直になれると思う。

「嘘をつかない」のは実はすごく楽だと思う。
したらダメとかしない方がいいとか頭で考えるのではなく、思うまま伝えていればそのうち自然に嘘をつかなくてもよくなる。そして面倒なことがなくなり生きやすくなる。


「思いやりを持つ」
困っている人がいたら助けるべき。相手の嫌がることはしないこと。相手の気持ちになって考える。
年配の方に席を譲ったり、背もたれを倒していいか聞いてみたり、車間距離をしっかりあけて運転したり。
自分よりか弱い存在だから、迷惑をかけてはいけないから、嫌な思いをさせないように。

でも今は自分を大切にするようになって、同じくらい他の人も当たり前に大切な存在になった。
私にとっての大切な存在という訳ではなくて、同じく誰かの親であり誰かの子であるという意味で。
良くないことをしても、誰かの為だったり心に余裕がなかったり、そういう事もあるかもしれない、と自然と思えるようになった。
見た目や肩書きや年齢性別ではなく、それぞれ皆が平等に思いやりを受けるべき存在だと思う。
そう思うようになってからは頭で「親切にしなくちゃ。」と考えるより、自然と思いやりを持てる状態でいられるようになった気がする。


「幸せになる」
気の合う仲間と楽しく過ごせる幸せ。やりがいのある仕事でたくさん稼ぐ幸せ。家庭を持って子供を育てる幸せ。
幸せになる条件は人それぞれだと思う。どうしても欲しいものはある。お金、パートナー、家族、健康、趣味、ペット。
でももし何も欲しくないならもう幸せなのかも。

私は今、かなり幸せを感じている。
それは恵まれているからとわかっている。働かず、料理をさぼり、趣味を楽しみ、それを許してくれる夫がいる。両親や子供達もそれぞれ自立した生活を送ってくれている。
それがひとつでも崩れたとき、私は不幸になるのだろうか。自分でもわからない。

ただ今回の病気に関しては、体はしんどかったけれど心は健康だった。ずっと穏やかで何故か不安は全くなかった。
「今日も雨で緑がいきいきとしているから幸せだなぁ」「看護師さんが笑っていて良かったなぁ」
入院前も後もそれは同じだった。
目の前にある幸せを見つけようと努力しなくても、それらしか目の前にはなかった。

病気がわかったときはそれがマイナスの出来事だろうが、止まっていた時間がようやく動き出した感があった。「こう来たか」と。
この先何が起こっても絶対に無くすことのない幸せの感覚、実感はもう体の中に染み込んでいる。じんわり温かく包まれる安心感。充足感。自由。
全てのことは起こるべくして起き、なるようになっていく。
両親の介護、ペットの死、病気の再発、これからそれらを経験するとしても、自分の幸せの感覚があるから受け入れて送り出していけると思う。


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