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葬儀屋のホームページ

葬儀屋のホームページを二つ見た。

一つは、単なる看板みたいなサイトで、連絡先以外、具体的な中身がなにもなかった。社長の挨拶があるだけで、実際の葬儀では、どんな形式が選べて、それらがいくらくらいかかるのか、といった知りたいことが、まったくわからなかった。

もう一つのサイトは、詳細な情報にあふれていた。選択肢がいくつもあり、見積もりの方法が示してあり、具体的な金額が明示してあった。葬儀会場や火葬場での費用、待機時の飲食代、どこの火葬場でやると最低いくら必要なのか等、返礼品についても示されていた。Q&Aも充実している。また社長のブログには、自分が跡を継いだ時のいきさつや、葬式あるあるといった初心者?が知りたい情報が的確に示されていた。

この二つの葬儀屋は、同じ区にあって現在も営業している。実は、今から二十年くらい前は、区内にあった某大学病院の遺体安置室に、この二社が、二週間交代で24時間体制でつめていた。でも現在はどうなっているのかは、わからない。


かつて私は、焼き鳥屋で働いていたことがある。計算してみたら、22年くらいやっていた。焼き鳥屋は叔母の経営だった。叔母は、私の母の妹だ。

私は店長という名目で焼き場その他を担当し、叔母が焼き鳥屋なのにママという名目で、料理をやっていた。その他に、多い時で3人の女性パートを雇っていた。

叔母は、焼き鳥屋がうまくいったら、叔父と離婚して、独立しようと思っていたらしい。

その焼き鳥屋の常連客に葬儀屋の社長が二人いた。二人とも、叔母の夫である叔父の知り合いだった。

一人は、千葉県出身で一代で葬儀屋を築いたHさんだ。もう一人は、岐阜出身で、葬儀屋の一人娘に見初められて婿養子に入ったIさんだ。

Hさんは今で言う起業だ。大学を出たあと、ちょっとした縁で、〇価学会の〇会葬を手伝うことで葬儀屋が儲かると知って始めたと言う。それが昭和40年くらいのことだ。本人は別に〇会員でもなんでもなく、仏教からキリスト教の葬儀を扱う普通の葬儀屋だった。

焼き鳥屋に来ていた当時は、法要の会食用の仕出し屋も経営していた。大っぴらにしていなかったが、フィリピンパブも経営していた。平成の初めには、当時、東京に増えていたイスラム教徒を見据えて、ムスリムにも対応した葬儀もしたいと言っていた。やり手と言えばやり手だったんだと思う。

その頃、もう30代になっていた二人の息子が、Hさんの葬儀屋の実務を担っていた。この二人が、絵に描いたようなバカ息子だった。

兄の副社長は気が弱い遊び人だった。弟の専務は気が強い遊び人だった。兄には軟派で子狡い社員が二、三人へばりついていた。弟には、硬派の社員が数人へばりついていた。兄たちはオタッキーなことと愚にもつかない儲けはバナシばかりをしていた。弟たちは、女遊びのハナシばかりしていた。

Hさんは私の叔父の若い頃からの知り合いで、ゴルフ仲間でもあった。もしかしたら、叔父はHさんのフィルピン・パブ経営に絡んでいたかもしれない。

叔父は、表向きは金属関係の会社を個人でやっていたが、警察の機動隊に密着した仕事やら、某三行地で夜の店をやっていたりと、不思議な人だった。


Iさんは、上京して新宿のダンスホールで働いているときに、客の女の子に見初められたんだと聞いた。その女性が葬儀屋の一人娘で、Iさんは婿に入って、そのまま社長になった。Iさんもやっぱり叔父の遊び仲間で、叔父の弟分を気取っていた。

地元では大きな葬儀屋だったが、実務は全部、奥さんにやってもらって、Iさんは毎晩、飲み歩いていた。いつも女連れで、その都度、女の人も違っていた。

困ったのは、焼き鳥屋でパートをしていた女の子と愛人関係になったことだ。その女の子は、叔母の知人の娘さんで、一時期、無理を言って手伝ってもらっていたのだ。女の子と書いたが、当時20代半ばでバツイチだったから、大人と言ったら大人だ。

二人はいつの間にかくっついていたのだが、彼女に好きな人が出来て、別れるときには修羅場になった。Iさんが彼女の留守中にアパートに合いカギを使って侵入?し、洋服や下着、布団を切り刻んだりした。怒った彼女が警察に通報してパトカーを呼んだりしたから、ことが公になってオオゴトになった。

叔父はIさんを遊び仲間から外し、Iさんの葬儀屋を某大学病院の仕事からも外した。なぜか、叔父には、そういうことを采配する力があって、Hさんの葬儀屋もIさんの葬儀屋も、大学病院の仕事の始まりは叔父の口利きだった。

焼き鳥屋は、ある日、叔母が脳幹梗塞に倒れ、亡くなってしまって、閉店することにした。

叔母の葬儀は、Hさんの葬儀屋でやってもらった。これがすごい豪華な葬儀だった。最上級の棺桶が用意され、骨壺もなんとか焼きだった。

こちらになんのハナシもなく、Hさんの葬儀屋が勝手にそうしてくれたのだ。叔母の娘たちはサービスなんだと思って感動していた。私はそんなことはないと思っていたが、従姉妹たちは、Hさんはお父さんの親友だからなんて甘いことを言っていた。

もれなく請求書が届いて、叔父も私たちも愕然とした。ちょっと考えられない高い額が書いてあった。

叔父は、全額を一括現金で支払って、Hさんとの付き合いをやめた。叔母に死なれて、叔母がずうっと離婚しようと思っていた気持ちを知り、叔父はショックを受けていた。叔父はゴルフもやめて家にこもるようになったらしい。

その後、私は叔父一家とも疎遠になった。とうぜん、葬儀屋のHさんともIさんともまるで接触がなくなった。


今回、思うところがあって、ネットで検索してみたのだ。そうしたらそれぞれのホームページを見つけたのだ。

Hさんは未だに社長で、巻頭ページで挨拶をしていたが、それ以上の内容のない、あきれるくらい素っ気のないホーム・ページだった。Hさんの葬儀屋は、ネットにほとんど対応していなかった。きっと二人の息子もバカなままなんだろうなと思った。

口コミサイトを見たら、なかなか評判が悪かった。口コミサイトがどこまで信用がおけるかわからないが、事前に情報が提示されないまま、終わった後に、高額請求されて困った、みたいなことばかり書いてあった。

Iさんの葬儀屋は、きちんとネットに対応して、PCでもスマホでも、とても見やすいホームページになっていた。しかも、ファースト画面が料金プランになっているから、良心的な印象を受けた。

社長のブログを読んだら、Iさんの息子が社長を継いでいた。もともとその息子は就職して家も出ていたのだが、母親が急死し、その夫で社長であるIさんが役立たずどころか、会社を売りに出そうとしたので、社員たちに相談されて、急遽、葬儀屋に入って、社長を解任し、自分が社長になって会社を建て直した、といったようなことが綴られていた。

父親であるIさんは、葬儀屋の実務を何一つ知らなかったらしい。本当に奥さんが会社を回していたのだ。ブログには、地域密着型の葬儀屋として、この先、どうやっていったらいいか模索する様子も文章化されていて、とても好感が持てた。

Iさんが奥さんと二人の子供を連れて、焼き鳥屋に来店したことがある。男の子は小学生で半ズボンを履いていた。もう30年以上も前のことだ。あの時の男の子がこんなに立派になったのかと、なんだか涙を流しながら読んだ。口コミを見たら、感謝の気持ちを述べた書き込みばかりだった。

ちなみに私の叔父は、まだ生きている。昭和11年生まれだから今88歳だ。4回脳梗塞に倒れ、左半身付随になっているが、リハビリをやり、歩行能力を取り戻し、車椅子にも乗っていない。週に四回、ヘルパーさんが来ているが、今も大きな家に一人で暮らしている。

叔父が亡くなったらIさんの葬儀屋に頼んだらいいと、罰当りなことを思った。

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