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「強要された行為」は罰しないべきだ

どうも、佐倉葉月です。お久しぶりです。

noteに私は記事を長い間投稿していなかったので、久しぶりに記事を投稿したいと思いますっ!!!!!

というわけで、今日は、「強要された犯罪行為」と、北九州監禁殺人事件に関するお話をさせてもらいます。

北九州監禁殺人事件をご存知でしょうか。簡単に言うと、1人のサイコパスが、大富豪家族に目をつけ、監禁し拷問してマインドコントロールし、家族同士+知人で殺し合いをさせた事件です。

事件関係者の名前をリストアップします。

○サイコパス

・松永太(一審から最高裁まで一貫して死刑判決、死刑が確定して未執行)

○生存した被害者

・少女A(仮名・虎谷沙織。殺人に関わったものの、少年法により刑事罰を免れた)

・緒方純子(7名の殺人に関わったとして無期懲役。ちなみに一審は死刑、二審で無期懲役、最高裁で検察の上告棄却。私は彼女は無罪だと主張します)

・松永の息子A

・松永の息子B

○死亡した被害者

・緒方誉(純子の父親)

・緒方静美(純子の母親)

・緒方理恵子(純子の妹)

・緒方主也(理恵子の夫)

・緒方優貴(理恵子の息子)

・緒方彩(理恵子の娘)

・少女Aの父親(仮名・虎谷久美雄)

まず、サイコが行った事業及び悪業から説明します。

・1986年25歳で布団販売業ワールド設立。20代の頃から従業員に通電(電気コードを性器や乳首に挟み高圧電流を流す)をしていた。従業員が協力して反撃しないように相互不信・監視させるシステムを20代で構築(中学、高校から試行錯誤?)緒方一家監禁の原型を見ることができる。なお、ワールドの定款に 記載されている取り扱い品目は三井物産と同じ(貿易業、船舶、石油、航空機、鉄、自動車、海運etc)ことから虚栄心が強い一面をうかがわせる。
・会社に不在のときも従業員は「(松永は)中国の江沢民主席が福岡に来ているので、食事に出かけています」などと答えた。
・夜の街に繰り出す時は、従業員に手提げ金庫を持たせた。「金は金を生む」とうそぶき、テーブルの上に札束を広げた。1晩の飲み代は平均7、8万円。数十万円を出して、高級クラブを貸し切りにすることもあった。「10年待っとかんですか。10年後は私が柳川を制覇しますよ」と。取引先の社長には、こう豪語した。
・1992年には詐欺や恐喝などを重ねた末、経営が破綻して石川県へ夜逃げ。最後の従業員に、母親に金を無心することを強要。しかし約3ヶ月後、その送金も途絶え、虐待に耐えかねた従業員は逃走した。1986年から1992年まで詐欺会社での売り上げ+巻き上げた金は一億八千万円にものぼるという。これらはすでに時効が成立している。
・民間の信用調査機関によると、こうした短期間の不渡りの連続は「極めて異例」とのこと。
・支払うつもりもないのに計画的に多額の借金をしたり、商品を取り込んだ後、雲隠れするパクリ行為だった疑いもあるという。
・寝具販売業などを経て、いずれも柳川市の実家を本店とする絵画・贈答品販売会社、インテリア商品販売会社などの代表者となっていた。インテリア商品販売会社では緒方容疑者も役員だった。
・1992年9月から、松永容疑者個人の自営業者としての当座預金口座を含む計四口座で不渡りを連発、うち三口座は92年12月末までに銀行取引停止となった。
・1994年ごろには、別の詐欺容疑などで柳川署から指名手配されていた。
・大牟田市でも1992年ごろ、「松永太」と名乗る男が、同市の自動車販売会社で従業員を保証人に数百万円のローンを組んで車両を購入、返済を肩代わりさせ行方をくらませた。

また、サイコは結婚詐欺も行っていました。

1993年、純子は第一子を出産。しかし相変わらず収入はなく、松永は結婚詐欺を思いついた。ターゲットにされたのは、松永がまだ羽振りが良かった頃交際していた 女性だが、当時すでに結婚して子供(3つ子)もいた。松永は彼女を口説き落とし「離婚して俺のところへ来い、子供のことも俺が引き受ける」と言いくるめ て、彼女に家出をさせた。そして北九州市小倉のマンションを、彼女名義で賃貸契約させている。純子のことは姉として紹介した。彼女は貯金のすべてを松永に吸い取られ、前夫からもらう月々の養育費まで奪い取られ、親にも金の無心をさせられるなどして、合計1180万円以上を搾り取られた。なお金蔓としての価値がなくなった1994年頃、彼女と子供のうち一人は別府湾で水死体となり発見された。この事件は大分県警により自殺事件として処理され、後に捜査本部が立件を検討した。一連の事件発覚後、この死と松永との関連が浮かび上がったが、残念ながら事件性が立証されぬまま捜査は打ち切られた。

また、監禁中の緒方一家、虎谷一家の待遇は以下の通りでした。ちなみに緒方純子さんも同じような扱いで、虎谷沙織さんより下の奴隷階層になったこともあったとかなんとか。
・支配者・松永の武器は卓越した話術。相手を油断させ、信用させると同時に、恫喝する二面性によりマインドコントロール下におき支配する。
・ 支配するため「食事・排泄・睡眠・セックス」を重視した。通電により脳を空白にして新しい価値観を植えつける。それを持続させるには生理的欲求を管理・制 限することが重要という結論を得たのであろう。経験からの独学か、オウム真理教などを参考にしたのかは分からない。なお、オウム真理教が使用した薬物など は使用していないようだ。
・食事は白米~下痢便まで奴隷階層により違う。一例として、食パンの耳だけ、白米にラードまたは生卵、具のない即席ラーメンだけなど。
・粗末な食事が日常化すると、おかずが一品増えただけでも感謝するようになった。
・食事は13分で食べ終えないと通電。
・最下層の奴隷に落ちると、下痢便を無理やり食べさせることもあった。
・排泄は一日一回。大便は便座に腰かけずに腰を浮かせて排泄。小便はペットボトルに排泄。主也が廊下の排水溝にペットボトルの小便を流し、悪臭を放つので近隣j住民から苦情が来ていた。
・過酷な監禁生活が日常化すると、支配者・松永から優しい言葉をかけられると、奴隷たちは慰めになった。
・浴室内で死体を解体する際、鍋に煮込んだ際の悪臭(強烈なレバー臭と、排泄臭)で、近隣住民は不審に思ったが「関わらない」ことを選択した。
・布団を与えず立ったままで寝かせる。
・家族間での会話は禁止。
・シャワー、歯磨きは何日も禁止。
・女性は松永と寝ると奴隷階層の地位が上がる(シャワー、歯磨き、ベットでの睡眠ができる)ため、自ら積極的に松永の性奴隷となった。
・緒方純子は「松永とのセックスは耐えがたがったが、これも仕事だからと思い、受け入れた」と供述している。
・近親相姦をさせ、行為中の写真を撮り、自尊心を剥奪する。特に主也は義理の母・静美、実の娘・彩10歳とのセックスを強要された。
・虎谷久美雄殺害の浴室の配管工事をさせた。そして証拠隠滅に加わったとしてさらに取り込んだ。
・財産や両名の結婚、金銭授受などに関して多数の念書を作成。法的拘束力より、反抗できない支配のための書類と思われる。これらは公序良俗に反する違法契約であるが、監禁による疲労、通電による精神の破壊などで冷静な判断力が低下していた。

また、緒方一家・虎谷一家への虐待方法は以下の通りでした。

・ 主な虐待は通電。コンセントからコードをワニクリップでつなぎ、性器・乳首に電流を流す。通電されると、痙攣(けいれん)状態となり、ぐっ たりして意志がなくなる。頭の中が真っ白になり、自分を失い、支配者の言いなりになる。限度を超えると廃人寸前、糞尿の垂れ流し状態になることも多々あっ た。
・常につま先立ちで深く腰を降ろす、土俵入りの力士の姿勢”そんきょ”を長時間にわたり命じられる

内容を見るだけでもゾッとしますよね。だから私は緒方純子さんは無罪だと主張するんです。それについては後述しますけども。

実は緒方純子さんも、一度はサイコの支配に耐えかねて逃げたんですよ。これは湯布院事件と呼ばれます。

1997年4月、純子さんは1歳になった次男を久留米市の伯母へ預け、湯布院でホステスとして働き始めました。長男はマンションに置いたままで、世話は虎谷沙織さんにみさせていました。

殺人の共犯者でもあり奴隷でもあった純子に逃げられたサイコ松永は、取り戻すべく一計を案じて純子の母・静美に連絡をとりました。このとき、松永と静美の肉体関係はまだ続いており、彼は以前より「純子のせいで殺人や詐欺の片棒をかつがされた」と静美に吹き込んでいました。そのため、緒方家の世間体を案じた誉、静美、理恵子が話し合いのため松永のマンションへ出向くことになりました。。カリスマ性のあるサイコの話術の罠にかかり、純子さんを殺人の正犯だと思い込み、従うようになります。明け方まで寝かせず同じことを何度も何度も執拗に繰り返し、相手の一番弱い所(名家の緒方家にとって、これは世間体だった)を突く、自尊心をくすぐって持ち上げては落とすことを繰り返しました。松永は「緒方家から殺人犯を出してもいいのですか、マスコミの餌食にされますよ」 「家の名誉を何だと思っているのですか」と緒方一族を追い込みます。

そして松永は、純子さんを取り戻す計画を緒方家に打ち明けます。計画は「私が死んだということにして葬式を出しましょう。そうすれば純子は帰ってくるだろうから芝居に協力して下さい」と緒方一族に言いくるめたものでした。罠にはまり帰ってしまった純子さんは、押入れに隠れていた松永に取り押さえられて殴られ、彼女は家族の前で通電を受けました。純子さんにとっては、この時、騙されたことよりも、家族が松永の味方をしたばかりか、彼の支配下、奴隷化の状況に置かれてしまったことの方がショックだったといいます。 なお、松永が公立高校退学後、私立筑邦高校に編入した前後に短期間、交際していた(松永の証言による)理恵子は、この葬式事件の頃に松永に犯され、その後、主也には秘密の肉体関係が続くことになります。

そして湯布院事件を松永はこう事後処理しました。

・松永は純子さんに命じて、湯布院で世話になっていた人々に電話をかけさせ、罵倒させて絆を断たせた。味方と逃げ場を失くすため。
・もう逆らう気力もなく純子さんはこれに従い、見ず知らずの自分に親切にしてくれたスナック経営者や紹介者に「あんな安い給料でこき使いやがって、バカにしてるのか」「親切ヅラして私をスナックへ売り飛ばしただろう」と松永に命じられるがままに悪態をついた。

緒方純子さんのここからの一連の行為は強要された行為としか言いようがないと思います。

湯布院事件の後はもうひたすら悲惨としかいいようがありません。ここから緒方純子さんと虎谷沙織さんの仲は険悪になってしまいます。

松永はその後、純子さんがマンションで虎谷久美雄を殺害、死体をバラバラにしたことを緒方家の3人に告げ、「家の名誉のため、証拠を隠滅しなくては」と言って配管工事をさせています。これによって彼らに共犯者の負い目を感じさせることが目的でした。その上で彼は緒方家の人々に「純子は詐欺、殺人などで指名手配となっています。なんとか私が彼女の面倒をみながら逃げ切ってみせますから、さしあたり5年分の逃走資金を調達して下さい」と言いました。この5年分の逃走資金として呈示した額は、3000万円です。緒方家の人々はそんな金はないと言いましたが、松永は土地を担保に借りろと強要します。しかし土地の名義は、祖父のものになっていました。

また、純子さんは湯布院に逃げるまでは沙織さんより奴隷階級のでは上でしたが、松永の葬式、帰宅の後は沙織さんより奴隷階級が下に落ちます。その後、 行動を沙織さんに監視させられます。沙織さんは、父親を虐待、殺害した純子さんに憎悪を燃やしていました。裁判の時は純子さんの死刑を望んでいたみたいです。ただ沙織さんに一つ忠告しておくと、あなただって純子さんと同じように洗脳されて殺人に加担したのです。これを終生忘れないでいただきたいです。私は2人とも無罪が妥当だと思っていますが。

そして緒方純子さんはとうとう限界になったのです。JR小倉駅事件・JR門司駅事件をご存知でしょうか。

1997年5月ころ、松永の指示で、純子さんは、沙織さんと共に、郵便物を投函するなどのため山口県下関市内に行きます。帰途、いっそ逃げ出して自殺しようなどと考え、とっさに「JR門司駅」で発車直前の電車から飛び降り、タクシーに乗車して逃走しようとしました。
しかし、沙織さんが純子さんを追いかけ、乗り込んだタクシーのドアを叩いて騒いだので周囲に人が集まり「警察を呼ぼうか」などと言われ逃走を断念しました。沙織さんと純子さんの仲が険悪になったのはもちろんサイコの仕業です。

JR小倉駅から松永が、純子さんをマンションに連れ帰ると、彼女に通電等の激しい制裁を加えました。松永が「なぜ逃げたんだ」と聞くので、純子さんが「電気が怖かったんです」と答えたところ、松永は「電気が怖いなんて、電気はお前の友達だろう。」「お前だって、虎谷に電気通したじゃないか。虎谷には良くて、お前はいけないのか。」な どと言って責めた。純子さんは「電気は私の友達ですと言って笑え」と命じられ、そのとおりにしました。松永はそれを見て嬉しそうに笑った。激しい通電は、門司駅事件の約1か月後まで続き、その後は、なくなることはなかったが、回数が減りました。松永は、沙織さんに、「純子の太股を蹴っておいて良かっただろう。」 「スリッパ履きにして良かっただろう。」などと言い「今後も逃げられないようにきちんと見張ってお
けよ」と指示しました。

そしてその後はひたすら、サイコによる支配が続きました。サイコによる支配の内容を詳しく書くと吐き気を催すので省略します。

では、緒方一家及び虎谷久美雄さんはどのように殺害されてしまったのかを書いていきます。

【虎谷久美雄さんの死因】

既に久美雄さんへの虐待に加担していた純子さんは、サイコ松永の不在時も久美雄さんへの虐待に手を抜きませんでした。これは松永が突然現れて抜き打ちのチェックが入り、手加減を見つかれば松永から制裁を受けるので、それを恐れたためでした。事件発覚後、法廷における証言で沙織さんはサイコだけでなく純子さんのことも「悪魔」と表現しました。この中でも、久美雄さんは反抗的態度を一切見せずに、死亡数日前に次男を妊娠していた純子さんに対して「元気な赤ちゃんを産んでくださいね」と言うなど、純子さんのことを気づかっていた。
1996年2月26日、サイコと純子さんは通電を繰り返したり、食事を満足に与えないなど久美雄さんを虐待して衰弱死させました。ちなみに悪いのは100%サイコだと信じております。

【緒方誉の死因】

1997年12月21日、松永は土地の売却が阻止された責任が緒方一家の家長である緒方誉にあるとして、純子さんを通じて緒方誉を通電させました。
その結果、緒方誉は死亡しました。
緒方彩がかつて願い事を聞いてくれなかった誉について「おじいちゃんなんか死んじゃえ」と言っていましたが、松永はそのことを持ち出して「彩が誉の死を望んだから死んだんだ」と主張し、彩に罪悪感を植えつけました。
死体解体中にクリスマスや松永の長男誕生日の記念撮影が行われました。

【緒方静美の死因】

1998年1月20日、度重なる通電によって奇声を発するようになった純子さんの母親静美の処遇について、松永は純子さんとその妹理恵子および理恵子の夫主也に対応策を練らせました。静美の処遇について純子さんらが精神病院入院や別の住居に引っ越すなど殺人以外の方法を提案しましたが松永はことごとく却下し、純子さんらがこれに屈して殺害を提案すると「一家の決断であること」を強調しました。主也が「Dがよくなるかもしれないので、もう少し様子を見るべき」と主張したことに対し、松永は「今は暴れていないが、殺す段階で暴れるようになったら、殺害が困難になる」とまくし立てました。さらに松永は「どうやって殺すんだ」と純子さんらに考える余裕を与えさせないまま、殺害を既定方針として進める。純子さんらは部屋にあった電気コードを松永の許可を得て借りたが、純子さんが解体道具購入を優先することを提案した際には松永は「買いに行っている間に声が外に漏れたらどうする?」と殺害を優先するように暗に要求しました。
純子さんと理恵子に体を押えつけさせた上で主也に絞殺されました。

【緒方理恵子の死因】

1998年2月10日、別のマンションに移動した後、松永の指示の解釈をめぐって娘の彩と口論になった理恵子(度重なる通電によって耳が遠くなっていた)に対して、松永は理恵子のことを「おかしくなった」などと因縁をつけはじめ、純子さんに「静美みたいになったらどうするんだ」と理恵子の死を連想する言葉を口にしました。そして、松永は純子さんに対して「今から向こうのマンション(殺害が行われた場所)に行く。どういう意味がわかるな?」と理恵子の殺害を示唆しました。松永は殺害現場のマンションに移動した後で「俺は今から寝る。今から一家で結論を出しておけ」「俺が起きるまでに終わっておけ」と純子さんらに指示しました。この言葉を松永からの殺害の命令と受け取っていた純子さんと主也と彩は3人の話し合いの中で「理恵子の殺害を拒否したいが、松永の曖昧な提案の詳細を聞こうとすると通電される」「たとえ、殺害を拒否しても、理恵子はもっと酷い虐待を受けて辛い思いをした末に殺されるのではないか?」と悩んでいた。話し合いの結果純子さんら3人は松永に話の中身を聞きに行くことになったが、松永の部屋に向かうドアが開きませんでした。純子さんは「理恵子の処遇について終わっていないと自分たちも酷い目にあうし、理恵子は生きていても松永から虐待を受けて辛いだけ」と主也に切り出すと、主也が「それなら自分がやる」と理恵子の殺害を決意します。主也は彩に対して、「お父さんが首を絞めるから、おまえは足を押さえて最後の別れのあいさつをしなさい」と問いかける。理恵子がいる浴室に主也と彩が入り、主也が理恵子の頸にコードをかけようとした瞬間、主也を凝視して「主也、私、死ぬと?」と呟く理恵子に、主也が「理恵子、すまんな」と答え、彩に足を押えつけられた上で主也に絞殺されました。
理恵子殺害直後、主也はすすり泣いて「とうとう、自分の嫁さんまで殺してしまった」と呟きました。

【緒方主也の死因】

主也が松永による度重なる通電と食事制限で度々嘔吐や下痢をしていました。一時的に症状がおさまると大分県中津市に松永の愛人に会うために車の送迎をすることになります。松永が愛人と会っている間、主也は監視役の純子さんと共にレストランに行き、間をもたせるために量の多いセットものを注文して食べるように松永から指示され、丼と小さいうどんのセットとメンチカツを食べる。
小倉に帰ると浴室に閉じ込めた主也の嘔吐がひどくなったので、松永が当初は胃腸薬を飲ませていましたが、症状はおさまらず、上半身を起こすことができなくなり、吐いてもすぐに吐き気を催し、吐くものがないのにむせている状態が続きます。
1998年4月13日、主也は浴室で松永から与えられた眠気防止ドリンクと500ml缶ビールを全部飲みほしました(純子さんは主也が飲んだ現場を直接目撃していないが、カラになったビール缶を持ちながら浴室から戻ってきた松永を見ています)。ビールを飲ませて1時間後、主也は浴室で衰弱死しました。この際に、彩が浴室で主也の死亡を確認し、松永らに対して主也の死亡報告をしています。
純子さんは日々悪化する主也について「死亡2日前には病院に連れていかないと死んでしまうと思ったが、静美の時に病院に入院させる提案が松永に拒否されたので、主也を病院に連れて行こうと考えなかった」と回想しており、殺意について未必の故意を認めていました。また、松永は「死ぬと思ったから、最後にビールを飲ませてやった」「(浴室から物音が全く聞こえなくなった状況について)もう死んでるんやないか」と沙織さんに言っており、松永も主也が死ぬことを認識していました。
裁判では主也の死因は「高度の飢餓状態に基づく胃腸管障害による腹膜炎であった」と考えるのが妥当とされました。

【緒方優貴の死因】

主也の死亡によって、大人はサイコ松永と純子さんの2人だけになり、他は松永の子供2人と沙織さんと彩と優貴(いずれも子供)しか残りませんでした。松永の子供2人と世話役の沙織さんは優遇されましたが、彩と優貴は悲惨な境遇に追い込まれることになります。
主也の死から1ヶ月後、松永は「優貴は罪になるようなことはしていない」「子供に情けをかけて殺さなかったばかりに、逆に大きくなって復讐されたという話もある」「そうならないためには早めに口封じをしなければならない」と言い、純子さんは生きていても虐待されるだけと考えたため「そうするしかないですね」と同意しました。
1998年5月17日に彩は松永に対して、「このことは誰にも言いません。弟優貴にも言わせません」として自宅への帰宅を願い出ましたが、松永は「死体をバラバラにしているから、警察に捕まっちゃうよね。優貴が何も喋らなければいいけど、そうはいかないんじゃないかな」「俺や彩自身に不利益が生じるが、責任が持てるの?」と尋問し続けます。そして、松永が「優貴は可哀相だから、お母さんのところへ行かせてやる?」と暗に優貴を殺すことを命じ、彩は「そうします」と答えました。純子は「自分ひとりで優貴を絞める」と言いましたが、松永は「純子と彩2人でやれ」と指示を出し、今まで緒方一家の死亡に一切加担していなかった沙織さんにも参加するよう促しました。彩は優貴を台所の床に仰向けに寝かせるように指示し、優貴に「お母さんのところに連れて行ってあげる」と嘘をつき、沙織さんが足を押さえた上で彩と純子さんが2人がかりで優貴を絞殺しました。
沙織さんの証言では大筋では純子さんの証言と一致しているが、沙織さんは「殺害場所が台所ではなく浴室」「殺害において純子は彩と2人で絞殺したのではなく、彩が1人で絞殺して純子は手首を押さえていただけ」と証言している点が純子さんの証言と異なります。裁判では純子さんの証言が採用されました。

【緒方彩の死因】

松永は彩に通電を繰り返して衰弱させ、「太っていたら大変だろ?」という理由で彩の食事の量を減らした際に、純子さんは「太っていたら解体に困るので、松永は彩の殺害を考えている」と考えました。また彩だけがいない場面で松永は沙織さんに向かって「アイツは口を割りそうだから処分しなきゃいけない」「アイツは死ぬから食べさせなくていい」と彩の殺害に関する発言をしました。純子さんは優貴殺害事件直後に解体道具を多めに買うよう松永が指示を出したことが彩の死体解体準備と認識しました。
1998年6月7日に松永は浴室で彩と2人きりで何度も話し合った後で「彩は死にたいと言っている」として彩が頷き、純子さんと沙織さんが彩を絞殺しました。その際、彩は静かに横たわり、首を絞め易いように首を持ち上げたといいます。
沙織さんの証言では大筋では純子さんの証言と一致していますが、沙織さんは「松永が彩に通電し続け、全く動かなくなった彩に純子と共に首を絞めた」と証言し、一部が純子さんの証言と異なります。裁判では純子さんの証言が採用されました。

以上が死者の7名の死因となります。その後もサイコの凶行は止まりません。沙織さんか純子さんが逃亡できていなかったら沙織さんも純子さんも既にサイコ松永に殺されていたかもしれません。恐ろしい話です。

2002年3月6日、沙織さんが虐待から逃れて祖父の家に助けを求めてきて虐待事件が発覚しました。沙織さんは父の久美雄さんと一緒に映った写真を密かに所持しており、心を繫ぎとめていたので、逃げたいという気持ちが生まれ、逃げることができたのです。
翌3月7日、松永と純子さんは沙織さんに対する監禁致傷罪で逮捕された。松永と純子さんは、容疑や名前も含めて完全黙秘を続け、身分証は偽造されたものばかりであったため、当初は身元が不明であったが、純子さんが所持していた高校時の写真集をきっかけに判明しました。
当初は松永と純子さんの2人による沙織さんへの傷害と監禁事件と思われました。その後、沙織さんの証言により、松永と純子さんは、沙織さんの父親久美雄さんの知り合いで、5年 - 6年前から4人で暮らすようになったが、暮らし始めて約1年後に久美雄さんが行方不明になり、その後は3人で暮らしていたことが判明します。
後日、別の場所で、沙織さんが世話をさせられていた4人の子供が発見された。2人についてはDNA鑑定で松永と純子さんの子供と判明した。残り2人は双子で、別の女性の家庭の不和につけ込んで預かった子供でした。
数日後、沙織さんが「久美雄は松永と純子に殺された」と証言したため、殺人事件として捜査が開始、サイコ松永と純子さんが逮捕されました。
純子さんは逮捕後の拘置所生活について「食事もできるし、お風呂にも自由に入れるし、トイレにも自由に行かせてもらえるし、読書の時間さえある」と語っており、サイコの支配下の生活の過酷さを物語りました。
純子さんと沙織さんに育てられていた4人の内、被害女性の子供2人は親元に戻された。松永と純子さんの子供2人(当時9歳と6歳)は児童福祉施設から小学校に通うようになりましたが、当時9歳だった松永の長男は今までの人生について「あまり面白いことがなかったから、0歳から人生をやり直したい」と感想を残している。
2003年7月に空の骨壺に6人の顔写真を入れて緒方一家6人の告別式が行われました。また主也一家4人の全員の集合写真がなかったため、主也の実家には合成した主也一家4人の集合写真が飾られています。

二人の裁判で、一審では、サイコパスと純子さんの両方に死刑が言い渡されました。

一審ではサイコパス松永のキチガイぶりが発揮されました。彼は殺人罪の無罪を主張したのです。

松永が主張する各死亡原因は、久美雄「風呂掃除中に転倒して頭を打った」誉「純子がCに通電したため」静美「Yが私と男女の仲だった母Dを憎みYの家族を巻き込んだため」理恵子「夫が妻Eの男性関係を憎みYの家族を巻き込んだため」主也「肝機能障害[83]を抱えていた中で外食の飲み過ぎ・食べ過ぎ」優貴「YとGが殺害したと聞いた。YがHの親を殺したためにHからの復讐封じとして」彩「YとAが殺害したと聞いた。YはGの口を封じた」と主張しました。皆さん、こんなサイコパスに騙されてはいけませんよ。

サイコの支配下に置かれてお互いを憎み合っていた純子さんと沙織さんの証言がほとんど一致し、純子さんは自分にとって不利なことも進んで証言していること、一方、無罪を主張するサイコ松永の証言には矛盾が多く一貫性がないことなどから、サイコと純子さんが7名を殺害したと断定しました。

サイコは判決を不服として、同日付で福岡高等裁判所に控訴しました。純子さんは当初、死刑判決を受け入れるつもりでいましたが、暴力の影響や支配構造等の事件の核心を審理する事を理由に控訴を決めていた弁護団の説得に同意し、同年10月11日付で、福岡高裁に控訴しました。というか私は純子さんは無罪であると主張します。
二審で純子さんの弁護団は純子さんの心理鑑定、サイコに撮影された純子さんの裸写真の法廷提出、法廷における「DV」という言葉の多用、性暴力被害の専門家の法廷証言、性暴力被害者団体による刑の酌量軽減を求める署名など、一審にない手法を用いて性暴力を含めたドメスティック・バイオレンスの観点から事件当時は純子さんの判断力が著しく低下していたとして酌量減軽を求めました。
2007年9月26日、福岡高等裁判所(虎井寧夫裁判長)で控訴審判決が言い渡されました。福岡高裁は、サイコの死刑判決を支持し、控訴を棄却した一方で、純子さんについては死刑判決を破棄し、無期懲役判決を言い渡しました。判決理由で、福岡高裁は「主也が元警察官でありながら解体作業や殺害などに加担したことから、サイコによる通電などの虐待が被害者の人格に影響を与えていたことを考慮し、サイコ松永に暴力支配を受けており従属的だった」と指摘し、捜査段階での自白や公判での反省の態度も考慮しました。
無罪を主張していたサイコ松永は判決直後、弁護人に対し「証拠の評価を誤った不当判決」として上告の意向を示し、同年10月5日付で最高裁判所へ上告しました。

ちなみに二審判決では776 人もの緒方純子さんの減刑嘆願が福岡高裁に送られました。
 福岡市を拠点に活動し、署名運動の中心となった「ぐるうぷ・NO!セクシュアル・ハラスメント」の石本宗子さんは「緒方被告はDVの被害者」と訴えます。緒方被告がサイコから長年にわたり、通電などの虐待による支配を受け、外出や排せつまで制限されていたことを挙げ、「寝ること、食べることすら自分で選べず、追いつめられた中で殺害への加担を余儀なくされた」と話しています。

もちろんサイコ松永の減刑を求める嘆願は皆無です。まあ当たり前ですけどね。サイコには仮釈放無しの終身刑への減軽以外の恩赦は絶対に与えちゃいけません。

ちなみに検察官は、緒方純子さんへの無期懲役判決を不服として上告しました。しかし最高裁は上告を棄却、緒方純子さんの無期懲役が確定しました。ちなみに私は福岡県弁護士会と相談の上、緒方純子さんに関する再審請求をして無期懲役か無罪かを争う予定です。

ちなみに上告を断念するよう検察官に求めた者たちもいたほどです。

サイコ松永の演技は純子さんと沙織さんの活躍によって見事に失敗し、サイコの上告も棄却され、サイコは死刑が確定しました。

ここで疑問になるのが、なぜ緒方純子さんは無罪でなかったのか、です。

韓国の刑法には、「強要された行為」という、無罪になる規定が設けられています。条文を見てみましょう。

(強要された行為) 抵抗し得ない暴力又は自己若しくは親族の生命、身体に対する危害を防御する方法がない脅迫を用いて、強要された行為は、罰しない。

緒方純子さんと虎谷沙織さんは、抵抗し得ない暴力を受けていたと思います。そしてサイコにより純子さんは7人を殺害するように強要されていたと私は考えています。

私としては、日本の刑法にも「強要された行為」という特別規定を設け、抵抗し得ない暴力又は自己若しくは親族の生命、身体に対する危害を防御する方法がない脅迫を用いて、強要された行為は、罰しないとするべきだと考えています。

もしもこの条文があれば、緒方純子さんは無罪になっていただろうと私は考えます。今すぐにこの条文を導入し、再審請求をし、緒方純子さんを強要された行為による無罪として釈放したいと私は思っています。

そして緒方純子さんを釈放した後は、彼女を虎谷沙織さんとどうにか和解させ、いや、それどころか、友好関係を築かせたいと考えております。だって、二人とも事件の時に4人の子供を育てていて、サイコからは同じような拷問を受けるなど、同じ境遇にいたではないですか。

私的には緒方純子さんは無罪。その位の域に十分値していると思いますね。

また、松永太さんにわたしから一言。他人が勝手に奪っていい命など一つもないということを伝えます。あなたは、そんなこともわからないで生きてきたのですか。ご両親から教えてもらえなかったのですか。周りの人も教えてくれなかったのですか。なんて不幸な環境にいたのでしょう。私はあなたを殺したくはありませんが、決してあなたを絶対許しません。

皆さんも、サイコパスである松永太を絶対に許さないでください。そして、この事件で亡くなった7名の方のご冥福をお祈り願います。7つの大切な命を無駄にしないよう、努力してほしいです。

そして緒方純子さんが一刻も早く刑務所から釈放され、本当の意味で松永の呪縛から逃れられることを、私は願っております。彼女は殺人を強要されていて、無罪であると、100%、いや、1000%、私は確信します。彼女が今刑務所にいるのは松永の呪縛としか言いようがありません。

早く刑法が改正され、強要された行為が無罪となり、それにより緒方純子さん並びにその他の犯罪を強要されていた方々が、無罪となることを願います。

Not Guilty.

それでは、皆さん、おやすみなさい。

















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