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死刑は犯罪の抑止力になるのか

こんばんは。今日もお疲れ様です。

今日は、以前から書きたいと思っていた「死刑存廃問題」について、「犯罪の抑止」の観点から私なりの若干の考察を述べさせていきたいと思います。

世論調査によると、多くの人が、「死刑を廃止すると凶悪犯罪が増えかねない」と答えていました。

では、死刑は世論が言う通りに犯罪を抑止しているのか、私は何日かの間、考えていました。

まず、一応の犯罪抑止力は認めます。もしも刑罰そのものがなかったら犯罪者は犯罪者のままとなってしまうと思いますのでね。そこで、犯罪を抑止できるできないかの問題ではなく、「懲役」と比べたらどのくらいのレベルで犯罪を抑止できるか、つまり「死刑は懲役より有益なのか?」を今回の記事の焦点とします。

まず、とある検察官経験者は、こう述べていました。

「『最も重い罪を犯せば死刑になることもある』という意識が国民全体に浸透し、体得されることにより、罪を犯すことを思いとどまる力として働くと考えられる。」

うーん、この意見も間違いとは言えないので複雑です。一つの意見として取り上げておきましょう。

現在死刑を適用できるのは、「殺意を持って人を死亡させた場合」、つまり殺人罪(強盗殺人罪含む)に限られています。

私だったら、死刑がどうこう以前に、「人を殺すことの重み」に耐えかねて、殺人などしないのではないでしょうか。

現在の少年法では、「罪を犯すとき18歳未満であった者に対して、本来死刑を科すことが相当であるときは、無期刑を科する」と規定されています。つまり、17歳以下の者に対して死刑を科すことは禁止されているということです(犯罪白書によると死刑を求刑すること自体は可能)。

では、普通の17歳以下の人間、つまり小・中学生を1000人集めてみましょう。普通に考えたら、普通の小・中学生が1000人集まったとしても、殺人犯なんていないですよね?(ちなみに法務省のデータによると仮釈放中の囚人が殺人事件を再び起こすのは100人に1人です)

少年による凶悪犯罪の事件について調べてみました。犯人の中には、「自分は未成年だから死刑にならない」などと言っている者も見かけます。しかし、「死刑にならない」ことは動機ではないと思います。殺人を犯すような人間は、自分なりの「人を殺すに足る根拠」を持ってしまっているので。

普通に考えてみてください。良識のある人間は、自分は死刑にならないと考えたとしても、殺人なんてしませんよね。現に私も少年法の死刑適用可能年齢について知った後、11〜13歳の頃に、人のことを「殺したい」と思ってしまったことがありますが、いざ当該者に接近すると、人を殺すことの重みに耐えかねたがために、殺人という絶対にやってはいけない行為を思い留まることができました。

良識のある人間は、死刑がなくても殺人なんて犯さないと思います。そして、良識のない人間や、一時的に良識の欠けた人間は、死刑があっても殺人を思いとどまることはできないと思います(例・麻原彰晃、植松聖、堀慶末など)。ここでいう「良識」とは、完全責任能力とはまた違いますが。

では、次は「再犯防止」の観点についてです。死刑は、「再犯させない究極の手段」と言われています。

確かに、「女子高生コンクリート殺人事件」の犯人は懲役刑が科され、出所した後、再犯に走ってしまったみたいです。

しかし、再犯を防止するには、死刑以外にも方法があるのではないでしょうか。

検察の通達による、「マル特無期」をご存知でしょうか。マル特無期とは、犯罪内容が現在の法体系において死刑と境界を接する無期刑に対しては、当該者の仮釈放審査に関して慎重な運用を求めるという内容です(例:複数人を殺害、子どもを誘拐殺人、性的行為を伴う殺人などの事案)。

再犯防止には、死刑ではなく、無期懲役を科しながらも仮釈放審査に関して慎重な運用をすることも効果があるのではないかと思われます。その場合は、非常に長期の拘禁または一生涯の拘禁も予想されるので。

ちなみに、殺人罪のうち、「あらかじめ計画した上で、かつ動機に酌量の余地のない殺人」、つまり「謀殺」には絶対に有期刑を科してはいけないと思います。あの小島一朗受刑者も、「有期刑になれば出所してまた人を殺す」と言っていましたよね。謀殺に有期刑など科すと、再犯が懸念されます。再び殺人事件を犯されてはたまりません。

私は、以上の事柄に鑑みると、死刑には犯罪抑止力はあるものの、懲役より有益ということはないと考えます。もちろん人それぞれ多少なりとも意見は違ってくるでしょうが。

とりあえず、「犯罪の抑止」という点を考えた、私の死刑に関する考察を読んでいただき、誠にありがとうございます。







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