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No.0105 仕事上における「自分を殺す」ことの難しさ

※約2200文字の内容の記事です。


 自分としては今やっている作業は時間さえあれば誰にでも出来る作業と思っていたのですが、どうやらそうではないらしく。

 あまりこういう事を書くのはよろしくはないのですが、自分がこうならないように、他の人が見て「自分もこういう所は気をつけよう」と思ってくれたらと思い書くことにしました。

 ひょっとしたら不快に思われるかも知れませんが、ご容赦下さい。


 昨日の仕事中にとある清掃作業を任せていたら「こんなもの出来ません!」と感情を露わにして言ってきた、私より一回り年上の従業員がいました。

 隣には店長がいたので当然その声も聞こえており、何度かそういう事があったので自分は苦笑。店長の方は呆れて「もうこの人は仕事任せられないな……」といった感じでした。

 この1件だけでここまで評価を落とす訳ではなく、ここまでで何度も言動が問題になっていました。例を挙げてみると……

1.自分が自慢するときは意気揚々で、他の人からされると嫌味(マウント取り・自慢話であると自分が勝手に判断して)

 自分が仕事を「誰かに教わった訳じゃなく、自分で判断してだいだいたいは出来るようになったよ」と言えば「良かったですね!」と嫌味のニュアンスを残して感情的に。
 …いや、元はお宅からマウント取りで話切り出してきたやんと思ったのはナイショで(苦笑)


2.最初から「出来ません!」と感情的に言う

 自ら考えることをやめたのか、頭ごなしに言うときがあります。こうなってくると周囲からは『やり方が分からない』から出来ませんなのか『自分がこの仕事をしたくない』から出来ませんなのか、判断がつきません。

 「出来ない」ではなく「これをやるのは難しい、けれどやってみます」と少し言葉を変えていればイメージが違っていたかもしれませんね。分からないことが分からないでも自分としては全然構わないので。


3.シンプルに仕事が雑

 床のモップがけ作業を一通りではなく半分ほど。しかもしっかりかけずにサッとかけて5分で終わり(自分が一通りやるとだいたい10~15分かかるのが分かってるので、作業時間的にまずあり得ないという)

 また、接客の基本であるレジでの対面も、お客さんが目の前にしても対応しない場合が多々あります。周囲を見て情報を得て、お客さんの行動を予測していないと言うことですね。


4.言動不一致

 朝に「この仕事は私が行ないます」と発言も、自分が午後に出勤すると「これからこの仕事をするんですよ~」とあからさまに態度が嫌そうに。その後、店長に「本当にこの仕事するんですか?」と変化。

 最終的に店長がに「あがっていいよ」と発言して退勤(なおこの時店長は顔なじみのお客さんと談笑中で割り込み)


  色々な評価を下げることをしてきている状況を鑑みて……

「自分自身で通常業務の中で仕事を選んでいること」
「その仕事は一般的に楽な仕事であること」
「それでも『その仕事は自分のやる仕事ではない』と思って取り組んでいること」
「マウント取りたがりなのに、取られると機嫌が悪くなること」
「仕事観が昭和的価値観のままで更新されていないと」
「自分の発言に責任を持たないこと」

 と判断しました。自分の経営・仕事観の師である早川種三さんの言葉を借りてまとめると「あぁこの人は自分を殺せていないんだな」と。


 この令和の時代では昭和のように「誰かを蹴落として出世する」ことや「残業もして長時間労働する人がえらい人」が正しいんじゃないんですよ。

 いかに限られた時間で効率よく業務を捌き、着実な成果を残し、働いている人を幸せにできる人が、この令和の時代での真にえらい人なんじゃないのかな、と思っています。

 高度経済成長期のように何も考えなくても会社が成長して勝手に給料が増えていく時代は平成に入ってから終わり。
 これからは社員が一致団結してお互いに助け合い、仕事の負担を平準化・最適化させる事に知恵を絞って、自ら行動・実践して行かなければ生き残れず淘汰される時代になってしまったのではないかなと。


 …事実「生活費が足りない」「働くだけ働きたい」で後から入ってきた方は。全員短期で辞めていっていきました。動機がお金目的では働く理由・稼ぐ理由が不十分であることを証明しています。


 ここで、早川種三さんの2つの言葉をご紹介。

 私はこれまで、日本建鐵、佐藤造機、興人などいくつかの企業を再建してきましたが、再建の成るならぬを最終的に決めたのは人と人との交流でした。
 人とのつきあい方いかんで物事の帰趨が決まるといっても過言ではありません。そのつきあい方の要諦は「自分を殺す」ということです。つまり自分の自由の身を主張しないことです。


 今の世の中、自由の意味をはき違えているような言動が目立つ。
 本来自由とは自分だけのものではなく、相手や他人様の自由を認めることによって成り立っているわけで、一人だけの完全な自由というものはあり得ません。
 自分自身の自由とは、他との関係によって制約されるものなのです。

「自由は不自由の間にあって存す」

 自由というものの本質を突いた福沢諭吉先生の言葉です。


 不完全ではありますが、自分もこの2つの言葉を胸に刻んで今日も仕事に取り組みたいと思います。

 皆さんもこういった人にならないよう、反面教師としてこのような挙動をするのは慎んでいきましょうね。