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トーハクの新収品展(2)「世界を代表する書家が愛した硯(すずり)」

令和4年度(2022年度)に、新たに東京国立博物館(トーハク)に収蔵された品々の、お披露目会が開催されています。場所は本館(日本館)の2階、「特1室」と「特2室」です。

そんな収蔵品の中で着物を紹介した前回noteはこちらです。

そして第2弾で紹介したいのは、青山慶示さんの寄贈された、おそらくお父さん……書家・青山杉雨さんうさんのコレクションです。

と……その前に、青山杉雨さんうさんって誰? という方が大半ですよね。わたしも今回の新収品展が初見でした。で、解説によれば1912年に愛知県で生まれ、第二次大戦後から1993年まで、世界を代表する書家だとあります。「世界を代表」とまで言い切れてしまうところがすごいですね。

師匠は西川寧(やすし)さん。ここで中国古代文字の世界に触れて、そうした文字に影響を受けながら、篆隷体(てんれいたい)の作品を次々と発表し,書壇での地位を不動のものとしたそうです。具体的に、どんな作品を書いていたかは、下記のサイトをご参照ください。

上のサイトでも分かるとおり、この青山杉雨さんうさんの特別展は、2012年にトーハクの平成館で開催されました。この2012年は、青山杉雨さんうさんが生誕して100周年。とはいえ、主に前史時代から明治大正頃の博物を展示しているトーハクで、1993年まで活躍した方の特別展を開催するというのは、異例中の異例……なのではないかと思います(確信はありませんけど……)。それほど、この方がゴイスーな書家ということなのでしょう。

■私淑した中国書家の銘が刻まれた青山杉雨さんうさんの硯

そんな青山杉雨さんうさんの長男が、今回の新収品の寄贈者である青山慶示さんです。これまでも青山慶示さんは、青山杉雨さんうさんの作品を始め、そのコレクションを多くトーハクへ寄贈されているようです。今回も、そんな寄贈品の数点ということです。

《摶人余土硯(たんじんよどけん)》青山慶示氏寄贈
《摶人余土硯(たんじんよどけん)》青山慶示氏寄贈

寄贈品の一つが硯(すずり)。《摶人余土硯(たんじんよどけん)》という難読タイトルが付いています。展示パネルには「吳昌碩ごしょうせき呉丹姮ごたんこう筆」とあり、作られたのは中国の清の時代(17〜19世紀)ということのようです。

ただし、さらに「【吳昌碩銘】中華民国6年(1917)、【吳丹姮銘】中華民國時代・20世紀とあります。どういうことなのか正確には分かりませんが、推測によれば、吳昌碩ごしょうせきが後述の銘を1917年に刻み、さらに後年に呉丹姮ごたんこうも何かを刻んだということでしょうか。

ちなみに青山杉雨さんうさんは、その吳昌碩ごしょうせきさんを私淑していたようです。

その吳昌碩ごしょうせきさんが、硯に何と刻んだかと言えば 「摶人余土(たんじんよど)、元気万古(げんきばんこ)」。解説パネルには、その意味を「女媧が摶めて人を創った伝説の黄土の残余のように元気が永遠に具わる」としています……いやもう気持ちいいくらいに、さっぱり意味が分かりません。

吳昌碩ごしょうせきさんの銘が、硯の底に刻まれているようです

そこで「摶人余土(たんじんよど)、元気万古(げんきばんこ)」が、どんな意味なのかを、Google先生に調べてもらったら、返事がもらえませんでした。そこでChatGPTにも意味を聞いてみました。すると……

「摶人余土、元気万古」というフレーズは、日本の言葉ではなく、おそらく中国の成語や諺から来ている可能性があるとしつつ、下記のように直訳してくれました。

「摶人余土」: 人々が土地に溶け込んで生活すること。
「元気万古」: 不屈の精神やエネルギーを持ち続けること。

したがって、このフレーズは、人々が土地に根付きながら、力強く生き抜くことの価値や美徳を表現している可能性があります。しかし、この解釈は推測に過ぎず、正確な意味を知るためには、このフレーズが使用される文脈や出典を調査する必要があります。

ChatGPTの回答

青山慶示さんが寄贈した硯は、もう一つあります。それが《双鵞硯(そうがけん)》です。前述の《摶人余土硯(たんじんよどけん)》との共通点は、旧蔵者が沈石友(しんせきゆう)という硯コレクターだということ。そして2つとも、沈石友(しんせきゆう)が友人の書家・呉昌碩(ごしょうけん)に、銘を刻んでもらっていることです。

《双鵞硯(そうがけん)》青山慶示氏寄贈

呉昌碩(ごしょうけん)は、友人の沈石友(しんせきゆう)に頼まれて、この硯に五言絶句を書いています。それが、硯の右側面に刻まれている銘。

《双鵞硯(そうがけん)》青山慶示氏寄贈

さらに硯の裏面……硯背には「雲が漂う空の下に2羽の鵞鳥が池で泳ぐ図様」と、邵士賢(しょうしけん)が記した「双鵞硯(そうがけん)」という銘が刻まれているそうです。

■吳昌碩(ごしょうせき)の手紙

青山杉雨さんうさんが私淑した、吳昌碩ごしょうせきは、どんな人で、どんな文字を書いたのかと言えば……青山慶示さんが、それが分かる資料をちゃんと寄贈してくれています。それが《草書家書横披(そうしょかしょおうひ)》です。

解説パネルによれば、呉昌碩(ごしょうけん)は、「清末の中華民国期に上海で活躍した書画篆刻家」だとしています。

《草書家書横披(そうしょかしょおうひ)》は、その呉昌碩が、 新淦(江西省)で役所勤めていた次男の呉涵に宛てた書簡(手紙)です。 魚の画像塼の図様を刷った特製の便箋7枚に、役人の心構えや家族の近況などをびっしりと記しているそう。「 気負いのない字姿で、線質は鋭く、筆使いは実にしなやかです」と、その字の特徴を表現しています。

ということで、青山杉雨が書斎の傍らに置いていただろう数々が、トーハクに寄贈されました。今後もし見かけるとしたら東洋館で、ということになるのでしょうね。

<関連サイト(1089ブログ)>
書を楽しむ 第19回「青山杉雨の篆書」
「青山杉雨の眼と書」の楽しみ方1─造形を楽しむ
「青山杉雨の眼と書」の楽しみ方2─青山杉雨の素顔~書斎にまつわるエトセトラ~
・「青山杉雨の眼と書」の楽しみ方3─青山杉雨の眼





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