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「我が人生を俯瞰する」

算命学を学び始めるきっかけが
自分の人生の「なぜ?」という疑問だった
という人も多いかと思います

自分自身が歩んできた人生でありながら
自分の人生を受け入れられないという人も
いるかもしれません
少なからず
自分の意志で選択をしたはずの人生が
しっくりしないものに
いつしかなっていることもあるでしょう

そんな煮え切らないような人生の
謎解きが出来ないものかと思うのは
当然の心理でしょう

私も偉そうにブログを書いてはいますが
まだまだ算命学の山を登山中の身ですから
人生の謎を解きましたとは言えません
しかし
自分の人生を見つめる視点は
得る事が出来たと思っています

今回は大きな話になりますが
その辺をあれこれ書いてみたいと思います

結論

結論から言ってしまうと
自分の人生は
自分の人生を見ているだけでは
理解が出来ないということです

自分の人生に起きるあれこれの事件に
一喜一憂して
自分の人生を認識するようになれば
「木を見て森を見ず」という状況に
陥ると思います

下手をしたら
悲観的な人生観を
持つようになるかもしれません
自己肯定感も低くなるでしょう

あるいは逆に
勘違いの人生を
生きてしまうかもしれません
多くの人に迷惑をかける生き方に
気付かないまま爆走してしまう事も
あり得るのです

自分が体験してきた人生が
自分の人生ではあるのですが
その短い人生経験からだけで
その人生を掴み切る事は出来ないと
算命学は言っているように
私には思えます

鳥の目・虫の目・魚の目

良く言われることですが
物事の認識には
この三つの視点が必要です

自分の人生を見つめるにも
この観点は必要でしょう

「虫の目」は複眼です
近距離で
物事を広い範囲で見る事が出来ます
トンボなどはそのままの姿勢で
後ろまで360度見えるそうです

算命学で言えば
陰占・陽占であらゆる技法を駆使して
自分に関わる六親をはじめとする
人間関係などを分析できます

「魚の目」は川の流れを読むことを
意味します
算命学で言えば後天運を通じて
いつ危険が及ぶか
いつチャンスが訪れるか
そういう人生の流れ(潮目)を
キャッチすることといえるでしょう

「鳥の目」は高い所から
自分を取り巻く状況を俯瞰することを
意味します
虫の目や魚の目では見えない観点を
持つ事が出来ます

この三つの目はどれも必要な観点ですが
今回は特に「鳥の目」に着目して
考えています

算命学で言えば
技法的な部分ではなく
思想的(考え方・原理)な部分になるかと
思います

十二大従星から思う事

自分の人生を
誕生から死亡までと限定して考えると
自分の人生の本質を十分に
捉えられません

算命学の十二大従星は人生の各時代を
十二区分にしていますが
死後や誕生前の星もあるのです
(死人・入墓・あの世・胎児)

算命学の考え方は
「私」を長い時間的な繋がりの中で
捉えようとしているのです
(循環的な発想があります)
地上に生きている期間だけではなく
その前やその後との切る事が出来ない
連続性の中で一個の人間の人生を
考えているのです

言い換えれば
長い家系的(時代的)な繋がりの中でこそ
私の生きている意味が見えてくるのです

小説(物語)に例えると。。。

小説は文字や単語の連なりです
一節一節の繋がりが一つの物語を
紡ぎ出しています
私は自分の人生がその物語の中の
一節のように感じられてなりません

例えて言えば
長い家系の物語(小説)の中の
一行の文章が私の人生ではないか
と思うのです
私の父親はその前の文章なのです
私の後の文章は子供を意味します

このような文章の連綿とした繋がりを
家系という一大叙事詩だとは
言えないでしょうか

もし私の文章が
「彼は苦痛に顔を歪めながら、その辛さに
耐え続けなければならなかった。」
だったとしましょう

この文章だけを見れば
私の人生は辛い人生以外の何物でもない
ということになります

しかし
それ以前の文章に
「彼は落ちそうな子の手をしっかりと掴んで
離さなかった。」
という一行があったらどうでしょうか?
俄然私の文章の意味合いが
違って見えてくるでしょう

更に言えば
次に「多くの人達が集まってきて
その子は窮地から助けられたのである」
という文章があれば
私の辛い文章も十分な意味と価値がある事が
分かる事でしょう

自分の人生だけを見ていたら
自分の人生の位置づけは見えてきません
ということは
自分の人生の真価も分からない
ということになります

苦しくて手を離したら
先の人の人生を無意味にしかねませんし
後の人の人生に実を残す事も
出来ないかもしれません

小説には原因があり結果がありますが
布石があったり謎があったりします
後にならないと回収されない事件も
あったりするのです
自分の代で回収されるとは限りません
この物語のどの部分を私が担当しているかを
知る事が出来れば
自分の人生を胸を張って生きていく心構えが
出来ると思うのです

人生を超俯瞰する

自分の人生を俯瞰するのではなく
もっと広く長い連なりの中で
自分の人生を超俯瞰的に見つめる
視点が必要です

算命学ではそういう視点から
家系を見る技法もあります
家系における自分の役割が
分かるようになります

最終的には自分の家系と人生の
謎解きは自分自身でするしかありません
自分で算命学を学び
時間がかかっても
自分の人生の謎を
自分の算命学の知恵で解いていくのが
正道であろうと思います

その点からすれば自分の為に
算命学を学ぶのだともいえるでしょう

***

今回は自分の個人的な感覚で
書きました
最後まで読んでいただき
ありがとうございました

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