見出し画像

『錠剤F』を読んで



井上荒野さんの新刊『錠剤F』(集英社)を読む。
帯に「グロテスク」「孤独」とあるけど、私がそう感じたのは一編だけで、他は「これもまた人生の一断片」というか、日頃誰しも感じては忘れたり流したりしている「些細な憎悪」や「身近にある怨念」のようなものが、荒野工房によってカットされ研磨されて、短編小説という名の指輪やピアスになった……みたいな感想を持った。
孤独だろうか、「彼ら」は?

人間の負の感情や激情、劣情ってみっともなくて厄介で、自分の中に渦巻いていることは大っぴらにしたくないけど、反面どこか魅惑的な部分もないだろうか。

負には負の輝きがある。
輝きに誘われて、引きずり込まれてしまうのは怖くてごめんだけど、少し引きずられてみたいような気持ちも時に……ないだろうか。私には、ちょっとある。そんな思いに身を任せてしまった人、身を任せていることに気づけなかった人、身を任せた人に引きずられてしまった人たちが各短編で描かれていく。

私は特に『刺繍の本棚』『ケータリング』が好きだった。両方とも捨てるとか棄てることがひとつモチーフになっている。誰しも何か丸ごと放棄してしまいたいときはあるだろうし、そういう快感があることは多くの人が知っていると思う。そして露悪的になれば、私には捨てられることへのマゾヒスティックな悦びみたいなものが生まれつきあることを知っているから、この2篇に惹かれたのかもしれない。

世の中でいうハッピーなことは起こらないけど、「彼ら」は懸命に生きていて、人と混じり合ったゆえに負の境遇にある。本当に孤独な人には得られないものを得ている。

ときに井上荒野さんは昔のドラマ『ししゃもと未亡人』を見たことはあるだろうか。空気感というか、読んでいる最中あのドラマに通底するものを思い出さずにはおれなかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?