森山直太朗20thアニバーサリーツアー素晴らしい世界、めぐろパーシモンホール。自身3年ぶりのライブに参加して。

3年ぶりのライブだった。
誕生日だったという偶然に感謝して。
節目という意味で記しておきたい。
2023年1月25日、森山直太朗20thアニバーサリーツアー素晴らしい世界、めぐろパーシモンホール。

本当の意味での独り立ちとは、なんだろう。
そんな思いを抱きながら、会場へと向かった。
20年という歳月が自分に与えたものは、計り知れない。
ただ、直接楽曲を聴いていなかったとしても、日常で不意に頭に流れてる曲、歌詞。
日々にただそこに佇み、ときに世界を、ときに宇宙を感じさせてくれる。それが私が知っている、森山直太朗の世界だ。
自身の歌のことを「ただそこにあるもの」と表現していたが、それは、御徒町凧が詩の在り方の理想として語っていた、まさに同じことであった。
二人は別々の道を歩みだし、生きている。
限りなく近い理想を離れながらも抱き、それぞれの表現活動をしている。
ライブ中、直太朗は、「世界を変えたい、たまたま自分にとって音楽、歌がその手段だった」とも語っていた。
それは、御徒町が単独でよく言っていたことでもあるし、直太朗との共作してきた楽曲には、その要素が沢山詰まっている。
御徒町がプロデュースとしてやってきた志しみたいなものが、
今は、直太朗単体で自分なりの想いを持って、語りだし、表現し始めている。
二人は離れているが、表現者としての志しは、やはり共鳴している。
だからこそ、今まで共作してきた曲たちも直太朗が単独で作った曲たちも、共存して舞台に上がるものになっていると思うし、歌うことができているんだと思う。
そこには、お互いをリスペクトし合うゆえの形があったし、直太朗は独り立ちはしたが、良い意味でひとりではなかった。
沢山の人に支えられ、人を信じ、舞台に上がる姿を感じることができた。
誰かを信じること、その揺るがない自信を持つことは、なかなかの試練であったように思う。
そして、コロナに罹患したことによって、ひらいた境地。
そこにも今まで「わからない」と自信なさげに人に委ねてきたものを、自身で表現し、歌い、語ることで、伝わることに対しての、自己責任の強さを感じるようにもなった。
言い方は、よくないが、ようやく腹を括ったのだと、歌を生で聴いて見て、そして姿を実際みて、ファンとしても感じることができた。
あまり多くは書けないが、私自身、この先、いつライブに参加できるかの保証がない。
最後であっても後悔しないようにとの想いで参加してきた。
誕生日にライブが自分の今の環境下で行ける場所で行われたことに、この偶然と、巡り合わせ、そしてツアー開催に至るまでの沢山の方々の努力の力にも感謝しています。
ひとつの人生の節目として、今回のライブは自分史に刻まれました。
出会いと別れは繰り返す。
暗闇があって光がある。
生まれて、生きて、死んでいく。
そんな一生の一部に直太朗の音楽に出会えたことに感謝しかない。 
そこに紛れもなく、御徒町凧という存在も大切に存在して、今も彼も自身で懸命に生きている。
生き抜く、生き切る、そこに音楽があってほしいと願う。 
世界は平和とは言えないが、
自分の手元にある世界をまず大切にすることで、規模は世界に広がる気がしている。
悲しい別れも確かにあるが、それも糧に前に進むしかない。
彼らの音楽で繋がっているご縁は、音楽がある限り続いていくから。
それぞれの表現者に対して最大の敬意と感謝を。
関わる皆さん、生まれてきてくれてありがとう。
今を生きていてくれてありがとう。
離れていても心は共にあります。
困難な時代であったとしても、共に生き切りましょう。
直太朗、ありがとう。
これからもどうか心身が健康でありますように。
願わくば、歌い続けてください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?