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ユダヤ教の二極化

 現代のユダヤ教の問題は、世俗と宗教の二極化である。イスラエルの中にはユダヤ教の戒律を厳密には守らない世俗派と、ユダヤ教の戒律を厳密に守る派閥がある。厳密に戒律を守る派閥には超正統派(ハレディーム)がある。イスラエルにおけるユダヤ教の問題はこの世俗派と超正統派との不平等にある。具体的には、ハレディームの子供が学ぶ学校の運営には政府の補助金が支払われ、国民の義務である兵役も免除され、男性は働かずにユダヤ教神学校で聖書を学び続ける人生が認められている。これらは超正統派が宗教行政を独占しているからである。(樋口義彦、2012)

 私はイスラエルにおけるユダヤ教の二極化という点に、紛争が起きる可能性について関心を持った。世俗派と超正統派で大きな格差があるのにもかかわらず、世俗派が冷ややかな目で見る程度で問題がおさまっている点に疑問を感じた。つまり、すでに紛争が起きていてもおかしくない格差問題であるということだ。そこで、世俗派はどのくらい超正統派を敵視しているかという問いを立てる。

 まず数字という点で考えると、世俗派は多数派、超正統派は少数派である。この点において、世俗派は数的有利にある。したがって、超正統派は世俗派よりも特権を得ているが、大した数ではないため看過していると考えられる。しかし、超正統派がだんだんと増加していることを考えると、数的有利からくる余裕はなくなる。つまり、超正統派が多数になると、少数派になった世俗派は対抗手段として暴力を行使する可能性がある。ここに紛争が勃発する。

 次に、歴史という点で考える。超正統派は主流であった改革派から分裂した新正統派に起源を持つ。ゆえに超正統派は少数派である。つまり、世俗派は超正統派が非主流である派閥に起源をもつから、あえて敵視するまでもなく大きな問題にしていないと考えられる。構造は多数派、少数派と類似している。しかし、ユダヤ教の分派の機嫌にかかわってくる分、その影響力は大きいといえる。

 次に、社会科学の観点から考える。超正統派のラビが宗教行政を支配しているため、世俗派は大きな反対運動に出にくいと考えられる。そもそも、世俗派による抵抗が可能ならば超正統派の子どもを優遇するような制度は実施されない。したがって、その制度が施行されている現状から考えると、世俗派は超正統派の支配に手も足も出でいないということである。非民主的な方法で法が制定された場合、不利な立場にあるものは暴力に頼りがちである。ここに、紛争がおきる可能性がある。

 かつて、スパルタの支配層は奴隷の反逆に備えて、幼いころから体を鍛えてきた。体の弱い子がいれば、谷に投げ捨てることもあった。支配を確固たるものにするために、自らを強化していた。超正統派の行政支配はスパルタの鍛錬と似ている。つまり、少数派が多数派を支配し続けるためには、多数派が反逆できないようにするのだ。
以上のように、私はイスラエルにおけるユダヤ教の二極化という点に、紛争が起きる可能性について関心を持った。

参考文献

立山良司編、『イスラエルを知るための60章』、(明石書店、2012)
勝又悦子、勝又直也、『生きるユダヤ教―カタチにならないものの強さ』(教文館、2016)

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