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信仰を持つことの意義 新島襄の人生から

 信仰を持つことの意義は5つある。1つ目は同胞意識を与えること。2つ目は意志の強さにつながること。3つ目は考えの異なる人を惹きつけること。4つ目はその人が長く愛されること。5つ目は生きる活力になることである。  1つ目は同胞意識を与えることである。これは新島襄とハーディー夫妻の出会いのエピソードからわかる。ハーディー夫妻は国や年齢も違う新島襄に経済的・精神的に支援を惜しまなかった。その理由は、新島襄がキリスト教に関心を持ち、もっと学びたいと考えていたからであった。同じキリス

    • トランスジェンダーと施設利用

      トランスジェンダーとトイレ使用の裁判に関するNHKのweb記事を読みました。 (NHK NEWS WEB トランスジェンダー職員 女性用トイレの使用制限は違法 最高裁 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230711/k10014125111000.html) トランスジェンダーの方々が特定の施設を利用する際に生じる問題の中心は、診断書を持たずに自身がトランスジェンダーであると主張する人々の真偽を確認することの困難さにあると思います。

      • 映画「否定と肯定」の概要と考え〜歴史とアリストテレス〜

        先日、非常に興味深い映画を観たので、その感想と共に皆さんにも紹介したいと思います。 この映画は、ホロコーストを否定するという立場から学術研究を行っていた学者を、批判的な本で糾弾した主人公が、その学者から名誉毀損で訴えられるという裁判劇を描いています。実話をもとにした物語です。 この作品を見る上でのキーワードは「歴史修正主義」、「陰謀論」、「歴史の証明」、「知るとは何か」、「表現の自由」でしょう。それらを通して、私たちは「歴史とは何か」、「真実とは何か」を問われ、さまざ

        • アカデミー賞受賞『インターステラー』の概要と考察

          1. はじめに  このレポートの目的は現代におけるイメージの意味について論じることにある。このレポートではイメージの一種である映画の意味について論じた。具体例として『インターステラー』を考察した。その結果、映画の意味は娯楽と問いかけにあるということが明らかになった。このレポートの構成は、第2章ではインターステラーの概要、第3章ではイメージとしてのインターステラーの意味、第4章では映画だけにある意味、第5章ではまとめと今後の課題を論じる。 2.

        信仰を持つことの意義 新島襄の人生から

        • トランスジェンダーと施設利用

        • 映画「否定と肯定」の概要と考え〜歴史とアリストテレス〜

        • アカデミー賞受賞『インターステラー』の概要と考察

          韓国の宗教

          1. はじめに  本レポートの目的は、韓国におけるシャーマニズム、仏教、儒教、キリスト教に関して要約し、仏教・儒教・キリスト教のシャーマニズム化について論じることにある。  本レポートの構成は以下の通りである。第2章では、韓国におけるシャーマニズム、仏教、儒教、キリスト教に関して要約する。第3章では、仏教・儒教・キリスト教のシャーマニズム化について論じる。第4章ではまとめを述べる。 2. 韓国におけるシャーマニズム、仏教、儒教、キリスト教  もともと

          韓国の宗教

          キリスト教とヒンドゥー教の違い

          1. はじめに  このレポートの目的は、キリスト教とヒンドゥー教の違いを考察することにある。その結果、キリスト教は直線的な時間論で、ヒンドゥー教は円環的な時間論であるということが明らかになった。  このレポートの構成は以下の通りである。第2章では、キリスト教とヒンドゥー教の違いを述べる。第3章では、キリスト教の時間論、第4章ではヒンドゥー教の時間論を考察する。第5章ではまとめを述べる。 2. キリスト教とヒンドゥー教の違い  キリスト教とヒンドゥー教

          キリスト教とヒンドゥー教の違い

          4か月だけの出家

          1. はじめに  本レポートの目的は、東南アジア内陸部に伝わった仏教の特徴について論じることにある。特徴の一つである「一時出家」について考察した結果、一時出家は過剰なメリトクラシーを是正するということが明らかになった。本レポートの構成は以下のとおりである。第2節では、一時出家について論じる。第3節では、一時出家の意義について述べる。第4節では、一時出家とメリトクラシーについて論じる。第5節ではまとめについて論じる。 2. 一時出家について  タイ仏教

          4か月だけの出家

          日本におけるムスリムと非ムスリムの共存

          1. はじめに  本レポートの目的は、日本におけるムスリムと非ムスリムの共存について述べることにある。具体的には、日本におけるハラールの取り組みについて調べ、それがムスリムの理解に役立っているか、また、日本独自のハラール基準を作るべきかについて考察する。  第2章では、日本におけるハラールの取り組みについて、第3章では日本での取り組みがムスリムの理解に役立っているか、第4章では日本独自のハラール基準を作るべきかについて考察する。第5章ではムスリムと非ムスリムの共存

          日本におけるムスリムと非ムスリムの共存

          社会主義とイスラム教

          1. はじめに  本レポートの目的は、宗教的社会主義について論じることにある。イスラム教と社会主義の関係を考察した結果、宗教的社会主義は実現可能であるということが明らかになった。  第2章では宗教的社会主義について考えるきっかけ、第3章ではマルクスの科学的社会主義について、第4章ではイスラム教と支配、第5章ではまとめについて論じる。 2. 宗教的社会主義について考えるきっかけ  宗教的社会主義をテーマにしたきっかけは、今回の講義の中でイスラム教には聖

          社会主義とイスラム教

          イスラム教の世界観

          1. はじめに  本レポートの目的は、イスラームの基本的な教義と世界観・歴史観についてまとめることにある。第2章ではイスラームの世界観と歴史観についてまとめ、第3章ではイスラームの基本的な教義についてまとめる。 2. イスラームの世界観と歴史観について  まず、「イスラーム」の語義はアラビア語の動詞「アスラマ」の動名詞にある。「アスラマ」の意味は「(神に逆らわずに)降伏すること」「(神に)従うこと・帰依すること」である。        次に、イスラー

          イスラム教の世界観

          福音主義の矛盾

          1. はじめに  本レポートの目的は、聖書・福音主義について論じることにある。論じるために、福音主義を多面的に考察した。その結果、福音主義には二つの矛盾があり、その非合理性こそが福音主義の本質であるということが分かった。  本レポートの構成は次のようになっている。第2章では、福音主義の非合理性を論じる。第3章では、福音主義のリバイバルを考察する。第4章では、福音主義の階層と矛盾を考える。第5章では、まとめについて述べる。 2. 福音主義の非合理性  

          福音主義の矛盾

          キリスト教の脱構築

          1. はじめに  本レポートの目的は、無条件の愛(信仰義認)について論じることにある。論じるために、無条件の愛を脱構築した。その結果、無条件の愛が存在し得るのは、無条件の愛に根本的な価値があるからではなく、社会に悪があるからということが明らかになった。  本レポートの構成は次のようになっている。第2章では、無条件の愛の他者性を考察する。第3章では、超越論的に考える。第4章では、極端化する。第5章では、まとめの今後の課題について述べる。 2. 無条件の

          キリスト教の脱構築

          私とキリスト教

          1. はじめに 本レポートの目的は、私の人生において経験した、キリスト教とのかかわりとそれによって私がキリスト教に対してどのような評価をしているかを述べることである。その結果、キリスト教とのかかわりは長崎への修学旅行と同志社での礼拝であり、キリスト教は理解されないこともあるが、人をひきつけ心の糧となるものと評価した。本レポートの構成は次のようになっている。第2章では長崎のキリスト教の遺産、第3章では長崎での民泊、第4章では同志社での礼拝、第5章では、結論を述べる。

          私とキリスト教

          ユダヤ教の二極化

           現代のユダヤ教の問題は、世俗と宗教の二極化である。イスラエルの中にはユダヤ教の戒律を厳密には守らない世俗派と、ユダヤ教の戒律を厳密に守る派閥がある。厳密に戒律を守る派閥には超正統派(ハレディーム)がある。イスラエルにおけるユダヤ教の問題はこの世俗派と超正統派との不平等にある。具体的には、ハレディームの子供が学ぶ学校の運営には政府の補助金が支払われ、国民の義務である兵役も免除され、男性は働かずにユダヤ教神学校で聖書を学び続ける人生が認められている。これらは超正統派が宗教行政を

          ユダヤ教の二極化

          ユダヤ教の可能性と限界

           ユダヤ教において大切な要素は三つある。一つ目は神が唯一であること。二つ目はその神が2つのトーラーに体現されていること。三つめは、それを多数の人間が実践し継承していくことである。これらは、ユダヤ教の三位一体といえる。これらの要素は、シェマァ・イスラエルという祈りに凝縮されている。シェマァ・イスラエルというのは「聞け、イスラエルよ」という意味である。(勝又悦子、43ページ)  一つ目を詳しく説明すると、ユダヤ教は神とは「唯一」なるものと考えている。これは「拝一神教」とは異なる

          ユダヤ教の可能性と限界

          宗教を学ぶ意義

          宗教の始まりという観点から、宗教を学ぶ意義について考える。宗教を学ぶ意義は、「支配を知り、疑うことができる」である。この結論に至るために、まず宗教の始まりを「余剰」という視点から捉えることが必要だ。つまり、経済学における「余剰」という概念が宗教を生んだということだ。具体的には、主人が労働者を働かせると、余剰が生じる。この余剰を蓄積するためには支配体制が必要である。この支配体制を正当化するために宗教が生まれたのだ。また、宗教だけでなく国家も生まれた。つまり、宗教の存在意義は支配

          宗教を学ぶ意義