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匂いは記憶

匂いについてちょっと考えてみる。
考えてみるというか、書いてみる。
書きながら考える。いつもとは逆。


冬の朝の蕎麦屋の匂い

冬の朝、蕎麦屋の勝手口から漂う匂いが好きだ。

あの、蕎麦つゆをつくっている時の出汁の匂い。
大豆の匂い、宗田鰹節の匂い。
ふわっ、とあたたかくてまるい湯気の匂い。

キリッと底まで冷え切った朝の空気が
そこだけ漫画のふきだしのように切り取られて
大晦日や元旦がすぐ近くまで来ていることを
教えてくれる。

醤油よりもやや甘い匂い。
だけどくどくない匂い。
なんというかこう、抑制が効いた甘さ。

匂いに温度があるとしたら
まさしくぬるま湯。
いい湯加減の匂い。

それが冬の朝、蕎麦屋の裏口、調理場のあたりから漂う匂いだ。あの匂いを嗅ぐたびに年末年始のちょっと浮き立った気持ちになれる。いい歳をして子ども心に還ってしまうのである。

そしてお年玉を貰わなくなって何年経つのかなとか、年賀状書くの仕事納めのあとからでは遅いかなとか、今年おせち予約したっけとか、一陽来復のお守りもらいに行かなきゃとか、とにかくとりとめのないことに思いを馳せるのであった。


新車の匂い

新車の匂いが好きだ。

あの、ビニール臭というか、化学樹脂というか。
とにかく新車の匂い。
新車の匂いは持続性に欠けている。
気がつくと消えている。
儚いのである。

自動車用芳香剤に「新車の香り」があれば
絶対に買うのに。

そんなふうに思っていたある日。
なんとamazonで「新車の香り」とある
芳香剤を見つけたので驚いて買ってみた。
しかし残念ながらそれは
新車の香りでもなんでもなかった。

また別の日、スーパーオートバックスで
「新車復活」と銘打った消臭剤を見つけた。
しかし残念ながらそれは
30年落ちのわたしのクルマを
新車へと復活させてくれなかった。

貴重なのである。新車の匂いの命は短いのだ。

わたしから言わせてもらえば新車の匂いがしない新車はすべからく中古車なのである。逆にいえば何年落ちのオンボロ車だろうが店頭で引き渡された時点で新車の匂いがすればそれはまさしく新品同様ということになる。

ただし、いつまでも新車の匂いがし続けてはいけない。どこかのタイミングで、オウナーにはわからないようにそっと消えなければいけない。昭和の愛人のような奥ゆかしさがある。それが新車の匂いの魅力なのである。


本の匂い

本の匂いが好きだ。

もしかすると正確には紙の匂いかもしれない。
だがある程度の枚数がまとまってこその
匂いなのだとしたらやはり本と言えるだろう。

新しい本の匂いは香ばしい。
なぜかわからないが読後感が爽快だったり
胸のすく作品だと読み終えた後に
小口に鼻を押し付けて匂いを嗅ぎたくなる。

そうじゃない作品の匂いについてはわからない。
そうじゃない作品にはそんなことをしないから。

古本の匂いもまた独特だ。
最初はカビ臭い。埃臭かったりもする。
しかし手元に置いてページを捲ったり、
カバンに入れて持ち歩いたりするうちに
なぜか馴染んでくるから不思議である。

もしかしたら自分自身が古本に
近づいていっているのかもしれない。
歳を取るというのはそういうことかもしれない。

まあ、でも気に入った作品の匂いに似てくるのであれば、それはそれで本望と言えるだろう。わたしの場合『秋山晶全仕事』『アドマン』『イメージの翼』である。実に本望。本だけに。


納豆の匂い

納豆の匂いが好きだ。

正確には嫌いだった。
上京して初めてできた友人宅で朝食に、
と出された納豆を食べて吐いた。
それ以来匂いを嗅ぐだけで駄目だった。

25歳で入った居酒屋の厨房で
そのことを言うと板前の一人が
「騙されたと思って食べてみろ」
と出してくれた納豆の唐揚げは
わたしを騙さなかった。
あれ?
この場合は騙された、が正しいのか?

それからわたしの好物に納豆が加わった。
納豆の匂いを嗅ぐだけで腹が減るようになった。

以下、作り方を記しておく。
以前もどこかに書いたが構うものか。

【材料】
納豆…4パック
木綿豆腐…4丁
玉ねぎ…1.5玉
長ねぎ…2本
卵…2個
桜エビ…適量
片栗粉…適量
塩…少々
味の素…少々

【手順】
①豆腐は重しを乗せて冷蔵庫で一晩寝かし、水気をとる
②納豆は2パック叩いておく
③大きめのボウルに①と②、残りの納豆2パックを入れる
④③を混ぜる
⑤混ざってきた④に薄切りした玉ねぎ、長ねぎを投入
⑥⑤に卵を落とし、片栗粉をまぶして混ぜる
⑦⑥に桜エビ、塩、味の素を入れてさらに混ぜる
⑧菜箸で形が作れるようになればタネの完成
⑨180度の菜種油で揚げる
⑩揚がったら青のりをかけて辛子醤油でいただく


匂いについて書いていたらいつの間にか懐かしい調理法にたどり着いた。

匂いについて書きながら考えていたら、ここに至るまでに「2ストのオイルの匂い」「くさやの匂い」「パンヤが詰まった倉庫の匂い」などつぎつぎに思い出が蘇ってきた。

匂いとは、記憶である。

思い出に残る匂いがあることは、実はとても贅沢なことなのかもしれない。その匂いを嗅げば、いつでも昔に戻れるから。

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