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主役は自分じゃない

割と人前で話すのが苦手じゃないせいで、30代を過ぎてからいろんなところにひっぱりだされてスピーチやらトークやらファシリテーションをする機会に恵まれてきました。

とくに前職では会社がおったまげる速度で拡大していったせいか、やれ勉強会だ、やれ新卒向けセミナーだ、やれキックオフだ、やれクリエイティブコンテストだ、と仕事の3分の1ぐらいはオーディエンス相手になんかしゃべるものでした。

さらに社員が増えるということは部下が増えるということで、毎年結婚式にお呼ばれする回数が増えていきます。ピークは2007年から2008年にかけて。毎月一宴から多いときは三宴、つまりほぼ毎週結婚式ってことも。その頃になると披露宴では主賓としてスピーチし、そのまま二次会の司会をやったりして。御祝儀まで包んで何やってんだ俺、というメンタルでした。

おもしろいことにそういう役回りで動いていると知らないうちに貫禄みたいなものがついてくるようで、多忙の合間を縫って実家に帰った時、母親に「あんた、知らんとるうちになんだか立派になって…」と目を細めて褒められたことを覚えています。

それはそうと、とにかく臆せず、ときに笑いを取りながら、時間ピッタリにトークをかますわたしの姿をみて、ほぼ100%の人が思うことは

「この人は大勢の人の前でしゃべるのが好きなんだな」

ということです。実際にいつも言われていたことでもあります。そしてそのたびにわたしはこう言い返していました。

「いえ、わたしは決して人前で喋るのは好きではありません。むしろ嫌いです。得意かどうか、といわれると苦手ではないとはいえます。しかし好き嫌いでいえば大嫌いで、できれば避けて生きていきたかった」

こういうとこれもまたほぼ100%の人が「またまたご謙遜を」あるいは「またまたご冗談を」はたまた「ふざけんな嘘つき」と言います。

神に誓っていいます。ほんとなんです、これ。


わたしが大人の人と普通に話ができるようになったのは24歳のとき。制作プロダクション時代のことでした。詳しくはこちらのnoteをご笑覧ください。

その後25歳で池袋の居酒屋の店長になります。ここで生来の社交性を取り戻したわたしは30歳で前述のネットベンチャーに転職。平均年齢25歳という若い会社に「年増のルーキーです。よろしく」と入っていったものですから、あれができないこれは苦手とは言ってられません。

自然と、若い社員に向けての勉強会のようなものを任されるようになります。あるいはサイトリニューアル時の制作部分に関するプレゼンテーションも。

おまけにその会社の出自が大阪、ということもあって、創業幹部は全員が吉本芸人ばりにべしゃりのエキスパート。それはもう、鍛えられます。彼らのスピーチを横で見ているだけで自分まで口八丁になった気分。

そんなこんなでわたしも場数だけは踏んでいきました。

だけど、相変わらず好きか嫌いかでいうと、嫌い。上手にできるとしても出番前は喉カラカラ、膝ガクガク。えずきまくる。朝から食べ物は一切受け付けません。タバコすら吸えませんでした。

そう、めちゃくちゃ緊張しいなのです。キックオフで自分の出番直前に気持ち悪くなってトイレに駆け込み吐いたほど。吐きながらスピーカーから自分の名前が聞こえてくるシチュエーションってなかなかですよ。

もちろん、なにごともなかった涼しい顔してステージに上がります。マイクのスイッチを入れた開口一番「ヒーローは遅れてやってくる。それがメキシコ流」なんていうもんだから拍手喝采です。

どこが嫌いやねん、とツッコミたくなりますよね。

本当に嫌だったんです。
あるときまでは。


この手のオーディエンスを相手にしゃべる系の仕事は、前職を辞めていまの会社で半分フリー、半分会社員みたいな働き方をしている現在でもぜんぜんあります。

5年ぐらい前には福岡の中小企業経営者800人ぐらいの前でブランディングの講演を頼まれたこともありましたし、去年まで杉並区の短期大学で講義する機会もありました。

そして年に2回の社員総会では毎回司会を務めさせていただいております。あまり接点のない社員の中にはわたしのことを「しゃべる仕事のひと」と思っている方もいるらしい。

最近は嫌いでもなくなってきました。
なぜか。

明確にいつだったかは、実はわたしもわかっていないのですが、ある日とつぜん神の啓示のように、こんな言葉が降りてきたんです。

お前が司会をするとき、お前は主役じゃない

考えてみればごくごく当たり前のこと。そんなことは知ってるよ、わかってるよという人のほうが多いと思います。

だけどわたしはこのフレーズによって、めちゃくちゃ解放された。開放されたといってもいい。肩に入っていた力が一気に抜けた。脱力というんでしょうかね。

そうか、主役じゃないのか。だったら主役を際立たせればいいんだ。そこに自分がどう見られるかとか、どう思われるかという意識はまったく必要ないじゃんね。

そう思えた瞬間にもともとのホスト体質(ホストクラブの、に非ず)のわたしは大勢の前で話すことに対する嫌悪感を捨て去ることができたのです。

こう書くと「結婚式やパーティなどは確かに主役じゃないけど、ピッチとかプレゼンテーションはやっぱりスピーカーが主役じゃないのか?」と思う人もいるでしょう。

でもわたしはこう考えます。ピッチにせよ、プレゼンにせよ、講演にせよ。主役は自分ではなくて聴衆。あるいは話す内容そのものが主役。で、あればそれぞれの主役にどうすれば満足してもらえるか、を考えることが最優先。自分のべしゃりがどう見られるかは、やはり、どうでもいいことなんです。


最近、わたしが所属している会社でもどんどん新人マネジャーや事業責任者が増えてきています。彼らはキックオフや社員総会、月ごとの終礼など自分が何かを発表する場に臨む時、ものすごく緊張しています。

わかります。
わたしがそうでしたから。

噛まないだろうか、内容が飛んでしまわないだろうか、シナリオを間違えないだろうか。ガチガチに力が入っています。そして用意した台本をひたすら目で追って、読み上げるだけの時間にしてしまいます。

わたしはですから、彼らにいつも言っているのです。

大丈夫、お前は主役じゃない。

そして

台本を読まなければ話せない、つまり自分で覚えきれないような内容を聞き手が覚えると思うか?もっと主役に尽くせよ。

と。

コロナもインフル並の扱いとなり、大勢の人の前で話す機会が増えているビジネスパーソンもいることかと思います。もし、そういう場に立つと緊張してふだんの力が出せない、と感じている人がいたら、ぜひこの言葉を思い返してみてください。

大丈夫、自分は主役じゃない。

自意識というものからどれだけ逃れられるかが、生きやすさのヒントなのかもしれません。仕事の場面においても。

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