どらがあんこ

いろいろ書きます。消化不良のものも。

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夜を描く/夜は描かれる

音がそこらに溢れている。また光も。こんな夜を紛らわせてくれるように。夜のあちこちに。しかしそのすべてが響くわけではない、反射するわけではない。夜が厳しいからだろうか。それとも私達の問題なのだろうか。単純にPOPさが癪に障るだけだろうか。それとも…… 今日話したいのはそんな夜のこと。そんな夜は大抵どうしようもなく、筆も進まない。(言い訳にはならない。)眠りが早く来ないかと私はずっと待ち続けている。救いのない夜。救われない夜。しかし果たして眠るのが救いになるのかと問われるとそう

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      また明日の夜に

      • やさしいものはもう書けない

        例えば眠りが来るまで壁をじっと見るしかない夜には外出するのもいい。 なるべく素早く、格好なんてパジャマにパーカーを羽織るぐらいで出掛けてみる。少し寒いけれどたっぷりと外を味わえる。目的なんてないのだからコンビニに寄って食べたくもない朝食のパンを買ったあとはなるべく寄り道して帰るのがいい。面倒なら同じ道でも良い。ただ、頭の中に浮かぶものは昨日のそれとは違ったものになる。 昔もらった手紙のことを考える。思い出す。 きっちりと畳まれ丸っこい字で書かれた文字列や便箋に貼られた猫の

        • 書くことの痛み

          滑稽さが儀式の本質だと言ったのは誰だったか。 私達は覚悟が足りないと言ったのは誰だったか。 例えばその日の夜に布団の中で反芻したい会話があったとしても会話の抜け殻しか残っていないことがある。ネガというか。余韻だけが布団まで響いていて復元しようと思えどもっともらしいものまでにしか迫れない。 書かれたもので似たような響きを得ることがある。そんな本ばかり読んでいたいと思う。手元においておきたい。内容の如何を問わず。 久しぶりにものを書くとやはり息が続かない。息が詰まるような、

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        夜を描く/夜は描かれる

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          いつかの山行

          いつかの山行

          放散する今のう

          古い日記から「え」を探す旅の途中で、「今のう」という言葉に出会った。1月9日にブーメンランを飛ばした日記から。書き直しが嫌いだった私の日記にはよく注釈がついているが、ブーメランにアンダーラインを引き、そこから余白にかけて矢印を伸ばして、(今のう作った)という注をつけている。 注釈であるのだが、むしろこちらの方が説明が欲しい。注釈への注釈。おそらく「きのう」と書きたかったのだとは推察できるが、なぜ「今」という漢字を使ったか、これがわからない。おまけに当時の担任もそこには触れず

          放散する今のう

          かけなくなる

          自慢にもならないが、以前平仮名の「え」が書けなくなったことがある。小学生の頃。 決してど忘れではない。また、あ行の4番目が空白になったわけでもない。いざ書こうと筆記用具を紙面上に滑らすとその先が止まってしまう。ぎこちない停止ではなく、ゆるりと速度を落として止まる。動かせば違う文字になるから動かせない。ペン先が引っかかっているわけでもないのに書けなかった。ゆるりと書けなくなった。 紙面の他の「え」が変化したわけではないのだ。ずっと「え」はそこにある。「えび」は「えび」のまま

          かけなくなる

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          立ち上がるもの(三分割)

          立ち上がるもの(三分割)

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          昔の話とか向こう側とか

          昔の話とか向こう側とか

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          パンが安かった話

          ホームセンターの帰りに寄ったスーパーでは、私の好きな菓子パンが20円引きの黄色いシールをつけられて、私を待っていた。シール付きのは一つだけだからこの表現は誇張ではない。パンとそのパンより何十円か安い白菜とレタスを買って家に帰った。 それ以外のパンがどうなるのかなと考えて今これを書いている。買ったパンは私が明日昼にでもいただくし、もう話すべきこともない。 選ばれないパンがあり、捨てられるパンがある。パンは好きだが捨てられるパンは嫌いで、中学生の頃食べたカビの生えたパンはホコ

          パンが安かった話

          切りとられかた 今村夏子『こちらあみ子』を読んで

           例えばそれは不意に浮かんでくる旅行中の思い出に近い。ただそれはとびきり苦いやつで今でも身体がちくちくする類のものである。トラウマと言うには輪郭が朧で「あぁまた出てきたの」ぐらいのやつ。それは書かれていなくても浮き上がる紙魚に似ている。私達はそれを無視しようとする。 *  この本の言葉は、イメージは、そんな切りとられかたをしている。少し読むのに疲れる。ホームビデオと一緒で画面酔いしそうになる。私達の視線を揺さぶる何かがある。  右腕を伸ばし、その先の手のひらで父はなにも

          切りとられかた 今村夏子『こちらあみ子』を読んで

          宵越しの文章は腐りやすい

          珍しくタイトルから浮かんだので眠気が追いつく前に書けるものを書いて寝ようと思う。浮かんだのが2番目の文だろうがあまり変わらないのだろうが。 息継ぎの問題なのか、私は一息で書けるものが好きだ。(息を止めて書いているのではない。)指の感覚として1000字ぐらいがちょうどよくて、それ以上はどうも流れが良すぎるから中断してしまう。フランシス・ベイコンがインタビューで述べていたように私もラップトップのキーボードに指でない何かをぶつけたい気持ちでいっぱいになったところでやめてしまう。飽

          宵越しの文章は腐りやすい

          或る日の友人たち

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          切られたもの

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