きみの目線、わたしの目線
息子が初めて歩きだしたときの話をしたい。
彼は生後九ヶ月ほどでつたい歩きをはじめ、大人たちは一人歩きするのを今か今かと待っていた。
一歳を待たずに歩き出すんじゃないかという大人たちの期待をよそに、彼は一歳一ヶ月を過ぎても一人で歩こうとする様子を見せなかった。
高速ハイハイで縦横無尽に動き回る日々。まあいつか歩き出すんだろうけどねと、大人たちの関心が離れていき、
そしてある日、彼は一歩を踏み出した。
自分よりも大きな、ピンク色のプラスチックのおもちゃ箱を両手に抱えて。
なんでやねん、なんで最初から物抱えちゃうの。
しかもバカでかい箱。最初なんだから普通に歩けばいいのに。転んでも手つけないじゃん。
おもちゃ箱を取り上げてあげようか、と思ったと同時に、脳裏にふと閃いたものがあった。
彼はおもちゃ箱を運びたかったからこそ、歩いたのだ。
ハイハイの方が早く動ける。でもハイハイでは物を運ぶことができない。
だから彼は歩くことを選択したのだ。
おもちゃ箱は彼にとって歩く動機なのだ。だから、取り上げてはいけない。
不意にそう思った。
これと似たような場面はこれからも起きる気がする。
大人が勝手に彼に期待をかけ、そして、
危ないから、非効率だから、つまらないからと、せっかく一歩踏み出した彼の動機を取り上げてしまう。悪気なく。
きみは、
夏の日差しが麦茶のボトルを通してテーブルに茶色いゆらめきを映すのを眺め
壁のちょっとしたへこみにおもちゃを飾ろうと試行錯誤を繰り返す
私はきみと同じ目線で世界を生きることはできないけれど、きみが見ている世界を尊重したいと思っているよ。
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