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悪者のことに心を燃やすな

少し長いけれど(^_^;)
昔からなにか、意地悪なことをされたり、敵と認識する人がいたときに何度も読んできた聖書箇所↓
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悪者のことに心を燃やすな 彼らと共にいることを望むな。 悪者が心に思いめぐらすのは暴力。
唇が語るのは労苦を引き起こすこと。 家は知恵によって築かれ、英知によって固く立つ。
知識は部屋を満たし、貴く喜ばしい財産となる。 知恵ある男は勇敢にふるまい 知識ある男は力を発揮する。 戦争には指揮する力が必要であり 勝利を得るためには作戦を練るべきだ。
無知な者に知恵は高尚すぎる。 城門で口を開くべきではない。 悪意ある考えを持つ者は陰謀家と呼ばれる。 無知の謀は過ちとされる。
不遜な態度は人に憎まれる。 苦難の襲うとき気力を失い、力を出し惜しみ 死に捕えられた人を救い出さず 殺されそうになっている人を助けず 「できなかったのだ」などと言っても 心を調べる方は見抜いておられる。 魂を見守る方はご存じだ。
人の行いに応じて報いを返される。 わが子よ、蜜を食べてみよ、それは美味だ。 滴る蜜は口に甘い。 そのように、魂にとって知恵は美味だと知れ。 それを見いだすなら、確かに未来はある。 あなたの希望が断たれることはない。
神に逆らう者よ、神に従う人の住みかを狙うな。 その憩いの場で暴力を振るうな。 神に従う人は七度倒れても起き上がる。
神に逆らう者は災難に遭えばつまずく。 敵が倒れても喜んではならない。 彼がつまずいても心を躍らせるな。 主がそういうあなたを見て不快とされるなら 彼への怒りを翻されるであろう。 悪事を働く者に怒りを覚えたり 主に逆らう者のことに心を燃やすことはない。 悪者には未来はない。 主に逆らう者の灯は消える。
わが子よ、主を、そして王を、畏れよ。 変化を求める者らと関係を持つな。 突然、彼らの不幸は始まる。 この両者が下す災難を誰が知りえよう。
‭‭箴言‬ ‭24‬:‭1‬-‭22‬ 新共同訳‬

箴言 24:1-22 悪者のことに心を燃やすな 彼らと共にいることを望むな。 悪者が心に思いめぐらすのは暴力。 唇が語るのは労苦を引き起こすこと。 家は知恵によって築かれ、英知によって固く立つ。 知識は部屋を満たし、貴く喜ばしい財産となる。 知恵ある男は勇敢にふるまい 知識ある男は力を発揮する。 戦争には指揮する力が必要であり 勝利を得るためには作戦を練るべきだ。 無知な者に知恵は高尚すぎる。 城門で口を開くべきではな | Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳 (新共同訳) | Download The Bible App Now 悪者のことに心を燃やすな 彼らと共にいることを望むな。 悪者が心に思いめぐらすのは暴力。 唇が語るのは労苦を引き起こすこと bible.com

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人は行いによって救われるのではない、ただ恵みによってのみ救われる、というのはまた別の箇所に書いてあるのだけど。
だからといって、行いが悪くてよいはずはなく。
これからも、誰かを助けようとして、目を覚まさせようとして、全力になり、それによって疎まれ、憎まれすることはあるのかもしれない。けれども出し惜しみをするなと言われた気がした。
そして、理解してもらえなかったことや、それ以上に変人扱いや非常識だと言ってきた人たちのことも
憎んだり、彼らの失敗について心躍らせてはならないというのもそう思う。
アレについての危険性を理解できず、こちらの忠告にも耳を貸さず、結果健康被害を受けた人たちに対して私たちはどう振る舞っているだろうか。どんな考えを彼らにもっただろうか。
「それみたことか」と心を多少なりとも躍らせたことはなかっただろうか。
…私は正直言うとあった。他人の不幸を喜ぶわけではない。ただ、自分の思いが間違いではなかったというところで(デフォルトの自己肯定感が低すぎるゆえに、というのもあったかも。これまでの人生では失敗があまりに多すぎて、たまの正解や成功に浮かれてしまう自分がどうしても心の中にいる)
それもどうかと思う。正解だからなんだというのか。自分の価値が上がるわけでない。そんなことで得たわずかな自信などもろいものだ。
それに、目の前に今も気付かず、メディア等を信じ込み、身体や心を傷つけ続けている人たちがいるのに、一体私は何を喜んでいたのだろう。

"神に逆らう者は災難に遭えばつまずく。 敵が倒れても喜んではならない。 彼がつまずいても心を躍らせるな。 主がそういうあなたを見て不快とされるなら 彼への怒りを翻されるであろう"

私のこれまでの数々の心の動きをみていたなら、神(主)は彼らへの怒りを翻されるかもしれない。
今一度、心を落ち着けて、自分の抱いてきた思いと神からみたときに不快とされる行いを悔い改めて、騙され続けてしまっている人たちのために祈りたい。

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