見出し画像

きっかけは偶然に -HALCCの思い出と今後への一考察-

「来月末、津別町来れないかな?」

修士1年、まだHALCCのメンバーではなかった自分に、当時の代表(以下、W氏)がこんな感じで声をかけてきたのが始まりだった。

公共政策大学院の入学式にて、「HALCC」なる団体からのプレゼンを受けた。札幌から5〜6時間かかる道東オホーツクの津別町を舞台に、政策提言や高大連携事業を行う。
そんな団体があるんだなあ。当時はそれくらいの認識だった。

入学当初は道の駅巡り、ソロキャンプ、研究活動と自分のやりたいことに全力投球だった。気づけば道内の「道の駅」127箇所を完全制覇してた。

諸々の活動が落ち着いた10月某日。
W氏から冒頭の言葉をかけられた。

話を聞けば、往復の交通費、宿泊費、さらには日当が出るとのこと。
まあとりあえず行ってみれば何かあるかなあ。
それくらいのテンションで、サポートメンバーとしての津別行きが決まった。

実際に津別町へ行ってみると、町の規模はそこまで大きくないものの、熱量を持った人がたくさんいる。魅力的な場所がたくさんある。
なんだよ。津別町面白いじゃん。初回の訪問でそう感じた。

月日は流れ11月某日。
再びW氏から「次回も津別町来れないかな?
「いいですよ!また色々支給ありますもんね」

11月末。
W氏「来週までに最終成果報告会のポスター作ってもらえないかな?」
「?!(もはやサポートメンバーの仕事なのか?)」

12月成果報告会懇親会
W氏「来年からHALCC入ってくれない?」
「?!(ついに正式メンバーに!)」

ついにHALCCメンバーになってしまった。
あの日W氏と同じ空間に居たばかりに。。。
そんな偶然から私のHALCCライフは始まった。

HALCCでの私

なんやかんやで入ったHALCCだったが、きちんと自分の役割はあった。
仕事は総じてデザイン関連。ポスターとかを作ったりした。こんな感じ。

津別マルシェのポスター
深夜のノリで初版を覆してできた作品

学部時代から培っていたAdobeツールのスキルをまさか津別町で発揮することになるとは予想し得なかった。何が起こるかわからないものだ。
学生団体の中にこうしたスキルを持つ人間がいることは、広報などあらゆる場面での可能性を広げるはずだ。自分がいる間に後継者を育てるまでには至らなかったが、今後もできる範囲で協力はしたい。

こんな感じで、HALCCでは自分の好きな領域、得意な領域中心で仕事をしてきた。それを受け入れてくれた同期の面々や他のメンバーには感謝しかない。

HALCCのような団体の難しさ

HALCCのメンバーとして活動してきた中で、地域と関わる学生団体のあり方への私見をまとめる。(完全主観なのでご批判等を歓迎します)

我々はあくまで部外者であることを忘れてはいけない。
地域には形式知だけでなく、暗黙知もある。
そのようなシガラミを知らないからこそ色々できるというのが部外者の特権かもしれないが、最終的にはその地域に住む人にとっての幸せが実現しなければ意味がない。外から地域に関わるというのは、非常に覚悟のいることだ。

地域の当事者でもない、「学生」という難しい立場の中で、どのようにすれば、地域のためになることができるのか。自分はどこまで深く関われるのか。この問いを持ちながらHALCCのような活動に取り組む姿勢が求められると感じた。
今後も仕事として地域課題等に向き合う自分への自戒も込めて、今後の活動でも忘れないようにしたい。

やや説教くさいことを言ってしまったが、一度お試しで地域に関わってみる選択肢は悪くない。ただ関わると決めたらとことん関わる。少し厳しいなと思ったら潔く引く。ここの見極めが大切だと感じた。

HALCCのこれから

学生団体が必ず直面する課題は「世代交代」である。
HALCCは2015年から活動が始まり、なんとか7期目までの活動を終えた。
幸いにも次を担う世代が加入し、次のステージとなる8期目へと進むことができそうである。

8期目の中心メンバーたちは、皆若さに満ち溢れた学部生がメインとなる。我々ができなかったことの実現を含めて、今後の彼らに期待したい。

おわりに

ここまで一体誰が語っているのかと思った方へ。
公共政策大学院M2の米田夏輝でした。

全て偶然から始まったHALCCでの物語。
HALCCメンバーとしての役割は一旦終わるが、津別町の関係人口として今後も関わり続けられたらと思っている。(ぜひお話お待ちしてます!)

津別町で出会った全ての方々。HALCCの面々。

この場を借りて感謝申し上げます。

これからのHALCCもよろしくお願い致します。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?