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第1回 経緯 〜私の2026年問題〜

「小さな写真館の作り方。」ブログ今回から本題です。
序盤は写真館を作るまでの経緯を書いていきたいと思います。

さて、若いカメラマンの皆さん(20代〜35歳くらい?)、自分が50歳になった時の仕事や収入のイメージってありますか?
私は現在41歳(※ブログ開始2017年当時)なのですが、30代前半の時にふと50歳になった時の自分を考えてみたのです。
当時の私は、地元の写真館さんが経営する別会社の業務を一人で請け負うという立場でした。その会社は結婚式場と専属契約をしており、私はそこの打ち合わせから撮影、アルバム制作や請求書作成など業務の大半を行っていましたが、婚礼件数が年間120件程度だったので閑散期はあまり仕事がありません。
しかし固定給プラス出来高という契約を結んでいたため、撮影が少ない夏場は、週末に撮影、その夜間に作業、残りの平日の4~5日は仕事をしない生活でも毎月40万円ほど頂いていました。
そんな時期は平日の昼間から犬の散歩を毎日のようにしているので、自宅マンションのエレベーターの中でご近所さんから「仕事何してるんですか?」って聞かれたこともあります。(笑)
ちなみに20代の私は24歳で大阪芸術大学写真学科を卒業し、大阪の大手ブライダル系の写真館に就職、主にホテルの写真室で結婚式の撮影を行っていたサラリーマンカメラマン。
28歳で結婚を機に退職し、佐賀に移住、妻の実家のカメラ修理の仕事を手伝うも1年で挫折。そのタイミングで地元の写真館さんに声をかけていただきお仕事をして、4年目くらいに先ほどの会社を任せていただくようになりました。
話は戻りますが、週に2日働いて40万円を頂き、通勤時間も短い(私の場合は自宅兼事務所なので通勤なし)地方都市でゆっくりと暮らす。
今考えてもとても幸せなことです。本当にその写真館さんには感謝しています。

でも。でも。でも。ですよ……
当時の私は怖くなってしまったんです。その生活に。
そして冒頭の50歳の自分を考えた時に。もし仮にこのままの生活で50歳になった時、「自分には何ができるのだろう?」もちろん一件一件大切に撮影はしていましたし、撮影技術を高める努力もしていました。
が、いかんせん同じ撮影現場でのウエディング撮影が主体です。商品撮影や広告撮影はおろか、スタジオでの成人式や七五三撮影すらまともに経験できる機会もありません。
また先の写真館さんの売り上げは地方の結婚式場や学校の撮影が大半であり、内製化やマージン引き上げの流れ、なし婚の増加や少子化、デジタルカメラの進歩……写真館にとって逆風を言い出したらキリがありません。
もし50歳の時点で、その会社さんから「あなたに差し上げる仕事はもうありません」と言われたら自分には何ができるだろう?そう考えたら不安でいっぱいでした。
もし現実にそうなった時、きっと30代で自分では何も努力をせず楽をしていた自分を恨むと思ったのです。今50歳を過ぎて新たにチャレンジしている人が読んでいたらすみません。当時の自分はそう思ったのです。(今なら他にやりようはあると思えるのですが。)

こうして自分の中の「2026年問題」が生まれたました。
ではその私が50歳になるタイミングの「2026年問題」をどう解決するのか?その当時に考えた選択肢は二つでした。
一つ目は潰れそうにない会社に入り、役職として2026年を迎える(今は潰れない会社など存在しないことはわかりますが。笑)
二つ目は自分が経営者になって2026年を迎える(多分3つ目としてカメラマン以外に転職という道もあったのですが、当時は考えませんでした。)
そうしてすぐに具体的に何か動いたわけではありませんが、何となく意識し始めたのが、それまでの人生で考えもしなかった二つ目の選択肢である経営者の道でした。
ちなみにその時点では、まだ写真館を作るなんてことは考えておらず、カメラマンとしてまずは事務所を構え、結婚式場とか広告代理店とかと直接取引きが出来たらなぁ、何て考えていたような気がします。
そんなことを考えているうちに、はじめの転機がやってきます。
しかしその転機は自分の甘さゆえ、私を人生のどん底に落とすことになるのですが……今回はここまでです。

次回はその訪れた転機について書こうと思います。人生そう甘くないことが起こるのですが、実はこの経験が今の自分を作っている大きな要因だと思っています。

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株式会社ハレノヒ代表取締役/2015年、築100年の古民家をリノベーションした写真館をオープン。地方写真館の再定義を行うことによって人とまちが豊かになる仕組みをつくろうとしています。その他セミナー講師や各種メディアにも出ています。