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なぜカフェに行くと読書が捗るのか

自宅で生活を送ることの多い人間には困ることがある。それは、家の中だと「したいこと」も「しなければならないこと」も何も捗らないタイミングがあることだ。読書をしたいと思っても、何故か中々本に手が届かないし、物書きをせねばならないと思っても、全然タイピングが進まない。

けれども思い切って外に飛び出し、例えばカフェで本やPCを広げると、それはもう驚くくらい前へ進む感覚がある。読書をするにも、本に触れていることは当たり前だし、ページを捲るのもめちゃめちゃ捗る。PCを扱っていたとしたら、心なしかタイピングスピードが速くなっている感覚もある。

自宅での活動と、カフェでの活動。この差は何から生じるのか、毎度気になっているのだが、「選択肢の差」が要因の一つとなっているのではないだろうか。

自宅は選択肢の宝庫だ。例えば、自分の場合だと、部屋を数歩あるけば大量の書物、ゲーミングPC、Nintendo Switch、iPad、iPhone・・・と何かをするためのツールに簡単に触れることができる。時間さえ許せば、何でもし放題の状態だ。しかし、何でもあるが故に、決断が揺らぐ。一冊の本を読み初めても、視界にはPCモニターがちらつくし、ゲームで遊び始めても、大量の本がこちらを睨みつけてくる。どうも一つの物事に集中しづらい。

一方でカフェは、自宅よりも行動の選択肢が限られる。所持している全書物、デジタルデバイスを全て持ち歩き、外でおっぴろげることは絶対にできない。「今日はこれをしたい、しよう」と自宅にあるごく一部の物がバッグに詰められ、カフェへと運ばれていく。目の前にあるのはコーヒーとごく一部の所持物。できることが少ないからこそ、意識が一つのものに集中し、読書も諸作業も捗るのではないだろうか。

世の中には「ジャムの法則」と呼ばれる現象がある。これは、「決定回避の法則」とも呼ばれ、選択肢が多過ぎると決定しづらくなる、という心理学的な法則である。
(ジャムの品揃えが24種類あるよりも、6種類しかなかったお店の方が、ジャムの試食した上で購入に至った割合が約10倍高かった、という実験があったそう)

少しずれるかもしれないが、自宅またはカフェで過ごす自分にジャムの法則が当てはめられるのかもしれないなとも思った。


今回は選択肢の多い自宅と、選択肢の少ないカフェとの比較ではあったが、選択肢の少ない自宅だったら、カフェと近い状態で活動に励めるのだろうか。僕はミニマリストとは程遠い生活をしているので分からない。今度、ミニマリストの知人に色々聞いてみたい。


カフェの方が諸作業が捗るよねと言いながら、この文章は自宅で書いています。今日はたまたま外でなくても捗っているので。すみません。




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