HAL KUZUYA

Photographer.cinematographer …

HAL KUZUYA

Photographer.cinematographer 広告、ポートレイトの分野で活躍。写真と文章のショートコラムを各所で連載中

最近の記事

無理してない?

ちょっと無理してない? 強い自分 どうにかできる自分 できてるけど 幸せではない そんな自分に気がつくこと 気がついて ただそのことだけでも 私は救われるのかもしれない あなたの私も 救われるのかもしれない

    • 写真を撮る

      • 風景写真

        少し薄い空の色が 心にすっと澄み渡る 小学校の時は窓側の席で 遠くに見える雲の見ているような子供だった 大人になってからは、空のみえる部屋を選んで住んでいる いつでも、どんなに小さくても 窓の外に見える空は 当たり前のようにそこにあり それが時にとても安心であり 時にとても寂しくあり それでも毎日がそこに続くということを その青色の中につなげている

        • 父について

          夏の終わり 78歳の父との突然の別れがあった 15歳から海外で暮らしていたこともあり あまり家に寄り付かなかった青年時代 その後も、都会で仕事をし海外を渡り歩き 顔を合わせることはあっても 早くに独立した娘と父親の関係はそこまで深まることもなかったようにおもう 出産の時も実家には帰らずに過ごしたけれど 娘を産んで初めてのお正月 本当に久しぶりに実家で過ごし 父と母と娘と私と4人で すぐ近所の高台へ初日の出を見に行った その時の父の言葉が耳に残り続けている 「こんな日

        無理してない?

          私は泣きたかったのか

          言葉があるれるように出てきていた時期がある それがピタッと止まってしまって なんだか全てが 空っぽな中にいるように感じたたまま 数年が過ぎた その間に娘は3歳から6歳になり 祖父が亡くなり、祖母が亡くなり、先月父が亡くなった 気持ちのいい5階の明るい部屋から 庭付きの一階へ引越し その庭に合わせたように 保護犬が我が家にやってきた 幼稚園が終わり学校の入学の準備だそうだ 仕事して 焦って 気持ちが折れて また持ち直して 何かにすがりたくて すがるものがなくて 空中を浮

          私は泣きたかったのか

          茶トラ猫のつぶやき

          猫族の先輩方、みなさま大変ご無沙汰しております おばあちゃん家の猫こと「チャト」でございます おばあちゃんちの猫なので、和風でクラッシックな名前がついておりますが 一応スコティッスでございます おばあちゃんがホームに入るときに 欲しいといっていただいたお家に引き取られて養子に出たのですが 去年怪我をして半身不随になり、飼い主さんがそこそこ高齢なこともあり、 要介護猫を飼えなくなり出戻り猫として、戻ってまいりました 前の飼い主様はそれはそれは可愛がってくれたのですが 私の

          茶トラ猫のつぶやき

          娘のつぶやき

          「お母さん。明日からそうするね」 と、かしこまって決意表明 さて、何の決意かって。。。 その辺りは三歳の娘 経緯は大して面白くもないこんな話 最近フルーツが美味しすぎて、ご飯もそこそこにデザートに進みたがる娘 豚肉と野菜のソテー、きんぴらごぼう、味噌汁と米 献立のうち食べたのは味噌汁と米と、ブロッコリーのみ お風呂の後にお腹すいたとリンゴとおにぎりをねだる さすがにわがままが過ぎるので、淡々とお説教。。。 人参と牛蒡食べなかったのに、お腹すいてそういうこと

          娘のつぶやき

          on SUNDAY

          久しぶりに、本当に久しぶりに 外でワイワイと人に会って おしゃべりして、散歩した 個人的になんだか色々な半年 よのなかてきにも、かなり色々な数ヶ月 でも変わらず繋がる人がいて なんとなく良い感じの休日があり 外の空気は暑いけど みんなで歩けば案外大丈夫で 娘はとても楽しそう 友に会うとエネルギーが湧いてくるわ リラックスとエネルギー 相変わらずダメな自分を あははと笑ってくれるから だよねー、と、 自分を笑ってあげられる そんな感じでいいんだと なんだかんだと 昔から知ってる

          WORKS

          仕事ってなんだろう 私にとって仕事は、生きること 生きる喜びであり 生きている証 私の一部で私の全てだ 今日は撮影はない パソコンの前でデータを起こし 過去の記録を整理し 今の気持ちを整理した カメラを持つ瞬間 私は解き放たれて 自分のだけの海へと泳ぎだす また陸絵上がり整える この繰り返し 生きている間 ずっとこうして仕事をしていたい できればカメラを持って

          PORTRAIT

          人を撮ることは その人がそこに生きた証 その人が見ているこの世界 私の目線ではなくて その人が見ている世界を撮りたいと いつも心から願う あなたは何を思って生きていますか? 今日という時と、今という時代を駆け抜けている証

          LANDSCAPE

          風景を撮ることは 私にとって 座禅をするような作業だ 一人静かな時間 空気と気配と光に体も五感も預けて そこに立つ 自然に目に止まる風景を ただ淡々と切り撮る 古いカメラのシャッターは音すらしなくて 足音と風の音 特別な場所なんてなくて 特別な時間があるだけだ

          小さな旅をした

          小さな旅をした 突然なぜか故郷のようになった街へ 少女時代を共に過ごした旧友のような仲間がいる街へ こうして、小さな節目ごとになぜか戻ってきて 少しづつ縁を繋いで、深めて そしてまた、私は私の世界へ戻っていく そのことが今とても大切で、ありがたい 何気ない話、普段の食事、そんなことがとても愛おしい 共有してくれた時間に感謝 出会いに感謝 そして近い将来の再会に、また会いにくるねとう 約束に感謝して 私はまた私の世界へ戻っていく 支えてもらいながら、笑顔で前向いて 自分の

          小さな旅をした

          2020初夏 記憶の記録

          本物の魔法の使いの技を目撃してしまった その手元から溢れ出すエネルギーを体感して 心から感じた 髪を切るだけでも、デザインだけでもない 長年私の中に溜まったいろんなものを、まさに払うよに ハサミは進んでいく デザインしているのだけれど、デザインではない何かもっと圧倒的な力で、 今の私にとって必要なもの、必要ではないものを より分けるようにハサミが進んでいくのだ 本当に魔法のよう でももっと神聖なことのようにも思えた 何か白くて透明な湯気みたいなものがハサミの先から出

          2020初夏 記憶の記録

          2020春の記憶の記録

          目の前にある現実という日常を どう捉えるのかということが こんなにも自分次第だと 突きつけられたことはない 美しいと感じるのも そうでないと感じるのも 自分の心次第なのだ ありきたりだと思い それが幸せだと感じるのか それでは不幸せだと感じるのかも 自分次第なのだ 買ってきた流行の花を飾り 写真を撮る 数字に踊らされ それが人の価値のようになる 小さな画面に押しつぶされ 自分自身が見えなくなるのか 切り取られた 誰かの15秒が どんなにキラキラしたものにみえるのか

          2020春の記憶の記録

          2020春 記憶の記録

          わけわからん世界中のいろんなニュースと 飛び交ういろんな情報に この世界に生きることに不安を感じたり それでも友達がいて 好きな仕事と仲間がいて 愛する人がいることに 感謝したり 風がいろんな方向からやってくるから いろんなことを思う いろんな思いがあふれる 愛する自分の家族を守るため 娘が住むこの地球の未来を守るため 私に何ができるのって考える いろんなこと できること もちろんやりたいと思うし 何かささやかながら 思いと伝えたり 行動したり でも最終的に 立ち

          2020春 記憶の記録

          2020春 記憶の記録

          私は基本的にとてもはっきりした人間だ 好きなこと、嫌いなこと 苦手なこと、やりたいこと どんな自分でありたいのか ただ恋愛という一つの分野において 自分の気持ちにというものに なぜかあまり自信が持てない それはまあ いろんな理由があって その理由もなんとなく自覚している それでもやっぱり自信が持てないものは 自信が持てないのだ 誰かを愛したり 誰かを好きになる その気持ちがどれだけ自分の心の奥底からの 純粋なものなのか それとも何か他の不純物が混ざりあったものなのか その純度

          2020春 記憶の記録