足跡日記👣§12 先生とは

 今日はとある小学校でストックホルムの街づくりについて講演した。こちらの学校は海に近く、3.11の震災時にはすぐ近くまで津波が押し寄せた場所である。ゆえに震災以降は防災教育に力点が置かれ、それが地域の街づくりという形で総合的な学習の時間に現在も組み込まれている。今回は生徒にとって理想の街づくりのヒントを与えるべく、昨年に引き続き講演依頼が来た次第だ。

 授業のチャイムが鳴り、学年主任の先生がマイクをとる。「みなさん、こちらが本日講演していただく時任先生です。」紹介に与ったとき、ぼくはとても面映ゆい心地がした。日頃は学生という身分だからだろうか。情報提供は行えども何か教授する立場にないからだろうか。”先生”というワードを耳にしたとき、同時に責任感や使命感のようなものも感じた。

 その後、ぼくは某大学から来仙した先生(これは僕が一般的にイメージする先生である)が地元の有機農業を営む農家にヒアリングするというので、許可を得て急遽同行することとなった。現地で農家さんと挨拶に伺ったときにも、ぼくは某大学の先生からでさえ「こちらの学生は本日学校で先生をしていました」と紹介された。学生という身分と先生という身分が混在していることに奇妙さを感じ、ぼくは図らずも笑ってしまった。

 夜は塾講師のアルバイトで、生徒から何度も先生と呼ばれた。今日はいろんな人からいろんな先生像として先生と呼ばれるなぁ、と思った。

 バイトの後、こんなに先生と呼ばれたので、果たして先生って何ぞや、と些か煩悶してしまった。そこでぼくが現地点で導き出した先生の定義を備忘録として記しておく。それは、「自分と対話して自分らしさを把握し、それを遺憾なく社会に示して寄与する、自由と自律の体現者」である。

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