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足跡日記👣§21 hustle and bustle city Tokyo(後編)

 環境アートの展示会場はビル街にある高層ビルの屋上だった。自然環境からかけ離れ、恵みをもたらしてくれる土から遠く隔たった場所で環境アート展が開催している。ぼくはそのビルを見上げながら、これは人間が自然を支配していることを、皮肉的に示唆しているような気がしていた。

 窮屈なエレベーターの中で気圧の変化に不快感を抱いていると、瞬く間に会場の53Fに着いた。そこには、いくつもの前衛的なエコ・アートが展示されていた。それらは一つ一つが興味深く、各々が各々の視点で環境問題を覗き、表していた。中には環境問題と市民運動の系譜もあり、社会の変容とエコ・アートの繋累を繙けるようになっていて、とても勉強になった。その中で最も来場者の目を引いていたのは、館内の展示品ではなく、空を黄昏色に染める夕陽であった。

 小一時間美術館を鑑賞し、公共交通機関の混乱も収まっただろうと見越して、再び駅へ戻った。ところが車内や構内は影響を受けた人でごった返していて、帰宅ラッシュも相まって未だ混沌としていた。これは不自然に人が密集して暮らしている場所だからこその欠点だろう。ぼくの田舎である福島ではそんな事はまず起こらないし、仙台でもこんなに程度は甚だしくあるまい。電車内で7年ぶりのおしくらまんじゅうに揉まれながら、ぼくは問答法に耽っていた。

↑あとで問答法を整理した

降りた駅は、来月からお世話になる家の最寄駅だった。改札を出て左見右見し、開けたロータリーのある北口へ向かう。駅では壮年の方々が何かを喧伝していたが、駅員のアナウンスに掻き消されていた。

通勤に使う予定の道を歩く。先ほどの喧騒とは打って変わって閑静な住宅街が列をなしている。歩道と家々の間は石垣によって隔たれ、家と家の間も無骨な石垣によって隔たれている。物理的には犇いているけれど、寄り添い合ってはいない。まるで先刻経験したおしくらまんじゅうのようである。ここには住居の内にも外にも自由と呼べる場所はないのだろうか。

5分ほど歩いた所で踵を巡らし、そのまま東京駅へ向かった。上りの電車は動く空箱のようであった。対照的に輻輳する下り列車を眺めながら、ぼくは東京での生活の不自然さに頭を擡げていた。

新幹線に乗れば、仙台までは一瞬だった。ドアが開き、清冽な空気を胸いっぱいに吸い込み、窶れた自分を再合成する。見慣れた場所に帰ってきた事に顔を綻ばせながら、すっかり東京に合わなくなってしまっていた心身を憂いた。

 


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