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詩誌「みなみのかぜ」第九号の感想を書きました。

こんにちは。ハルです。

今日は僕が所属している同人「聲℃」とも繋がりの深い詩誌「みなみのかぜ」最新刊第九号の感想を書かせていただきました。

よろしければお読みくださいませ。

まず「みなみのかぜ」とは如何なる詩誌かと申しますと、、


2016年4月14日。熊本・大分を中心に、大きな揺れが人々を襲いました。それから一年後の2017年4月14日、詩誌『みなみのかぜ』は創刊いたしました。熊本や大分で被災した者、かつてそこに暮らしていた者、そこに親戚のいる者など、参加する詩人は、それぞれが地震に影響を受けています。二度の震度7と相次ぐ余震に変化していく地域の中で、詩にできることは何か。詩の力とは何か。私たちはそのことを考え、一つの形にしたのです。 創刊同人は麻田あつき・清水らくは・津留清美・平川綾真智・広瀬大志の五名。第二号からは同人に菊石朋・豆塚エリが加わり七名となりました。文学面からの復興を目指して、地震後の世界と向き合いながら詩を紡いでいく『みなみのかぜ』に、皆さま是非ご注目ください。


とのこと。

九州にゆかりのある詩人達が文学面からの復興を目指して創刊する、と言う、かなり熱の高いコンセプトです。

先日発売されたばかりの第九号は以下のように紹介されています。


同人の菊石朋・清水らくは・津留清美・平川綾真智・広瀬大志・宮城ま咲の作品に加え、今号のゲストは村田麻衣子さんです。 発行日2020年9月14日 A5版 本文48ページ。


広瀬大志さんや、平川綾真智さん、フランス在住の詩人 村田麻衣子さんを含む錚々たるメンバー。それでは、内容を見ていきましょう。

まず、トップバッターは、詩誌のタイトルの由来となった喫茶店「みなみのかぜ」を経営される詩人、津留清美さん。タイトルは「当事者サゥダーヂ  ~あなたかもしれない、わたしかも~」。ブラジルに渡った伯母さん(以前の号にも登場していました)の挿話とコロナによる世界の変容をアイロニカルに融和させた一編で、ブラジルの言葉が熊本の言葉に翻訳され、まさに時空を超えた普遍性を獲得しています。傍観者ではいられない時代にどのように創造力を枯渇させずに生きるべきか、胸に刺さります。


続いて、平川綾真智さんの「GW出勤中でファータの生クリームメロンパン(しんじつ君日和)」。いつも斬新な体裁で試作品を表現する平川さん。本作は、とあるブログの一記事を入力者側から見たメタなスタイルを取っており、ウェブという匿名性への示唆を際立たせています。シンプルな内容をふんだんな語彙でデコレートし、そこにコロナ禍の偏重した倫理観へのアイロニカルな(このスタイルだからこそ表せる)視線を立たせることで、多重的な奥行きを獲得しています。読み込むのは根気が要りますが(笑)、他の作者に無い読後感を持っています。


三編目は、我が聲℃同人でもある熊本出身の広瀬大志さん「ショート・キル」。ショートキルとは接近戦のこと。こちらは聲℃に掲載された「長い夜明け(抄)」の対極に位置する作品で、かなり格好良い言葉の配置の妙の中に、感染と倫理/孤独と本能の鬩ぎ合いのコードが埋め込まれ、新型コロナウィルスに依って形態の変化を余儀無くされた「もの」、例えばミュージシャンのライブ等、に喩で触れる(触れることが忌避される時代であることがポイントです)ことで詩という援軍を送っており、立ち上がる力が湧いてくる「強い」作品です。


次は宮城ま咲さんの「あらあらし」。刻んだリズミカルな行分け詩が台風の情景を的確に描写しています。謎が残るけれど、実感として共感出来る内容で、短編映画を観たような読後感。朗読されても面白い作品だと思います。


五番手は詩集「耳の生存」の筆者、菊石朋さんの「子守唄」。暗喩によるノスタルジックな風景画から(ドクダミの香りが漂う)、位相の逆転、擬態語の効果によって、全体を暗喩として完成させる技術は流石です。発育する子供と母親の言語的もしくは根元的「接触」の表現として詩誌の中で機能しており、単独で読むのとまた違う読後感になるな、と感じました。


続いて編集長清水らくはさんの「宙子」。(そらこ、とルビが振られています。)擬人化された宇宙と神様の会話と、それを「忘れるのがいい」という形で、結果として伝承する者の寓話詩。催眠術的に(もしくは夢のように)読み終わった後に世界が消えていってしまうのは寂しくもあり、不思議に面白くもあります。音の無い宇宙の話が料理するような音に乗せて語られると、自分が嬰児になって、夕飯を作る母や祖母におぶられているような気持ちになり現実と追憶・幻想の壁が容易に破られます。碩学な筆者の科学的な緻密さも垣間見え、非常にスケールの大きい一編に仕上がっています。


詩のアンカーは、村田麻衣子さんの「天秤座標」。 フランス在住の方だけあって、音のセンスが日本語のそれに縛られておらず、詩のスタイル(言葉の視覚的配置)もどこか洒落ています。内容は季節の変遷と歴史観(そのギャップ)を用いて、母親→娘の系譜の中に存在する避けがたい疵を描いているように僕には感じられ、切なくなりました。フランスの天秤座の頃は寒いのだろうな、と想像し、どこか悲しいだけではない、異国に対する憧れも混ざった、甘さのような音楽的感傷が残る詩でした。


詩誌では上記の詩群の後に、平川綾真智さんの評論評論 「青島玄武と俳句の変容拡張」 が掲載されており、非常にボリューミーな内容となっております。

かなり濃い詩誌「みなみのかぜ」。みなさまも是非ご一読ください!

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お得な既刊セット販売もあります。

詩誌「みなみのかぜ」公式ホームページ


いつか詩集を出したいと思っています。その資金に充てさせていただきますので、よろしければサポートをお願いいたします。