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“記録する動物”

 いまや、24時間、一瞬たりともスマホを手放すこと はない。電話、ニュースチェック、メール、LINE、出納帳、自動改札、電子マネー支払い、メモ帳、スケジュール管理、アラーム、、、。

 「日記」もアプリで続けている。

 新聞記者をリタイアした祖父も、律儀に日記をつけていた。昭和も真っ盛りなので、もちろん手書き。博文館の定番タイプのもので、「これを書いておけば、あとからでもその日に何があったのか、すぐにわかるんだ」と誇らしげだったが、孫にしてみると「毎日家にいるご隠居さんにとって、それにどんな意味があるのかな」と素朴に思っていた。いま思うと、それは記者だった習性なのかもしれない。

 私の毎日の記録は「100年日記」というアプリに記載している。起床時刻、前夜の睡眠の深さ、食事メニュー、自宅を出た時刻、電車に乗った時刻、出社時刻、アップしたnote記事のタイトル、読了本のタイトルとその時刻、退社時刻、帰宅時刻、、、なんでもとにかくその都度に記録する。

 このアプリの特徴は、同じ日付の記録が並ぶことだ。前年、前前年のその日に何があったのか、一覧で表示される。しかし、その機能を使うのは月に数回程度か。「ああ、2年前はこんなことをやっていたのね」とぼんやり思うだけだ。

 たとえば5年前のきょうは、台風が接近しているなか可愛い女子アナと雑談したことが嬉しかった。4年前は台風が接近しているなか、東南アジア時代の助手が来日して会社で面会した。3年前は小泉進次郎と滝川クリステルの婚約が発表された。2年前は休日のため終日読書をしていた。去年は東京五輪の野球で日本が金メダルを獲得した。

 継続していることで具体的に役に立っていることは、実はあまり多くない。

 家電が故障して「あれ、これって何年前に買ったんだっけ?」という際に、アプリでキーワード検索することで判明することがある。

 自宅を出る際に出発時刻を記録する習慣ができているので、たとえスマホを置き忘れてもすぐに引き返すことができる。

 「『その日のよかったことを5つ記録しておく』ことは人生の幸福度をアップする」という書籍があったので(タイトルはもう忘れた)、その実践。しかし、具体的にどんな効果があるのか、実感することはない。

 そういえば、80歳を過ぎてもフェアレディZを乗り回すほど車が好きだった前述の祖父は、家に戻るたびに何キロ走ったかをメモしていた。あれだってなんの意味があったのか、まったく不明だ。

 それでもいいのかもしれない。

 たとえ具体的な効用がなくても、「人間は記録する動物」なのだから。いまはそう考えている。
(22/8/7)


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