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1/17 乗るなと言われた電車

 それはまだ金貸しをしていた時のこと。

 すっかり陽が落ちて辺りは暗くなってしまっていた。支店が片田舎にあったということもあり、21時にもなっていないというのに町は一日の活動を終えたとばかりに照らす明かりはまばらになっている。

 電柱にぶら下がる白色灯。

 それに群がる羽虫の如く、明かりを求めるように規則正しく並ぶ電柱を渡り歩きながら重くなった足を動かす。

「………………」
 
 そうなったのはなにも疲労だけでないことは分かっている。 

 預金、融資はもちろんのこと、それとは別に保険各種商品の目標という名のノルマ。
 
 日々追って来るそれらは重荷となって、物理的に足取りを鈍くしてしまっているようにさえ感じた。

 明日なんて来なければ良いだなんて、どれだけ考えたことだろうか。

 歩くこと十数分。良く言えばレトロでモダンな、有り体に言えば古ぼけて吹けば飛ぶような駅舎が見えてきた。

 駅員もおらず無人の改札を抜けて、フラフラと倒れるようにホームのベンチに座り込むとギシッと軋む音がした。すっかりと色褪せて青白くなってしまったそれからは、長らく風雨に晒されながら時を過ごしてきたという歴史を感じさえする。
 
 背後にある壁は薄っぺらい上に、所々がひび割れておりその向こうで車が通り過ぎて行く度に生じる風でカタカタと小刻みに揺れる。

 疲れのあまり、瞬きの間に少しばかり眠ってしまっていたのか、気が付けば近くで踏切の音がする。

 ようやく来たか、と重い腰を上げて黄色の点字ブロックにやや爪先が掛かるように立つ。良くないことであるのは分かるが、それを考えることすら億劫でありこの時間に、ここに大勢の人間が訪れることは有り得ないという確信があった。

 鏡を引っ掻くようなブレーキ音を響かせた後に、明々と眩い列車が目の前に止まり扉が開く。幾分かは覚めたものの未だ微睡の中にいるようで、意識が曖昧な状態の中、開いた大口に吸い込まれるように歩を進めようとした時だった。

「あ、乗るな」
「ほんとやね、乗ったら駄目」

 それはもしや単なる聞き違い、もっと言えば幻聴の類だったのかもしれない。ただ、不意に聞こえたそれは些か明確な声色をしており、動き出した足を止めるには十分だった。

 背後を見ても誰かがいる訳もなく、スマホからの着信音ということはない。

 考え込む時間は与えられることはなく、間も無く乗務員の鳴らす笛の音の後、無常に扉は閉まり電車は走り出す。

 乗り掛けていたくせに、突如立ち止まってしまう男の姿を乗務員は怪訝そうに見ているのが印象的だった。

 翌日以降、新聞やスマホを見てもなにかしら事件が起きたというニュースは見掛けない。

 一体あれはなんだったのか。

 

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