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ビビンパ(1990)清水義範 講談社文庫

(halske.jp 2021年2月17日 バックアップ記事)

パスティーシュというものをご存じでしょうか。僕は清水義範の『ビビンパ』を読むまで知りませんでした。模倣作品と言われてもイメージできずにいましたが、読んでみるとどうでしょう、これがパスティーシュというものかと納得しました。あまり読まれていないのかな、と思いましたので『ビビンパ』の短編を一部紹介したいと思います。

『謹賀新年』

毎年、賀状のみやりとりしている記録です。一年越しで回答しているので話題がちぐはぐです。結婚おめでとうございます。と離婚しました。が同時に交わされる滑稽さがあります。すれ違いを上手く応用している小説や漫画や映像作品には古典的な笑いが含まれていると思いますが、その例としてとてもシンプルに伝わります。すれ違いや勘違いが不可避である=当人は真面目であるほど、可笑しさは増すように感じるのです。この二人は、ちぐはぐな内容の賀状のやりとりを大真面目にやっています。疑問に思って止めることはせずに死ぬまで続く滑稽がたいへんに可笑しいです。

『猿取佐助』

元ネタは織田作之助の『猿飛佐助』1945年だと思いますが、ここでは爺・保留・猿取(ジャン=ポール・サルトル)について語られています。“実存の術”を極めたい猿取は灰出蛾(ハイデガー)に教えを与えてもらうことにより“存在することは、ただ単に其処に在ることだ、それは嫌悪すべき不条理な怒りの対象”と、吐き気を覚えた猿取は“嘔吐”の術を会得します。まったく可笑しく愉快な話です。しかし四門奴・怒・暴母悪(シモーヌ・ド・ボーヴォワール )は、ひどい文字並びではないでしょうか。ボーヴォワールに知られたら。いかにも厳しく怒られそうです。

『瞼のチャット』

パソコン通信でチャットをしている様子の記録です。僕自身はここに書かれているようなチャットの経験はありませんが、昔のミステリなどで多少の知識はあります。ハンドルネームがあって、話しかける相手のハンドルネームを>の後に記す、というルールもなんとなくわかります。じっくりチャットしあいたいルームでない場合は、ある程度テーマが決まっていても、質問や話題は合間を縫って飛び交うので俯瞰して眺めると何について話しているのかわからないし、ハンドルネームが多種多様なのでたいへん滑稽に見えます。
ここでは単純な可笑しさということではなく、そういう空間をたのしむ人々がいるし、更にたのしむだけではなく劇的な運命がはじまる場合もある、というところまで引っ張ることがまた滑稽と言うべきではないでしょうか。

読んで心から感動した、という類の本ではありませんが、なんとなく布団の中で寝そべって読むことがあってもいいようなそういう存在だと思いました。

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