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戻ってこない日々

中学高校と(中高一貫だったので)部活が一緒で、毎日一緒に帰っていた友人2人。

大学に入ってからも会っていたけど、高校卒業までの2年間は私だけクラスが違っていて、私のクラスがすごく仲が良かったから、大学に入ってからはそちらと遊ぶことの方が多くなっていた。だから、2人とはコロナ禍くらいからなんとなく疎遠になっていて、でもなんとなくつかず離れずの距離感でたまに会ったり旅行したりするけど、会う前の電車では必ず少し緊張する。

2人は同じクラスだったし、就職での志望業界も似通っていたからよく会っているようで、最初はなんとなく疎外感を感じて寂しかったけど、今では寂しさを感じなくなってきていることが、寂しい。

この間も久しぶりに会って、飲みに行った。いつの間にか、友人たちは弱い側の人を嘲笑うような話しかしない人間になっていて、試合の練習や同期仲のために必死で奔走していた姿はなかった。
私は彼女たちが嘲笑ったり、絶対になりたくないと言うような境遇の人に寄り添うために就職先を選んで、就活を終えた。これは完全に被害妄想だけど、私のしようとする仕事は彼女たちにとっては"コスパ"の悪い、愚かな選択なのだと思われていそうで、決定的な溝が私たちの間にできてしまった気がした。

時の流れは残酷だ。
一緒にライブに行って声を枯らして大粒の涙を流したことも、帰り道のコンビニでアイスを買って先生に見つかりそうになったことも、一緒に教科書を買いに行くいつもの本屋への道中でふざけ倒したことも、全部はっきりと覚えているのに、ラメが落ちていくようにあの時の輝きは無くなってマットな風景で思い出される。そのうち、彩度も失ってセピア色になってしまうのかも。

人が変わらないなんてことはあり得ず、もしかしたら彼女たちの方こそ変わっていなくて、私が変わってしまったのかもしれない。
でも私はこれからの人生の至る所で同じように時の流れの残酷さを感じて悶えていくのだと思うと、悲しくて恐ろしい。
もっと歳をとれば、そうした時の残酷さにも慣れてしまうのかもしれないけど、それはそれで悲しいな。






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