レイニーナイト(オンザプラネット)2
彼女は道を間違えない。
目的地までのルート、周辺の地図、アクシデントがあった場合の迂回路、すべてを完璧に記憶している。
「2分で着くわ」
それだけ言って電話を切った。
アクセルを踏み込む。
目的地ではビニール袋に入った荷物が、彼女を待っている。
彼女は道を間違えない。
ビニール袋の隙間から、見慣れたタトゥーが見えたあのときも。
いつも彼女の恋人の肩にとまっていた、小さな黒いアゲハ蝶。
あたしは道を間違えない。
それがあたしの仕事。
指定された場所に車を停めた。
そこに人影を認め、少しだけ驚いた。彼女を待っているのは、いつもならば大抵荷物だけだからだ。
車のヘッドライトを消す。眼鏡をかけたレインコート姿の男が、黒いビニール袋の横に立っているのを確かめた後で。
仕事をするときには必ず眼鏡をかけるという、その男の話は知っていた。
絶対に道を間違えない自分と同じくらい、仕事を高く評価されているということも。
彼女は車を降りた。
「なぜ、いるの?」
彼女は静かに問うた。
男は俯いていた顔を上げた。前髪から雨のしずくが落ちる。
男は背が高かった。小柄な彼女は見下ろされる形になる。
「今日は荷物がないんだ」
男が低い声で答えた。電話で聞いたのと同じ声。
「代わりにこれを」
男が手に持っていた紙袋を持ち上げた。警戒を解くためか、渡す前に中身を見せてきた。
彼女は訝しげに眉を寄せながら、手にしていたペンライトで紙袋の中身を照らした。
それは黒髪のようだった。
「どうやら俺はこの人を好きになってしまったようだ」
淡々とした言い方だった。
男は足元のビニール袋を指差していた。
「できれば死体を譲ってほしい」
彼女は黙って男を見た。
ペンライトの光が、僅かにその表情を照らしていた。
「部屋にでも飾っておくの?」
「そんなところだ」
「初めて会ったけど変わってんのね。顔はまあまあなのに残念」
彼女は小さく笑って、紙袋を受け取った。
「これで納得してくれるかはわからないけど。とりあえず処理担当にはキャンセルの連絡しといてあげる」
「すまない」
男は再び目を伏せた。
彼女は紙袋を手首にかけ、男に背を向けながら、なんでもないことのようにこう訊いた。
「レインコート、汚れてないのね」
「できるだけ傷がつかないようにしたかったんだ。綺麗なままで飾っておきたくて」
男の返答は淀みがなかった。
「ふーん」
わざと興味なさげな声を出した。
「じゃあね」
「意外だな」
男の声が追ってきた。肩越しに振り返る。
「何よ」
「もっとゴツい女だと思ってた」
男が微かに笑っているのがわかった。
「失礼ね」
「大変じゃないのか。一人で重いものを運ぶのは」
「コツがあんのよ」
「どうして、この仕事を?」
「さあね」
それだけ言って、彼女も少し笑った。
「道を間違えたのかもね。あんたもあたしも」
「最初から」
低い声のまま男が言った。
「道なんてなかったとしたら?」
彼女はもう答えなかった。
「バイバイ」
男に背を向けてから、手を振った。
頭の良い男なんだろうな、と思う。
ほんの少しの真実を混ぜるだけで、
嘘は見えにくくなる。
車に戻る。バックミラーに男の後ろ姿が映る。男がゆっくりと眼鏡を外しているのがわかる。
「いいんじゃないの、それで」
ただ少しだけ、羨ましいと思った。
紙袋を助手席に置く。
バックミラーにかけた、黒いアゲハ蝶のキーホルダーを人差し指で揺らし、彼女はアクセルを静かに踏み込んだ。
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